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小惑星群の盛り合わせ  作者: 月卜鞠
小惑星群の盛り合わせ ~21世紀風ソース
12/34

夜を運ぶ

「S区MM-X-X-Xにて、ご新規様一件入りました」

「了解。すぐ向かいます」


 俺はカーナビの下にセットした業務用スマホの、スピーカーモードを切る。

 ゴムのすり減ってきたハンドルを大回しに切り、深夜のネオン街に繰り出す。

 もう午前二時である。なのに変わらずこの街は元気だ。眠る様子は一切ない。"一休み"する気分は、ふんだんに溢れているけど。


 細い道へ入ろうとしたら、路上で吐いているバカがいて、轢いてやろうかと思ったけれど、すんでのところに残った理性で我慢した。二、三度のクラクションでどけと罵れば、返事どころか、もう一波吐きやがった。本当にやってやろうかと思ったけれど、俺は案外優しく、少し待ってバカが脇に逸れたところを、ゲロもよけつつ迂回してやった。

 やっとの思いで、大通りへと出る。

 なんだか笑ってしまいそうになったのは、赤信号で止まった交差点は四方車で詰まっていたからだ。馬鹿らしく思えた。こんな夜に、皆どこへ急ぐのだろう。俺含めて。


 この前、母から電話が来た。電話の内容は特に理由もなく、俺の現在の生活を心配するものだった。俺は適当に誤魔化した。今の仕事について話しても、逆に心配させるだけだ。この仕事は、最近ニュースでいいイメージがない。


『何しとんの?』

『ドライバー……運送業、的な』

『……ふぅん』


 母はまだ、地元で高齢郵便局員として勤めている。離婚した父にも、家を出た俺にも頼らず、堅実に暮らしている。だから、正規なんだか非正規なんだか自分でもよくわからないこの仕事を、胸を張って話す勇気は出ない。


『なんていう会社?』

『ちっさいとこだよ、母さんに言っても知らないと思う』

『……ふぅん』


 二、三秒ほど空いた間は、会社の名前を猶も聞こうと迷ったのだろう。それでも、母が聞かなかったのは優しさだろう。なぁなぁであの日の電話は終わって、俺は安心した。

 そう言うことを思い出すくらいには、目的地までの道のりはいつも通り退屈だった。


 地元より明るいくせに、路駐や、歩行者の横断だらけで、地元より走りにくい道を、無感情で走る。しばらくしたら、指定されたビルの前についた。

 客は男性だと聞いていた。

 けれど、あたりを見回しても、ぽつんと立っている人影は一つしかなくて、その背格好はどう見ても女だった。スラリとして、肩が狭い。スカートを履いて、全身黒でコーディネートしている。闇に自然に溶け込んでいる。つまり、昼の職の人間でないということだろう。

 その人影の真横につけた。

 窓を開ける。

 そして、なんとなく悟った。

 黒マスク越しの白い肌。日本人形のように艶のある髪。なのに、きりっとした目元をよく見れば、頬骨の硬さが伺えた。背は俺よりやや低いくらい。

 彼女──いや、彼は会釈を一つするだけで、無言だった。

 確かに、察してみれば、タートルネックは厚みのあるニット生地で、肩のラインを隠している。腰もラインを浮かび上がらせているようで、その実、生地の柔らかさで意図的に錯誤させたものだ。シルエットは、体のラインを魅せるというより、隠すことに長けていた。

 なるほど、客であることは分かったし、明言すべきでないことも了解した。


「お客さんですよね。どうぞ」


 彼はまた無言で会釈し、車の後部へと乗り込む。

 サイドミラーに映た、スカートの下の太腿は、勝手に俺の男の目の部分が追うくらい、白かった。ついでに、まだまだ冬だというのに晒されていて、寒そうだった。だからこそ、筋肉の付き方も印象に残った。


 扉が閉まり、車には二人だけになる。俺が考えるより先に、口が決まり文句を口にしていた。


「お客さん、ご利用初めてですよね。注意事項の説明など、いりますか」


 バックミラー越しに、彼はそっけなく首を振った。髪がさらさらと揺れる。彼を見る度、もう俺の目にはいちいち努力が伺えてしまう。

 本来ここできちんと説明するのが、真面目なスタッフの在り方だが、ともあれここはこういう街だ。

 ときに不干渉の方が親切になることも多い。彼は席につくやいなやスマホを開いたから、懇切に接客せずとも、気になったことを自分で調べることができるだろうし。


 俺は「そうですか」とだけ言って、ウィンカーを右へ出した。車は優しく揺れ、彼を乗せ、深夜の街へ再度繰り出す。


 目的地へのルートは頭に入っていた。伊達にこの会社ができてから、働き続けているわけではない。区内の道であれば、そこらのタクシーの運ちゃんにだって負けない。カーナビもずっと動く地図だけを映していた。

 向うのは、近くのホテル街。

 目的の場所についた後は、車を停め、俺は去るのみ。彼はそこで夜を明かすことになり、朝になれば俺が迎えに行き、目当ての場所まで俺が送る。

 いつもの仕事と同じ流れだ。


 なので俺から彼に伺うこともない。俺たちに会話は本当に必要なかった。

 だからこそ、彼も一応、聞いておきたくなったのだろう。


「もう、寝ていいの?」


 彼が言う。声音は、思ったより低かった。下手に取り繕わないタイプだ、なんて、習ったこともない心理術を、心の中でだけ行う。


「勿論。俺を信用していただけるのであれば」


 バックミラー越しの、スマホ越し。目以外が隠れた表情でも、くすりとしたのが分かった。


「なに。お兄さん、アタシがイケるクチ?」


 挑発的な問いかけと、ニヤリとした目。喉仏の凹凸を感じさせる声音ながら、聞き心地はいい。俺にも色っぽさが分かるのは、彼の技術か、俺自身の知らない扉か。

 いやいや、開けるなんて、面倒だと思った。


「イケない口です」


 端的に返せば、ツンとした目がスマホ越しに、バックミラーで反射して、刺さってくる。おれは道を見るふりして目を逸らした。とはいえ、お客様だ。ある程度のサービス精神で、フォローすることにした。


「でも、食わず嫌いの線は存在してるでしょう。俺含め、あらゆる男に」


 彼の細まった目線が和らぐ。こうして目だけで見ると、本当に男とはわからない。


「そう。みんな案外、イケるのよね。アタシの努力の賜物だけど」

「そりゃあ、プロには勝てないでしょう。俺含め、大抵の男は無防備、無対策でしょうし」


 男を落とすように訓練を積んだ者に、落とされるとも思っていない者が、敵う通りはないだろう。

 と思ったのだが、“プロ”と呼んだのは決めつけだった。ちょっと、マズイか、と思った。

 根拠としては、車を停めたあの周辺で、彼が出てきそうな場所と言えば、裏の歓楽街くらいだったから。ブランドのショルダーバッグも、予想を後押しした。

 反論はなかった。

 安心した。


「当たり前よね」


 そう呟いた声色は、誇らしそうなようでいて、どこか諦観を孕んでいた。

 そうして、リクライニング式の背もたれへ、重そうに体を預けた。

 なんにせよ、今日も彼は疲れたのだろう。


「本当に負けるか、試してみる?」


 彼が退屈そうに言った。もうバックミラーも見ていなかったから、俺は彼を労うことにした。


「結構。次がありますから」


 彼が薄く笑う。


「よく、アタシみたいなのを乗せるの?」

「俺はそれほど。けれど、女性ドライバーの方では、多いと聞きます。同じ道のプロ、というか。やっぱり、こういう街ですから」

「今は、分かれてるのね」

「ええ、最初はこんな会社でも強気に、男が女を乗せることもありましたけどね。母数こそ闇の中ですが、いくつか間違いが明るみに出て、今はこうです」

「ふぅん。……なら、あなたもそういうことになった夜があるの?  私は、フラれたけど」


 フッたなんてそんな。彼の努力を目の前にすると、畏れ多い言葉だ。

 彼は窓の向こうの色の無いビルか、もしくは闇に映り返す自分を眺めていた。今にも眠りそうな瞳で。

 皮肉にも、一番の色香があった。


「同僚が、目の前で首を刎ねられましたから。俺は改めて、真面目にやろうと思ったんですよ」

「そう……」


 はは、と面白くもないのに、俺の口から愛想笑いが出た。真面目に生きているつもりが、薄給である。彼がクッション代わりに抱きしめるバッグに、さて、俺の一年は優っているか否か。

 くだらないことを考えているうち、ホテルに着いた。

 背の低いビルの地下、三階層もある駐車場に潜り込む。

 彼の目はまだ開いていた。

 これから、ホテルの人々と共に、彼はここで一夜を明かす。


「着きました。では停めた後、鍵をお渡しします。明日の朝七時にお迎えにあがりますので、お気をつけて」

「ねえ」


 ドアにもたれかかりながら、目はいたずらを思いついた猫のように、俺を眺めていた。


「行かないでといったら?」

「残念ながら……」

「ふふ」


 ここで即答できるから、俺は真面目に、身分相応に、この後夜食のカップ焼きそばを買いに行って、それを食い、夜を明かして、明日も生きていけるのだろう。


 地下二階の駐車場は、ぽつぽつと埋まっていた。指定の番号に車を停めた。

 車が息を吐き切るように、静まる。そろそろ、客とドライバーではなくなる。


「では、いい夜を」

「おやすみ、運転手さん」


 その台詞を聞いて、俺は自分の中の奇妙な感覚に気づいた。

 名前を聞かれるかもと期待していたのだ。なんという思い上がりだろう。こちらから尋ねる気もなかったというのに。どうしようもなく、バツが悪くなった。

 車のキーを引き抜く。


「シャワールームへの道などは、ナビをご確認くださいね。タオル込みで、利用無料です」

「ありがとう」


  彼女は後部座席、ベッドチェアのリクライニングを倒し切って、完全なベッド型にした。備え付けの毛布を手繰り寄せ、体にかけた。


「こちらが、鍵になります」


 俺は、ポケットの中から専用の鍵を渡した。エンジンスタートだけできないが、車のその他機能を自由に使え、かつ、ホテルの各設備を使うための鍵でもある。


「それでは、おやすみなさい」

「今度こそ、おやすみ」


 俺は一礼を返した。彼女がゆるゆると手を振る。気が抜けて、自分を繕う意識の薄れた彼の姿を、初めて可愛らしいと思った。扉を閉め、俺は203号車を後にした。


 この後も予約が入っている。

 送迎付き、車中泊型ホテル。

 夜の長いこの街では、今日もそれなりに需要がある。



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