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第10話「再訪の約束」

週末、キオは寮の部屋でペンを走らせていた。窓から差し込む柔らかな秋の陽射しが、机に広げた上質な便箋を温かく照らしている。ようやく学校生活にも慣れてきた頃だ。


これは、先日ベアトリスから受け取ったお茶の誘いに対する返事だった。


『ベアトリス様

お誘いいただき、ありがとうございます。

今度の休日、ぜひお茶をご一緒させていただければと思います。

ご都合の良い時間と場所を教えていただけますでしょうか。

キオ・シュバルツ・ネビウス』


ペンを置き、キオはふぅ、と小さく息をついた。少し悩んだのは事実だが、それでも一度はきちんと話してみるべきだろう。

誘いを無下むげに断るのも失礼だし、もしかしたら、本当に友達になれるかもしれない。


『昔は、こんな複雑な人間関係はなかったな……』


精神年齢はともかく、今の自分はまだ13歳の子供だ。

その年齢には少し重すぎる責任を感じながら、キオは手紙を丁寧に三つ折りにし、封筒に入れて封をした。


その時、廊下から聞き慣れた足音が近づいてくる。軽やかだが、どこか品のある歩き方――オーウェンだ。


「キオ、いるか?」


コツコツ、と控えめなノックが響く。


「どうぞ、入って」


ドアを開けて入ってきたオーウェンは、いつもより心なしか明るい表情をしていた。

キオの手にある封筒に気づく。


「ベアトリスへの返事か?」


「うん。お茶の誘い、受けることにしたよ」


「そうか。大丈夫さ、普通にお茶を楽しむだけなら何の問題もない」


オーウェンはそう言うと、窓際の椅子に腰掛けた。

窓の外に広がる校庭の景色を見ながら、少し考え込むような表情を見せる。


「君は誠実だな。僕だったら、もっと上手いこと理由をつけて断ってしまうかもしれない」


「でも、それじゃあ何も変わらないだろう? 一度話してみれば、お互いを理解できるかもしれないし」


キオの真っ直ぐな言葉に、オーウェンはふっと微笑んだ。


「だから君といると、いつも新しい視点を教えられる気がするよ」


そして、オーウェンの表情がぱっとさらに明るくなった。


「実は、嬉しい知らせがあるんだ!」


目を輝かせるオーウェンに、キオも「何?」と先を促す。

オーウェンは少しドヤ顔で、得意げに話し出した。


「ルイから連絡があった。ご両親と相談した結果、僕たちをお店に招待してくれることになったそうだ!」


今度はキオの目が輝く番だった。

7年前の、あの温かい記憶が鮮やかに蘇ってくる。


「本当かい!」


「ああ。来週の休日、みんなでルイの実家に行こう!」


キオの胸が、じんわりと温かくなった。あの優しいアンナさんとトーマスさんに、また会えるのだ。


『友達の家に遊びに行くなんて、いつぶりだろう……。それに、またルイの家族に会えるなんて、本当に嬉しいな』


翌週の休日の朝。


学校の正門前には、約束通り5人の姿があった。爽やかな秋風が頬を撫でていく。校庭の木々は美しく紅葉し、赤や黄色の落ち葉が風に誘われてひらひらと舞い踊っていた。


「みんな、お疲れ様!」


カリナが元気よく手を振る。今日は休日らしく、明るい黄色のブラウスにブラウンのフレアスカートという組み合わせだ。その健康的な褐色の肌によく映えて、とても美しい。


「お疲れ様です」


ルイも微笑みながら挨拶した。いつもの生真面目な学生服とは違い、淡いブルーのワンピース姿だ。落ち着いたグレーの髪とのコントラストが美しく、キオは微笑ましく思った。


『ルイって、本当に可愛いな……』


まるで大切な妹を見ているような、そんな優しい気持ちが湧いてくる。


「お疲れ様です、キオ様、オーウェン様」


セドリックも丁寧に頭を下げる。

彼もいつものようなガチガチの緊張はなく、どこか楽しみにしているような柔らかい表情だった。


「そうだ! 今日は『様』なしでいこう」


突然のオーウェンの提案に、セドリックは「えっ!?」と困ったような顔をした。


「で、でも、それは……」


顔を赤くして、慌てて両手をぶんぶんと振る。平民として生まれ育った彼にとって、高貴な身分の二人を敬称なしで呼ぶなど、考えられないことだった。


「いいね。僕も同じ意見だ。せっかくだから、友達として過ごしたいからね」


キオもにこやかに同調したが、ルイとセドリックは依然として遠慮がちだ。


「そんな……お二人の身分を考えると、そう簡単には……」

ルイが戸惑いながら言う。両手を胸の前で組み、困ったように眉をひそめている。


「別にいいんじゃない? 呼び捨てにしろって言ってる訳じゃないし、キオ君とかオーウェン君とか呼べばいいじゃん」


あっけらかんとした様子のカリナに、オーウェンも「そうだ、カリナの言う通りだ!」と乗っかる。


「僕……友達にそう呼ばれるの、憧れてたんだよね……」


キオがわざとらしく目をうるっと潤ませ、子犬のように二人を見つめると、ルイとセドリックもついに折れた。


「それなら……キオ君、オーウェン君」


ルイが、まだ少し控えめに呼んでみる。その声は小さいが、確かに親しみが込められていた。


「うん、それがいいね」


さっきまでの涙は何処へやら、キオはケロッと嬉しそうに笑う。

その変わり身の早さに、ルイもセドリックも苦笑しつつ、照れくさそうに笑った。

その様子を見て、キオの胸もほわほわと温かくなる。


「じゃあ僕も、キオ君、オーウェン君って呼ばせてもらうね」


セドリックも、ようやく肩の力が抜けた様子で同意した。

その時、彼らの後ろから凛とした低い声がかかった。


「オーウェン様、準備ができました」


振り返ると、そこには見慣れない30代ほどの男性が一人、音もなく立っていた。短く整えられたあかい髪に、鋭い目つき。


軍人らしい隙のない立ち姿と、常に周囲を警戒する視線から、只者ではないことが一目で分かる。ロート一族出身らしい炎のような気迫を感じさせるが、立ち振る舞いは極めて礼儀正しかった。



「ああ、ありがとう。みんな、紹介するよ」


オーウェンが友人たちに向き直る。


「こちらはマーカス・ロート・ブレイズ。普段は騎士として王国を守っているんだが、今日は護衛として同行してもらうことになった」


「初めまして。マーカス・ロート・ブレイズと申します」


近衛騎士であるマーカスが、丁寧にお辞儀をする。その紅い髪がロート一族の出身であることを物語っていた。声は低く落ち着いているが、どこか威圧感も漂う。


「よろしくお願いします」


「よ、よろしくお願いします!」


キオたちも慌てて挨拶を返した。

特にセドリックなどは、本物の近衛騎士の存在に圧倒されて、声が少し震えている。


「王族が学校外に出る時の規則なんだ。特に遠出をする時は必須でね。すまないな、堅苦しくなって」


オーウェンが申し訳なさそうに説明する。


「皆様の楽しい一日にご迷惑をおかけして申し訳ありません」


マーカスも深く頭を下げた。


「できる限り目立たないよう配慮いたします」


その職業的でありながら誠実な態度に、ルイたちも少し安心したようだ。


「いえいえ、全然大丈夫です!」


ルイが慌てて手を振る。


「そうですよ。むしろ、護衛の方がいらっしゃると安心できます」


キオのその言葉に、マーカスもほんの少しだけ口元を緩め、優しげに微笑んだように見えた。


隣町への道のりは、馬車でおよそ1時間ほどの距離だった。

馬車の中は、和やかな雰囲気に包まれていた。


窓から流れていく景色は、のどかな秋の田園風景だ。収穫を終えた広大な麦畑、鮮やかな赤や黄色に色づいた木々。遠くに見える山並みも、美しい紅葉で染まっている。穏やかで、どこまでも美しい光景だった。


「ルイ、ご両親はどう言ってた?」


キオが尋ねる。


「とても喜んでくれました。特にお母さんは、キオ君がまた来てくれるって聞いて、すごく嬉しそうでした」


ルイが柔らかく微笑む。その表情には、家族への深い愛情が滲み出ている。


「それに、オーウェン君のことも『ルイの大切なお友達なら、大歓迎よ!』って」


「素晴らしいご両親だな。本当に感謝しかない」


オーウェンが素直に感心する。王族として育った彼にとって、そのような垣根のない率直さは新鮮だった。


「でも、本当に大丈夫だったの? 王族が来るって言ったら、お父さんとお母さん、すごく緊張しそうだけど」


カリナの素朴な疑問に、ルイは頷きながら苦笑した。その時の両親の慌てぶりを思い出しているようだ。


「最初はそれはもう、びっくりしてました。お父さんなんて、『王族の方がうちみたいな小さな店に……』って、何度も同じことを繰り返してて」


その様子を想像して、みんながくすくすと笑う。


「でも、キオ君のお話をしたら、『あの優しい坊やの友達なら、きっと良い方に違いない』って、安心してました」


「トーマスさん……」


キオが嬉しそうに呟く。改めて、胸の奥が温かくなる。


「あの時のことは、両親もよく話題に出すことがあったんです。『困っている子を助けるのは当然だけど、あの子は本当に礼儀正しくて、優しい子だった』って。それで、『きっと立派な青年に成長しているに違いない』って、二人とも楽しみにしてました」


その言葉に、キオは満面の笑みを浮かべた。


『ああ、お二人に会うのが本当に楽しみだ』


やがて、馬車は目的地の『リンネル洋食屋』が見えてきた。

石畳の小さな街並みの中に佇む、こぢんまりとした二階建ての建物。1階が店舗で、2階が住居になっているようだ。外壁は温かみのあるレンガ造りで、壁には緑のツタが程よく絡まっている。


木製の看板には『心温まる美味しい料理をお約束します』という文字が、丁寧な手書きで記されていた。


「あ、あの看板!」


カリナが懐かしそうに指差す。


「私が初めて来た時に見た看板よ! 変わってない!」


店の前では、ルイの母親のアンナがエプロン姿で掃除をしていた。

馬車に気づくと、驚いたように目を丸くし、慌てて店のドアをどんどんと叩いた。


すぐさま、中から白いコック帽を被ったトーマスが飛び出してくる。二人とも緊張で顔がこわばっているのが分かるが、それでも精一杯の温かな笑顔を浮かべていた。


「いらっしゃいませ!」


アンナが温かく出迎える。その声は少し震えているが、心からの歓迎の気持ちが込められていた。


「お久しぶりです、アンナさん、トーマスさん」


キオが丁寧に一礼すると、アンナが「まあ!」と嬉しそうな声を上げた。


「あの時の坊やが、こんなに立派になって!」


アンナの手が、思わずキオの頬に触れそうになり、慌てて引っ込める。それでも、キオを見る目はとても優しく、慈愛に満ちていた。


「身長もぐんと伸びて……。あの時は、私の腰の辺りしかなかったのに」


そして、アンナの視線がキオの後ろに立つオーウェンに移った。陽光を反射して輝く金髪の美しい少年を見て、二人は明らかに気後れした様子を見せる。


「オーウェン・ゴルト・リンドールです。この度は、お招きいただき、ありがとうございます」


オーウェンの完璧な挨拶に、トーマスとアンナは恐縮しきりだった。


「と、とんでもございません! こちらこそ、娘のルイがいつもお世話になっております!」


トーマスが慌てて深々と頭を下げる。


「こちらこそ、ルイとは楽しい学園生活を送らせてもらっています」


オーウェンの謙虚で穏やかな態度に、二人は少し安堵の表情を見せた。

そこで、マーカスが一歩前に出た。その騎士としての威圧的な雰囲気に、トーマスとアンナは一瞬、びくっと身をこわばらせる。


「失礼いたします。オーウェン様の護衛を務めます、マーカス・ロート・ブレイズと申します」


「ご、ご苦労様です!」


トーマスが再び慌てて頭を下げる。今日は朝から緊張しっぱなしのようだ。


「お食事の間は、私は別室で待機させていただきます」


マーカスの配慮に、アンナとトーマスは申し訳なさそうな顔をした。


「そんな、ご一緒にどうぞお食事を……」


「いえ、お気遣いは無用です。私は仕事ですので」


マーカスは職業的な、しかし冷たくはない笑みを浮かべた。

店に案内された瞬間、キオは懐かしい匂いに包まれた。7年前と何も変わらない、温かくて優しい香りだ。美味しそうな料理の匂い、磨かれた木のテーブルの温もり、そして何より、この家族の愛情が込められた空間そのものの匂い。


「あの時と、何も変わらないですね」


キオが感慨深げに店内を見回しながら言う。


「ええ。あの時、あなたがここで美味しそうにご飯を食べてくれたのが、まるで昨日のことのようだわ」


アンナが目を細めて微笑んだ。

マーカスを除くメンバーが席に着くと、まもなく料理が運ばれてきた。


「これは……」


オーウェンが、目の前に並べられた料理を見て、小さく感嘆の声を上げる。そこには、美しく盛り付けられた洋食のコースが並んでいた。メインの香り高いビーフシチューを中心に、色とりどりの新鮮な野菜サラダ、ほかほかと湯気の立つ焼き立てのパンと、具だくさんのスープ。どれも丁寧に、心を込めて作られていることが一目で分かった。


「今日は特別に、腕によりをかけて作りました」


トーマスが、少し照れくさそうに、だが誇らしげに説明する。


「下ごしらえや盛り付けは、私が担当したのよ」


アンナが微笑みながら付け加えた。


「いただきます」


全員で手を合わせてから、それぞれ料理に口をつけた。


「美味しい……」


キオの口から、心の底からの言葉が漏れた。あの頃と変わらない、優しくて、温かい……トーマスさんとアンナさんの人柄がすべて詰まったような味だった。


その温かさが、キオのさらに昔の記憶まで呼び覚ます。


『そういえば……昔、家の近くにあった古い喫茶店を思い出すな。あそこのマスターが作るナポリタン、本当に美味しかった……』


「本当に素晴らしいです」


オーウェンも、素直な賞賛を口にする。


「城で食べるシェフの料理にも負けない美味しさです。それに……とても、心が温まる味ですね」


その最上級の褒め言葉に、トーマスとアンナは感激した様子だった。


「ありがとうございます……」


アンナの目には、うっすらと涙が浮かんでいる。


「本当に美味し〜! 幸せ〜!」


口いっぱいにビーフシチューを頬張るカリナは、本当に幸せそうだった。


セドリックも「変わらず美味しいです」と、夢中になってパンをスープに浸していた。


「お父さん、この人参すごく甘いけど、どうやって料理してるの?」


ルイが興味深そうに尋ねる。


「ふふん、実はな、火加減の調整と、食材の旨味を引き出すのに少しだけ魔法を使ってるんだ」


トーマスが嬉しそうに秘密を明かす。


「もともと魔力も弱くて、あまり魔法は得意ではなかったんだが。長年の経験で、食材に合わせて微調整することができるようになったんだよ」


「僕も、ぜひ勉強させてもらいたいです」


セドリックが真剣な眼差しで言った。


「僕、魔法を精密にコントロールすることに凄く興味があるので」


「おお、そうか! じゃあ、いつでもいらっしゃい」


トーマスが快活に笑う。


「僕が教えられるのは料理のことだけだけど、それが君の役に立つのなら喜んで教えてあげるよ」


食事が進むにつれて、場の雰囲気はさらに和やかになっていった。最初の緊張もすっかり解け、まるで一つの家族のように温かい空気がテーブルを包んでいる。


デザートの自家製プリンが出された頃、トーマスが改めて居住まいを正して口を開いた。


「オーウェン様」


「はい?」


「今日は本当にありがとうございました。まさか王族の方に、うちのような小さな店の料理を召し上がっていただけるなんて……」


その言葉には、深い感動が込められていた。


「僕の方こそ、心のこもった素晴らしい料理をありがとうございました」


オーウェンは、心からの感謝を込めて言った。


「それに、ルイがこんなに温かいご家族に育てられたからこそ、あんなに優しくて思いやりのある子に成長したんだと分かりました」


その言葉に、アンナとトーマスは、何よりも嬉しそうに微笑んだ。


「もったいないお言葉です。ありがとうございます」


「僕も、7年前のご恩は決して忘れていません」


キオも深々と頭を下げる。


「あの時の優しさがあったから、今の僕があります」


「そんな……。私たちは、当然のことをしただけよ」


アンナが謙遜するように、優しく手を振る。


「迷子になっている子供がいたら、誰だって助けるでしょう?」


「でも、僕の身分を知った後も、何も変わらずに接してくださった」


キオの言葉に、トーマスが静かに、だがはっきりと答えた。


「大人として、当たり前のことをしただけだよ。どんな立派な身分の方であっても、子供は子供だからね。守られて当然だ」


その飾り気のない、しかし芯の通った言葉に、一同は静かに感動していた。


「お父さん……」


ルイが、父を誇らしそうに見つめている。


その時、キオがふと楽しそうに思い出したことがあった。


「そういえば、あの時僕、お手伝いをさせてもらったんですよね。野菜を洗ったり、お皿を運んだり」


「ええ!?」


セドリックが素っ頓狂な声を上げる。貴族のキオが皿洗いを?と信じられない様子だ。


アンナも楽しそうに手を叩いた。


「そうだったわね! とても手際が良くてびっくりしちゃった。あんなに小さいのに、一生懸命お手伝いしてくれて」


「ははは、僕ももちろん覚えているよ」


トーマスが微笑みながら、あの頃を思い出すように頷く。


「そういえば、あの時君を迎えに来てくれた、立派なお兄さんは元気にしているかい?」


「はい、ノックス兄さんも元気にしていると聞いています」


「それは良かった」


トーマスが心の底からほっとしたように言う。


「家族が元気でいてくれるのが、何より大切なことですからね」


名残惜しいが、帰りの時間が近づいてきた時、アンナが奥から小さな包みを持ってきた。


「ささやかですが、お土産です」


「えっ、そんな……。お料理までご馳走になったのに」


キオが遠慮すると、アンナが悪戯っぽく微笑んだ。


「あの時作った、あなたがとても気に入ってくれたクッキーよ」


「あっ!」


キオがはっと息をのむ。7年前、まだ小さかったルイと一緒に、キッチンで型抜きをした、あの素朴なクッキーだ。


「覚えていてくださったんですか」


「もちろんよ。あの時のあなたの嬉しそうな顔、今でも忘れていないわ」


キオの目に、じわりと涙が浮かんだ。


「ありがとうございます……! 大切にいただきます」


オーウェンたちにも、それぞれ可愛らしくラッピングされた小さなお菓子の包みが渡された。


「皆さんにも、心ばかりの品ですが、どうぞ」


「ありがとうございます」


みんなが感謝を込めて、その温かい包みを受け取った。

店を出る時、トーマスとアンナが外まで見送に出てきてくれた。傾きかけた夕陽が、石畳の街を優しくオレンジ色に染めている。


「また、いつでもいらしてください」


「今度は、もっとゆっくりしていってくださいね」


「はい、必ずまた伺います」


オーウェンがにこやかに約束する。


「僕も、必ずまた来させてください」


キオも深く、深くお辞儀をした。

馬車がゆっくりと動き出すと、5人は窓から大きく手を振った。トーマスとアンナも、馬車が角を曲がって見えなくなるまで、ずっと手を振り続けてくれていた。



帰りの馬車の中は、心地よい疲労感と満足感に満ちていた。美しい茜色の夕陽が窓を通して差し込み、皆の顔を温かく照らしている。


「ありがとう、ルイ。凄く楽しかったし、お料理も本当に美味しかった」


キオが、まだ感動の余韻に浸りながら言う。


「お二人とも、本当に素敵な方々だったな」


オーウェンも心から同意する。


「立場や地位に一切関係なく、一人の人間として接してくれる。ああいう方々こそ、本当に尊敬できる」


「私も大好きになっちゃった! お二人とも!」


カリナが弾んだ声で言う。


「僕も、また行きたいです。今度は料理を教わりに」


セドリックも嬉しそうだ。


「皆さん、こちらこそ本当にありがとうございます」


ルイが、友人たちに感謝を込めて頷く。


「両親も、すごく喜んでいました。特にお母さんは、キオ君の大きくなった姿を見られて、本当に嬉しそうでした」


「僕たちこそ、ありがとう。素晴らしい時間を過ごせた」


キオが微笑むと、ルイも心の底から嬉しそうに微笑み返した。


御者台に座るマーカスも、後ろから聞こえてくる楽しそうな会話に、かすかに口元を緩めていた。


近衛騎士という立場上、公の場での完璧なオーウェンしか見てこなかったが、あんなに自然体で友人たちと笑う姿を見るのは久しぶりだった。彼自身も、何か新しいものを感じていた。


夕陽がゆっくりと山の向こうに沈みかけている。馬車は、黄金色に染まる秋の田園風景の中を、学校に向かって静かに進んでいく。窓から見える景色は、行きとはまた違って見えた。


同じ風景なのに、心が温かいと、全てがより一層美しく見えるから不思議だ。


寮に戻った夜、キオは自室で今日の出来事を振り返っていた。机の上には、アンナさんからもらったクッキーの包みが置かれている。そっと包みを開けると、バターと小麦の甘い香りがふわりと広がった。


一枚手に取り、口に入れる。サクサクとした食感と素朴な甘み。その瞬間、7年前の記憶が鮮やかに蘇る。小さな手で一生懸命こねた生地の感触、隣で笑うルイの笑顔、アンナさんの優しい声、トーマスさんの人懐っこい笑い声……。


『キオ』


不意に、心の中でシュバルツの穏やかな声が響く。


『今日は本当に良い一日だったな』


『うん。ルイのご両親にまた会えて、すごく嬉しかった』


『あの家族は、本当に素晴らしい。誰も彼もが、温かく優しい心を持っている』


『そうだね。とても優しくて……本当に、温かい人達だ』


シュバルツの言葉に、キオは深く頷いた。


キオは窓の外の夜空を見上げ。


空気の澄んだ秋の夜空には、無数の星が美しく輝いている。月も雲間から柔らかな顔を出し、地上に優しい光を投げかけていた。


『昔は……研究に没頭して、人付き合いもほとんどない孤独な時期もあった。でも、今度の人生では、こんなにも心を通わせることができる人たちがそばにいる』


シュバルツの温かい気配に包まれながら、キオは今日の幸せな思い出を胸に、ゆっくりとベッドにもぐりこんだ。


夢の中でも、あの温かい『リンネル洋食屋』の光景が続いていた。アンナさんの優しい笑顔、トーマスさんの人懐っこい声、そして友人たちと笑い合うルイの嬉しそうな表情。すべてが、キオにとってかけがえのない宝物のような思い出になった。



翌朝、キオが食堂で朝食を取っていると、オーウェンがやってきた。


「おはよう、キオ」


「おはよう、オーウェン。昨日はありがとう」


「こちらこそ。本当に楽しかった。それに、君の昔を少し知ることができて、なんだか嬉しかったよ」


オーウェンがキオの向かいの席に着きながら言う。


「僕もだよ。オーウェンがあんなに自然に溶け込んでいる姿を見て、改めて君の人柄を理解できた気がする」


「そうか? 僕は普通にしていただけだが」


「それが素晴らしいんだ。身分を気にせず自然に人と打ち解けるのは、簡単なようで、実はとても難しいことだからね」


そんな話をしていると、ルイ、カリナ、セドリックの三人もやってきた。


「おはようございます、キオ君、オーウェン君」


ルイが嬉しそうに挨拶する。昨日の楽しい思い出が、まだその表情に残っていた。


「おはよー!」


カリナも元気いっぱいだ。


「昨日のクッキー、すごく美味しかったです」


セドリックが早速、感想を述べる。


「僕も食べたよ。なんだか懐しくって、夢中で食べちゃった」


キオが微笑むと、ルイも「よかったです」と嬉しそうに笑った。

「ところでさ」


カリナが何か思いついたように、パンをちぎりながら言った。


「私たちも今度、みんなで何かしない? 昨日みたいに楽しいこと!」


「いいね。何をしようか?」


キオが興味を示すと、セドリックが「あ」と声を上げた。


「そういえば、街で冬にその名の通り、冬祭りがあるって聞いたことがあります」


「それは楽しそうだ」


オーウェンもすぐに賛成する。


「ただ、僕の場合はまた護衛が参加することになるが……」


「マーカスさんは、とても良い方でしたよ」


ルイが安心させるように言った。


「昨日も、すごく目立たないように配慮してくださいましたし。きっとお祭りでも大丈夫だと思います」


「そうだね。それに、マーカスさんも今度は少し楽しんでくれるといいな」


キオの言葉に、全員が楽しそうに頷いた。


『早く冬が来ないかな』


まだ秋が始まったばかりだというのに、キオはもう次の季節を心待ちにしながら、温かいスープを一口すすった。


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