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第23話「念願と恐怖の邂逅」

キオが召喚陣の中心に立つと、広間のすべての視線が突き刺さるように集まった。


シュバルツ一族


向けられる期待と好奇が、肌を粟立たせるほど空気を重くしていた。


ドクン、ドクンと心臓がうるさい。


壇上に立つベゼッセンへの恐怖と、シュバルツとついに会えるという期待。


相反する感情が、胸の中で激しく渦巻いていた。


『キオ』


不意に、心の一番深い場所に、優しい声が響く。


『俺がついている。何も恐れるな』


『うん……』


キオは小さく頷いた。


壇上のベゼッセンが、優しい笑みを浮かべたまま、視線でキオを射抜く。

その瞬間、身体が凍りついたように硬直した。


だが、ベゼッセンは感情の温度を感じさせない声で、淡々と指示を出す。


「深呼吸をして、魔力を解放してください」


その冷静さは、他の生徒たちを指導していた時と寸分違わない。公の場での完璧すぎる振る舞いが、逆にキオの不安を煽った。

客席のオーウェンが、鋭い視線でキオの様子を窺っている。隣のルイも、心配そうに眉を寄せていた。


『大丈夫。みんながいる』


キオは自分に言い聞かせ、必死に息を吸い込んだ。

震える両手を握りしめ、無理やり落ち着かせようと試みる。


「ご自分の魔力を、深く感じてください」


アーデルハイト先生の優しい声が、強張ったキオの心を少しだけ解きほぐした。

キオはゆっくりと目を閉じる。意識を、自らの内側へ、その奥深くへと沈めていった。


夜空の色を溶かしたような魔力が、体内を巡る。

そして、さらにその奥――魂の核で輝く存在に触れた。


『シュバルツ……』


『ああ、感じる。俺とお前の境界が、今、融けていく』


その瞬間、足元の召喚陣が眩い光を放って応えた。

星屑を撒き散らしたような夜空色の光が、渦を巻いてキオの身体を包み込む。

それは、今までどの生徒が放った光よりも遥かに強く、濃密な輝きだった。


「すごい……」


生徒たちの間から、感嘆の声が漏れる。

光は勢いを増し、瞬く間に巨大な光の柱となって天井を突いた。

広間全体が、美しい真夜中の色に染め上げられる。

壇上の教師たちも、驚きに目を見張っていた。

ベゼッセンは一瞬だけ瞳を大きく開き、唇の端に歪んだ笑みを浮かべたが、すぐに完璧な表情へと戻った。


「これは……」


カスパー先生が息を呑む。


「これがネビウス家の真の力……」


そして――

光の柱の中心で、さらに深い闇が生まれた。

漆黒の光が渦を巻き、徐々に人の形を成していく。

広間にいる誰もが、固唾を飲んでその瞬間を見守っていた。やがて、光が収束し、ついにその姿が完全に現れる。



そこに立っていたのは、竜人の青年だった。

しなやかながらも強靭さを感じさせる長身は、185cmほどだろうか。夜の闇をそのまま映したような黒髪が、白磁のように白い肌によく映えている。

そして、その深い紫色の瞳は、キオとまったく同じ色をしていた。


人間とは一線を画すその姿。


額の両側からは、濡れたような光沢を放つ黒曜石の角が、優雅な曲線を描いて後方へと伸びている。

背中には、星空をそのまま切り取ったかのような広大な翼。畳まれていてもなお、その大きさと美しさが伝わってくる。しなやかに揺れる長い尾は、先端が鋭く尖っていた。

黒を基調とした豪奢な長衣を纏ったその姿は、神聖なまでの威厳と、見る者を惑わすような美しさを兼ね備えている。


「……っ」

キオは思わずその名を呼びそうになり、慌てて唇を噛みしめた。

『名前を呼んじゃダメだ……今は、ダメだ』


竜人、そんなキオの心中を見透かしたように優しく微笑むと、静かな足取りで歩み寄ってきた。

畳まれた翼が衣擦れのような音を立て、長い尾が床の上を優雅に滑る。

二人は、言葉もなく見つめ合う。

けれど、その魂は確かに響き合っていた。


『やっと会えたな、キオ』

『シュバルツ……これが、君の姿なんだね』


心の対話が、温かく胸に満ちる。

やがて竜人は、周囲に聞こえるように、芝居がかった声で問いかけた。


「俺と契約を望むのは、お前か?」


キオは一瞬戸惑ったが、すぐに彼の意図を察した。

そうだ、ここは公の場。あくまで「初対面」を演じなければ。


「はい。僕と……契約してください」


震える声で、それでもはっきりと答える。

竜人が差し出した手を取り合った瞬間、召喚陣が咆哮するかのように激しく輝いた。契約成立を示す純白の閃光が、二人を完全に包み込んだ。


「なんと……」


壇上の教師たちが、愕然とした表情で呟く。


「竜人……まさか、伝説の……」


カスパー先生の声が震えている。


「竜の眷属、それも最上位の存在を召喚するとは……」


アーデルハイト先生も、驚きを隠せずにいた。

生徒たちの間にも、大きな動揺が広がっている。


「あの姿……角も翼も、本物の竜人だ……」

「神話の中だけの存在じゃなかったのか……?」

「桁違いだ……強そうなんてもんじゃない……」


オーウェンとルイは、驚きつつもキオの身を案じるように見守っている。

カリナは憧れの眼差しで目を輝かせ、セドリックはただ畏敬の念に打たれていた。

そして、ベゼッセンは――

何の感情も映さない瞳で、光に包まれた二人を、ただじっと見つめていた。

光が静かに収まると、そこには契約を終えたキオと竜人が向かい合って立っていた。


竜人は、威厳に満ちた声で周囲に聞こえるように告げる。


「我が名はスバル。契約は成された。この身をもって、お前を守護しよう」


ゆっくりと揺れる尾と、誇示するように微かに広げられた翼が、その言葉が偽りでないことを示していた。


「ありがとう……」


キオは小さく礼を言った。


『今まで、ずっと一緒にいてくれて』


心の中で、本当の感謝を伝える。


『これからも、ずっと一緒だ』


シュバルツの温かい声が、すぐ側で返ってきた。

見えないはずの二人の絆が、今、確かな形となってここに在る。


「契約、成立です!」アーデルハイト先生が、まだ興奮の冷めやらぬ声で宣言した。

「ネビウス君、おめでとうございます。本当に、素晴らしい契約です」


わっ、と拍手が沸き起こる。

だが、その音には祝福だけでなく、明らかな驚きと畏怖の色が混じっていた。

キオが席に戻ろうと歩き出すと、シュバルツがごく自然にその隣に並んだ。

他の精霊とは比較にならないその圧倒的な存在感が、周囲の視線を釘付けにしていた。

席に着くなり、すぐに四人が駆け寄ってきた。


「キオ君、大丈夫?」


ルイが、キオの顔色を覗き込むように尋ねる。


「すごい精霊さんね!……綺麗で、かっこよくて……」


カリナがうっとりとシュバルツを見つめて言う。


「その……角と翼……本当に、竜人なんですね」


セドリックは、まだ緊張が解けない様子で畏怖の目を向けていた。


「驚いたな。まさかこれほどの存在を召喚するとは……」


オーウェンも、さすがに真剣な表情を隠せない。


そんなみんなの様子にキオも思わず笑ってしまう


「体調の方は大丈夫か?」


「大丈夫」


オーウェンの言葉にキオは心配させまいと努めて笑顔を作った。


「無理をしているんじゃないか?」


オーウェンの優しい声が、心の強張りを解きほぐす。


「まぁ、少しだけ……でも、スバルがいてくれるから」


キオがシュバルツを見上げると、彼は主の言葉に応えるように静かに頷いた。その威圧感に友人たちは少し気圧されながらも、キオを気遣う気持ちは変わらない。


「キオ君、本当に無理しないでね?」


ルイが、念を押すように重ねて言う。


「うん……ありがとう、みんな」


キオの目に、じわりと涙が滲んだ。

それは先程までの恐怖の涙ではなく、温かい、幸せな涙だった。

その後も、召喚の儀式は滞りなく続いた。


次に呼ばれたオーウェンは、金色に輝く巨大なグリフォンを召喚した。

鷲の翼と獅子の身体を持つ荘厳な姿は、まさに王族に仕えるにふさわしい神獣だ。アーデルハイト先生が「光と浄化を司る最高位の精霊です」と説明すると、生徒たちから再び大きなどよめきが起こった。


続くルイの前には、可愛らしい二つの精霊が現れた。

一つは赤く燃える火の玉のような炎の精霊。もう一つは青く澄んだ水滴のような水の精霊だ。

二体の精霊は、ルイの周りをくるくると飛び回りながら、互いに「自分が先だ」と主張するようにぶつかり合っている。


「あらあら……」


アーデルハイト先生も、微笑ましい光景に少し驚いている。

やがて、しばらく小競り合いをしていた二つの精霊は、ぴたりと動きを止めると、互いに光を一度だけ明滅させた。まるで頷き合ったかのように。そして、二体同時にルイの元へと飛んでいく。


「二体同時契約……珍しいですね」


先生に促され、ルイが両手を差し出すと、炎と水の精霊が同時にその手に触れた。

温かい光が、三者を優しく包み込む。

全員の召喚が終わると、ベゼッセンが締めくくりの挨拶のために前に出た。


「皆さん、おめでとうございます。どれも素晴らしい契約でした。これから、皆さんと精霊との絆が、より深く育まれていくことを願っています」


その声は、最後まで完璧な専門家としての落ち着きを保っていた。

儀式が終わり、生徒たちがぞろぞろと広間を出ていく。

キオも立ち上がろうとしたが、ふと、隣に立つシュバルツが警戒するように微かに身動ぎしたのを感じた。彼の尾が、ぴくりと小さく揺れている。


『あの男が、見ている』


シュバルツの心の声が、警告のように響いた。

視線を上げると、壇上のベゼッセンが、一度だけこちらを振り向き、すっと目を逸らした。

ただそれだけだったが、キオの背筋を冷たいものが走り抜けた。

友人たちに囲まれながら、キオは広間を後にした。

シュバルツが、その大きな翼と尾で外部の視線を遮るように、常にキオの側に寄り添って歩いていた。



騒がしい広間から一歩外へ出た途端、キオはこらえていた深い息を吐き出した。

全身を縛り付けていた緊張の糸がぷつりと切れ、身体から力が抜けていくのがわかる。ベゼッセンと同じ空間にいるというだけで、これほど魂がすり減るとは。


「キオ君!」


異変に気づいたルイが、すぐに駆け寄ってくる。


「大丈夫?顔が真っ青だよ」


「無理していたんだろう」


オーウェンも、心配そうに眉を寄せた。


「キオ、疲れちゃった?」


「キオ君……」


カリナとセドリックも、不安げにキオの顔を覗き込んでいる。


「大丈夫……ちょっと、緊張が解けただけ。今日はもう部屋に戻って休むね」


キオは、みんなを安心させようと、なんとか笑顔を作った。


「本当に大丈夫なの?」


「うん。心配してくれてありがとう、みんな。また明日」


「無理しないでね」


「ゆっくり休んで、キオ君」


友人たちと別れ、キオはシュバルツと共に寮へと向かう。

夕暮れの風が、火照った頬に心地よかった。






寮へ続く中庭を通り抜けようとした、その時だった。


「やあ……久しぶりだな、キオ」


その声を聞いた瞬間、まるで足元が凍りついたかのように、キオの歩みが止まった。

身体中の血液が逆流するような感覚。

硬直した視線の先には、ベゼッセンが静かに立っていた。


シュバルツが即座に反応する。

喉の奥で低い唸り声を上げ、キオを庇うように一歩前に出た。

その翼が威嚇するように半ばまで広げられ、尾が警戒に満ちてしなる。


「……」


声が出ない。喉が張り付いて、呼吸すらままならなかった。

ベゼッセンはそんなキオの恐怖など意にも介さず、穏やかな声で続けた。


「ここはいい所だな。歴史ある学び舎は、空気が違う」


その声は、どこまでも優しく、落ち着いた大人の響きを持っていた。

だが、その優しさが、キオには何よりも恐ろしかった。

キオは黙り込んだまま、ただベゼッセンを見つめることしかできない。


シュバルツはさらに警戒を強め、その深い紫の瞳で敵意を剥き出しにしてベゼッセンを睨みつけている。

ベゼッセンはキオの顔をじっと見つめると、心底心配しているかのような表情を浮かべた。


「顔色が良くないな。今日は随分と消耗したようだ」


その声色、その表情。知らない者が見れば、ただ教え子を気遣う優しい教師にしか見えないだろう。


「今日はゆっくりと休みなさい」


ベゼッセンが、キオのすぐ横を通り抜けようとする。その瞬間、シュバルツが翼を大きく広げ、キオを完全に隠した。それは、明確な拒絶の意思表示だった。


ベゼッセンは一度だけ足を止め、翼の壁の向こうにいるキオに向かって、囁くように告げた。


「いずれまた、ゆっくりと話そう」


その優しい声だけを残して、彼は静かに立ち去っていった。




ベゼッセンの姿が完全に角の向こうに消えた、その瞬間。

張り詰めていた最後の糸が切れ、キオの膝から力が抜けた。


「キオ!」


シュバルツが、崩れ落ちるキオの身体を素早く抱きとめる。そのまま、壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。


「大丈夫だ……もう行った」


シュバルツの低く、落ち着いた声が、耳元で震えるキオを包み込む。


「怖かった……」


やっと絞り出した声は、情けないほど震えていた。


「わかっている。よく耐えたな」


シュバルツの逞しい腕が、キオをしっかりと支えてくれる。大きな翼が、外界のすべてから守るように、二人をすっぽりと覆った。


「お前はもう、一人じゃない」


シュバルツが、言い聞かせるように優しく言う。


「俺がいる。そして、お前を大切に思う友人たちがいる」


キオは、シュバルツの温かい胸の中で、小さく頷いた。


「うん……」


少しずつ、乱れた呼吸が落ち着きを取り戻していく。


「大丈夫……僕には、みんながいるから」


それは、自分自身に言い聞かせるための、小さな誓いの言葉だった。


「そうだ」


シュバルツが、力強く頷く。


「お前はもう、一人で戦う必要はないんだ」


キオは深呼吸を一つして、顔を上げた。


「ありがとう、シュバルツ」


「いつでも、お前の側にいる」


シュバルツの紫の瞳が、どこまでも優しくキオを見つめている。


「さあ、部屋に戻ろう。今日はもう休め」


「うん」


二人は、夕闇に染まり始めた中庭を、ゆっくりと寮へと歩き出した。シュバルツの翼が、キオの背中をそっと支えていた。


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