第4話 スキル《安息の空間》
講習を終えた翌日、私は渋谷駅の地下深くにあるダンジョンゲートの前に立っていた。
巨大なアーチ状の石造りの門は、時の流れを感じさせる重厚な存在感を放つ。
中央に据えられた黒曜石のように艶やかなゲートは、内側から淡く揺らめき、まるで深海の闇の底へと誘うかのようだった。
「いよいよだ……」
胸の鼓動が急速に高鳴り、手がわずかに震える。
装備と呼べるものは、講習で支給された簡素な布の服と、近所のホームセンターで買った木の棒一本だけ。
魔法用の杖など夢のまた夢。まだ手が届かない世界だった。
私はまだ高校一年生。
ダンジョンに一人で潜る者は珍しく、多くは親や兄姉などの保護者が付き添うのが当たり前だ。
だが、頼るべき大人は誰もいなかった。だから、一人で誰にも頼らず、この未知の世界へ足を踏み入れたのだ。
ゲートをくぐると、空気がひんやりと変わった。
湿った土の匂いが鼻をくすぐり、足元では水滴がぽたぽたと落ちる音が響く。
ここは渋谷ダンジョンの第一階層。天然の洞窟そのものの空間だ。
壁には松明が等間隔に灯されており、ぼんやりとしたオレンジ色の灯りが岩肌を照らす。
先が見えない暗い通路が、無限に続いているように感じられた。
最初に姿を見せたのは、半透明でぷるぷると揺れる小さなスライムだった。
講習で教わった通り、恐怖に押しつぶされそうになる心を抑え、距離を取りながら木の棒を振り下ろす。
「えいっ!」
鈍い音を立ててスライムは崩れ、消え去った。
その跡には、小さな魔石がひとつだけ、静かに輝いている。
「……やった」
安堵と達成感が押し寄せ、手の中の木の棒が軽く感じられた。
だが、期待で胸が膨らんだのもつかの間、好奇心が先走り、どんどん先へと進んでしまった。
これが初めての過ちだった。
ダンジョンの奥へ深く進めば進むほど、危険は確実に増していく。
だがその時は、まだそれを理解していなかった。
「ちょっと待って……こんなに進んで大丈夫なのかな?」
胸の奥に芽生えた不安に気づき、足を止めようとする。
だが、すでに後戻りはできなかった。
敵の姿はスライムから、凶暴なゴブリンや空を飛び回るコウモリ型の魔物へと変わっていく。
数も増え、狭い通路に囲まれた私は、息が上がり、背中に冷たい汗が流れた。
あいにく他の冒険者は誰もいない。
「どうしよう!!お父さん!!お母さん!助けて!!」
逃げ場のない状況に追い詰められ、ぎゅっと目を瞑った時、頭の奥で何かがかすかに響く。
――スキル《安息の空間》を獲得しました。
突然のシステム通知に、目の前の世界がふっと変わった。
冷たく湿った空気が消え、代わりに暖かく柔らかな光が満ちる。
目を開けると、そこは六畳ほどの小さな部屋だった。
木の床に、簡素ながらも温もりを感じるベッド。
小さな机がひとつ置かれ、外の景色は見えないけれど、どこか安心できる匂いが漂っている。
「えっ……ここは……」
その言葉と共に、視界にふわりと浮かび上がったのは、透明な光の板だった。
淡い青色の枠に囲まれたスキルボードがゆっくりと回転しながら情報を映し出す。
スキル《安息の空間》
レベル:1
タイプ:異空間召喚(隠しスキル)
【効果】
• 自分専用の異空間へ出入りできる一度訪れたことのある場所に出る事が出来る。
• 異空間は安全地帯。敵は侵入できない。
• 体力・魔力の自然回復速度が大幅に上昇する。
• 出入りの際は認識阻害がかかり周りの人には認識できない。
【備考】
• 使用者のレベルに応じて異空間の広さと設備が拡張される。
•本スキルは通常のスキルリストには表示されず、使用者本人のみが認識できる。
そのため「隠しスキル」として扱われる。
優衣はゆっくりと異空間の中を見回した。10畳ほどの広さのワンルームで、壁は白く清潔感がある。
角には小さなキッチンがあり、簡素ながら調理ができそうだ。反対側にはシャワールームとトイレがひとまとめになった小さな水回りがある。窓はないが、柔らかい光が部屋全体を包み込み、不思議と閉塞感はなかった。
小さな机と椅子が一セット置いてあり、その横には簡易のベッドが整えられている。布団はふかふかで、疲れた体をしっかりと包み込んでくれそうだ。家具は最低限だが、どこか温かみを感じる。
優衣はベッドにそっと腰を下ろした。柔らかい布団が体を優しく包み込み、心地よい安らぎが広がる。ふと体に意識を向けると、疲れも少しずつ和らぎ体力が回復してきていることに気がついた。
そして、冷静になればなるほど、あの危険な瞬間を思い出して背筋が凍った。
「もしスキルがなかったら……本当に、死んでいたかもしれない……講習でも散々言われたのに」
恐怖が胸に押し寄せ、優衣は小さく震えた。自分の無謀さに深く反省し、次からは決して無理をしないと心に誓う。
「今日はここで、ゆっくり休もう。もう無理はしない」
優衣はベッドに横になりすぐに目を閉じて静かな休息に身を委ねた。