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small world  作者: 坂田リン
9/24

日々と敵②



「はい?」


阿呆のように気の抜けた疑問符の付いた言葉が、世話になっている家主の前で出てしまった。目の前にいる絶対に見た目よりも実年齢が老いている父親に言われた言葉が予想外過ぎてしまった。


今いる場所はフィリアの父、ケインの自室。左の壁際には使用人のファンがいる。朝食を食べ終え身なりを整え、指定された時間にケインの部屋に赴いたかと思ったら、第一声が屋敷に住まないか? 一体どういうことなのか? 


(まさか用はこれのことか?)


わけがわからな過ぎて聞かざる負えなかった。


「あのーケイン様。もう少し……具体的にお願いできますでしょうか?」

「すまない。言葉足らずだったね。そうだな、執事になってもらうというのはどうかな?」

「し、執事!?」


余計わけがわからなくなってしまった。話の掴みどころが不明のまま、ケインは穏やかな様子で進める。


「そう身構えなくていい。執事と言っても今までと変わらない生活をするだけでいい。フィリアと一緒にね。私が望むのはそれだけだ」

「の……ぞむ?」

「後は心配しているのは仕事の話かな。それなんだが、一つ提案があるんだ。私が資金援助をしている知人の店があってね、そこで少し手を借りたいとその知人が言っているんだ。そんな専門的なことではない。たまに乱暴な客が訪ねてくるらしく、そんな人に冷静に対処できる人が欲しいと」

「は、はあ」

「もしエドワードさんの護衛の仕事が優先ならば、強くは薦めないが」

「いや、そういうわけではないのですが」


別に護衛の仕事にこだわりはない。友人が死に、最初は離れようと思っていた。もう戦いなどせず、別の仕事を探して静かに暮らそうと。そうすれば、少しは火傷した心の苦悩を冷ますことができると思ったから。


でもできなかった。単純にできる仕事がなかった。槍しか脳のない低脳な自分に呆れ果てたが、それが運命なのかと受け入れた。冒険者には戻る気がなかったので、渋々仲間ではなく雇用の関係で他人と結びつく護衛の仕事を始めた……それだけである。


だが今はそんな身の上話はどうでもいい。まだ詳しく聞かなければならないことがエドワードにはあった。


「なぜ私にそんな話を?」


ここに呼び出された理由が、この屋敷に住むことの永続。どうなればそういう話になるのか接点が思い当たらなかった。むしろ彼はいつここから出ていくかを話に来たつもりだった。


「私は部外者です。隣人でもなければ使用人でもない。ただ居座っている他人です。あなた方には恩を渡されているばかりで、何も返せてはいない。そんな奴がいることを迷惑とは思わないのですか?」


彼らが優しいことは、短い期間の中でもそれなりにわかったつもりだった。だがそれでも限度はあるだろう。煩わしいという感情が表面に出てきてもおかしくない時間を過ごしている。心が広い人間でも怪しい部分は必ずあるはずだ。


一人娘もいると言うのに、目の前にいる人は何一つこれまで文句は言わなかった。それはなぜかと問うたエドワードに、ケインは笑って答えを返した。


「迷惑なんてとんでもない。エドワードさんにはむしろ感謝しているよ」

「かん……しゃ?」


またしても抱いているだろうと思案していた物とは正反対な言葉が出てきた。


「私は感謝されるようなことは何も。怪我ばかりしてあなた方に負担をかけているだけで」

「それは仕方ないさ。まあ、二回目は流石に驚いたが。助けるのは大した重荷ではない。それよりも、フィリアについてだよ」

「フィリア様……?」


ここでこの場にいない彼女の名前が出てきた。


「エドワードさんは、フィリアに安らぎをくれた。貴方が来てから彼女は元気になった。改めて感謝したい」

「わ、私が? 何も、してませんが」

「フィリアの傍にいてくれた。そしてフィリアの嗜好しこうに付き合ってくれたこと」

「いやそれは、私が好きでやったことですし。私も楽しかった。ですが感謝されるようなことでは。傍にいるなら皆さんの方が長いでしょう。ぽっとでの私程度……」

「私らでは、駄目だったんだよ」


下を向いて悔いるような苦い声で呟いた。己を責める言い回しのようにも聞こえ、エドワードは先に発言をする気にはなれず妨げられた。横にいるファンも思い詰めた表情をしていた。何もできず喪失感を抱えることしかできなかった、鏡で見た自分の顔に似ているように見えた。


「フィオナ──フィリアの母の話は聞いているかい?」


最初に出た名前がフィリアのお母さんの名前か。娘の名前に似て、優しそうな印象が伺えた。


「はい。フィリア様から聞きました」

「そうか……。知っての通り、母親は病気で七年前に亡くなった。フィリアは彼女によく似ていた。その時はもう……言葉に表せないくらいフィリアは悲しんだ。私もファンも手が付けられなくなり、一時期は部屋に篭りっきりになった。本当に……大変だったんだ」


その時、当時の状況を知らないエドワードはわからない。理解しようとしても、完全には理解できることはない。人を亡くす気持ちは通じても、それは他と同一の心情ではない。


母親を失った娘、配偶者を失った男の痛みは計り知れない物だろう。勇気を持って話してくれた本人からの悲痛な声色を聞いたが、それは表面上な物。彼女に次の言葉を躊躇ったのは、付き合いの短い自分が軽々しく返事をしては駄目だと思ったから。


父親になら尚更のことだろう。だから、何を言えばいいかわからなかった。


「今は顔も見せてくれるし、笑顔も増えた。でもどこか寂しそうだった。当然だ。母親を亡くしたことを寂しく思わないわけがない。そんな子どもはこの世にはいない」


最高の友人が亡くなった時もエドワードは泣いた。大切な人を亡くすことは、いつだって、誰だって悲しいはずだ。泣いた分だけその人を思いやっていたことの証であり、それは尊い眩しい物で、同時に儚く溢れてしまう物でもあった。


「そんな時に、エドワードさんが来てくれた。招かれたわけではなかったが、まるで懐く子犬のようにあの子に寄り添ってくれたんだよ」

「いや、それは逆です。あの人が私に寄り添ってくれたんです。見ず知らずの冒険者なんかの私に、話を聞いてくれて、助言もしてくれました。本当に素晴らしい人です。だから私は助けられてばかりで」

「それはエドワードさんからの視点ですよ」

「え?」

「フィリアが寄り添ってくれている時に、貴方も気づかぬうちに寄り添ってくれていたんです」


きっぱりと言い放った。彼女の父親の言葉は不思議とすっと心に入ってきて、信じれるにたる純水の如く透明さがあった。


「歳が一番近いというのもあるかもしれない。それを差し引いても、貴方との時間はいつも楽しそうにしていた。ただ屋敷の庭で貴方を眺めているだけでも、フィリアは微笑ましかった。久しぶりに太陽に当たるあの子の笑顔を見れたんだ。私はね……それが……嬉しくて」


男の頬を濡らしたそれは、とても温かく見えた。エドワードには同じものは瞳から流せなかった。ずっと身近にいて、愛しい人の死を受け入れ、辛くも耐え忍んだ者にだけができること。家族というかけがえのない繋がりを持つケインだからこそ、想いを吐き出すことができるのだろう。


横にいるファンが以前言った言葉の真意がようやくわかった。付き合いの短いエドワードだが、その美しさだけは、少しだけ冷えた己の心に温もりをくれた。


「私は……今でも実感が湧きません。感謝を言われるほどなのか……」

「これは本人からは口止めされているのですが、内緒にしてください。エドワードさんを屋敷に住まわせたいと言ったのは、フィリアなんですよ」

「え?」


頬を手で拭って、ケインはからかうように言う。ファンも楽しそうに口元を緩ませている。娘を心底可愛がっているようだった。


「私が望んでいるのも間違ってはいないが、そもそもこの話をエドワードさんに言ってくれと二日前に頼んできたのがフィリアなんです。これは私の願いでもあり、彼女の願いでもある」

「……」

「もちろん強制ではない。貴方が元の生活に戻ると言うなら、それでいい。ただその決断をしたとしても、フィリアと──私の娘と、また一緒に話をしてほしいんだ」



         ────



「わっ!」


部屋を出て扉を閉めた直後、右横からの急な少女の登場にエドワードの体が跳ねてしまった。


「うわ、い、いたんですか」

「ふふふ、驚き過ぎですよ」

「いや驚きますよ」


にこやかに笑みを見せるフィリア。朗らかな表情は顔が赤らんでいる部分を隠しているように見えた。ケインとの話が終わり部屋を出てきた矢先にこの少女がいた。状況から見るに、つまりフィリアはずっとこの扉の傍にいたということになる。


内緒にしてほしいと先刻言われたばかりだが、これではもう意味がなさそうだ。


「聞いてたんですか?」

「まあ……はい。聞いちゃいました」

「……またしばらく、厄介になります」


エドワードは屋敷に住み続けることに決めた。迷惑になるのではないかと最初は思っていた。しかし告げられた望まれている言葉、一人の少女の安らぎになれている事実を胸に秘めた時、エドワードに断る理由がなくなってしまった。それに彼も同様、どこかでこの生活が続くことを願っていた。去ることが寂しいと、思い始めていたから。


「嬉しいです。また話せますね」


フィリアは綿のように柔らかかった。こんな華の少女が惨状に押しつぶされていた過去など信じられなかったが、当事者でない自分もそんな姿は見たくない。この絶景が不変でいられるのであれば、力で生きてきた貧しい冒険者風情の自分がいる価値があると思えた。


「執事にはなれそうもありませんが」

「ただの友達でいいじゃないですか」

「それでいいなら。一応言いますが、私は特別なことは何もできません。それでも」

「構いません。今まで通り話しましょう。付けるなら……貴方の話も」


似た境遇の二人は偶然出会い、時を共にし、心を通わせた。この関係をどう読んだらいいのかわからない。奇妙かと思う人間もいるかもしれないが、この心地よさは確かに事実だった。



片やいつも愛おしかった母親が、片やいつも頼りになった親友がいた頃の幸福を、少しでも思い出すことができた。今この瞬間だけは、過去の苦痛も、虚しさも、惨めさも忘れて、快晴の空の彩りを持つ日々が続くとわかった二人は、ただ目を輝かせた。



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