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小惑星群の盛り合わせ  作者: 月卜鞠
小惑星群の盛り合わせ ~21世紀風ソース
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天国

 ある素晴らしい物理学研究者が、たった今、その生涯の幕を閉じた。家族に見守られながら、病院の清潔なベッドで、永遠の眠りについたのである。

 享年76歳であった。


 寿命というには少し早い気もするけれど、彼は若い頃からずっと寝食を忘れた、不健康な研究生活を続けてきた。そんな生き様を知る彼の同僚たちに言わせれば、よくここまで長生きできたと口を揃えて手を叩くような、大往生であった。


 しかし、そんな彼もやっぱり、悔いなく死ねたわけじゃなかった。

 生活に対する悔いではなかった。彼の私生活面は最愛の妻と息子がいたことで、幸福に溢れていたし、二人に看取られながら、逝けたのだから。

 悔いがあるのは、彼が生涯続けた研究の方だった。彼はついぞ、人生最大の謎を解き明かすことができなかったのだ。

 宇宙人を見つけられなかったのである。


 物理学研究者ながら、生物学にも明るかった彼は、宇宙での生命誕生の謎を解き明かすことに人生を捧げていた。

 三十代の頃に彼は、非生物しか存在しない環境から単細胞生物が生まれるメカニズムを詳しく解明し、有名な科学賞を取った。そして、凡庸な天才ならここで満足するものだが、彼の熱意は収まることなく、『つまり、この理論は宇宙環境にも当てはまるから、遠い宇宙にも必ず生物はいるのだ』と学会でさらに主張した。

 演説は理路整然としていて、宇宙人否定派の科学者の胸にも響くものだった。賛同者は多くいたし、弟子と呼べるような後輩科学者もたくさん出てきた。

 しかし、ついに実証を得られることはなかった。

 宇宙人と出会うには、人間の一生は短すぎたのである。


 彼は当然、無神論者であった。

 死後の救いに夢を見たことはなかった。

 彼は死の直前、生の短さを恨んだ。

 妻と息子の声が遠のき、意識が薄れゆく中で──ああ、もう少し生きていれば、私の後輩たちが、宇宙人の存在を発見したかもしれないなぁ。現代の科学の発展は、まことに目覚ましいものがあるからなぁ……──と考えた。もっともなことだ。目覚ましき21世紀の発展を考えれば、あと10年もすれば、本当に人類は、宇宙へ自由に行ったり来たり出来ていたかもしれない。

 しかしどれほど悔やんでも、死は一様に残酷で平等であった。


 彼は死の瞬間、意識が体から離れ、浮かび上がっていくのを感じた。


 **


──あれ、ここはどこだろう。


 彼が眼を覚ますと非常に体が軽い感じがした。

 足元の感触がとても柔らかくて、心地いい。

 まるで雲の上にいるみたいだ。


「おや、目覚めましたか」


 隣から声がかかったから、彼はびっくりして横を向いた。

 そこには羽の生えた見目麗しい女性がいた。頭の上には、光の輪っかがついている。

 天使様だ、と無神論者の彼でさえも、一目で直感した。

 天使らしき女性は、身を屈めて視線を合わせた。


「初めまして。あなたが天国にやってきてからずっと眼を開かないものだから、心配していました」

「は、はぁ」


 天使が手を差し伸べてくれたから、それを支えに立ち上がった。

 彼は改めて周囲を見渡した。

 辺り一面には抜けるような青い空が広がっていた。雲海の大地が視界の果てまで広がっていて、夢のようなことだが、彼と天使はその上に立っていた。

 雲の地面の柔らかさを、足の裏が確かな実存として捉えている。綿よりも柔らかく思えた。

 本当に、絵本の中の雲みたいな存在であるらしい。

 なるほどと、彼も肩を落としながら理解した。

 ここが天国なのか、と。


 いくら無神論者の彼と言えど、もう受け入れざるを得なかった。

 自分の体を見ると、いつの間にか天使が纏っているのと同じような、白いローブを身に着けていた。まさしく絵本の中で天国の死者がきているような、汚れもシワもない服だった。生前に触れたどんなシルクよりも、滑らかな肌触りを持っていた。


 天国は、実在したのか……。

 彼の胸はチクリと痛んだ。

 物理学者として彼は小さな落胆を味わった。

 物理学こそ宇宙の全てを解き明かす学問だと信じていた生前が、滑稽に感じてしまうのも無理なかった。


 彼ははぁとため息を吐いた。浮かない様子を、天使も気にとめた。


「あら、ため息なんて、一体どうなされたのですか。天国までやってこれたということは、あなたは生前、とても良い生涯を送ったという証拠です。天国は素晴らしい場所ですから、これからの死後は気ままに、自由に過ごすことができますよ」


 優しい言葉が彼の心を慰めた。けれど、死後の救済がかえって、彼が胸の奥に抱えた後悔をぶり返させた。


「ありがとうございます。ただ、私は生前、ずっと研究を続けてきたものですから。その答えを得られなかったことを忘れて、のんびりと過ごすなんてことを、すぐには考えられず……」


 ははぁ、と天使が頷いてくれる。


「それはそれは、お辛かったでしょう……。しかし、一生は一生。地上のことはもう、生者に委ねるしかありません。そして……」

 

 と言って、天使は向こうの方を指さした。


「きっとあなたにも、貴方の想いを受け継いでくれるご家族や、ご友人がいるはずです。これからは、天国からその人たちを見守ることにしませんか。向こうの広場には、地上の人々を眺められる特別な場所があるのです。よければ、行って覗いてみませんか」

「えっ、ほんとですか」


 彼もまた落ち込んでいた顔をあげた。話が本当なら、なんて嬉しい事だろう。

 彼はもちろん自分の手で宇宙人を見つけることがいちばんよかったけど、後輩たちが遺志を継いで願いを叶えてくれたとしても、喜ばしいことに変わりはなかった。研究とはリレーのようなもので、バトンをつないだ全員に価値があるからだ。


 彼は天使の後に次いで、指さす方の広場へ向かっていった。

 ふわふわと足を弾み返してくれる雲の感触に、彼も心をうきうきさせながら歩いていると、向こうの方に小さく人影が見えてきた。


「あら、やっぱり先客がたくさんいらっしゃいますね」


 彼は天使に聞いた。


「ちなみに、特別な場所とはどういう場所なのですか」

「ええ、向こうの雲の大地には、ぽっかりと大きな湖が広がっているのです。名前を見守りの湖と言います。湖は天国にしかない不思議な水で満たされていて、透明な湖面は鏡のようになっており、あなたが望むどのような場所でも、映し出してくれます。それをあなたは湖の縁からじっくりと、見おろすことができるのです……」


 ははぁ、と男は何の気なく相槌を打ってから、ふと気づいた。ひらめきが男を貫いた。


「まさか、その見守りの湖と言うのは私が望めば、本当にどこでも映し出してくれるのですか。たとえそれが、遠い宇宙の星であろうと」

「ええ、もちろん」


 天使は当たり前のように答えた。男の、研究者としての魂が浮足立った。遺した家族より、友人より、生前もっとも宇宙人がいる確率が高いと踏んでいた、M星系第三惑星の、H星を見てみたいと思ったのだ。男は気が気じゃないまま、自ずと早足になりながら、天使の真横についた。どんどん湖は近づいてきて、天使の言った通り雲の大地にぽっかりと拡がった湖面が見えてきた。

 その周りにはたくさんの人がいて、湖を覗き込んでいた。

 あれ、と男は思った。


「あ、あの人たちは、なんですか」


 男が口を唖然と開けながら、天使に向かって聞くのも無理はなかった。

 湖の周辺にいる人影の姿がよく見えてくると、そこにはタコのような頭を持った人に、猫の耳が生えた女に、卵みたいなものが頭についたのっぺらぼうがいた。皆一様に、湖を覗き込んでいる。

 天使は何の気なく答えた。


「勿論、あなたと同様に、天国に選ばれた死者の方々ですよ。どんな辺境の星が故郷であっても映し出してくれますから、星の出身に関係なく、皆が見守りの湖にやってきます。──ああ、そういえば。失礼ながらお互いの出身について話していませんでしたね。私は、M星系第三惑星のヒカリハネ星出身の者です。ヒカリハネ星では宇宙の研究よりも天国の研究を重んじていますから、さきほどはおせっかいにも、いろんなことを教えさせていただきました。ちなみに、あなたのご出身は……」

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