過去③
「はあっ!」
あの熊の喉笛を貫くイメージを描き、風を裂く裂帛の刺突を放つエドワード。彼の一撃は旋風を発生させるほどの威力を持つ。それを本番でも為せるように、今日も屋敷の庭で鍛錬を行っていた。
やなり物騒な凶器を美しい絵にもなる庭で振るうのは趣があるとは言えないが、快晴の空の陽光を浴びながら体を動かすのは良いものだった。
ここにお世話になってから十四日が経過した。傷も殆ど治り、万全と言っても過言ではない状態まで回復した。だからこうして命である槍を思いっきり扱える。それは嬉しいことなのだが、どうにも観客がいるのは違和感が拭えなかった。
「これはこれは、御見逸れしました。エドワード様」
先ほどからずっとエドワードの鍛錬を見続けていた老人が感嘆の拍手を送る。レインハート家の使用人で、エドワードを助けてくれた張本人のファンだ。
「そこまでの槍術を我が物としているとは。私が冒険者をしていた時代にも指折りいたかどうか。誰か師範などは?」
「いや特には。強いて言うなら、友人と高め合っていたでしょうか」
「独学ですか。尚更大したものです。後三十年私も若ければ、お手合わせ願いたかったのですが」
「私などまだまだです。私の友はもっと凄かったですから」
嘘でも過言でもないただの事実を述べた。彼の槍捌きは自分とはまた別の次元のレベルだった。自分が他の冒険者から言い寄って来たのは、彼が近くにいて周りが勘違いしていたからだ。彼の強さは毅然とした態度にも表れている。そうでない自分は劣化版だと、エドワードは常に思っている。
「そうなのですか。そう言えば冒険者はもうやめたと仰っていましたが、そのご友人と共に? 今はどちらに?」
「それは……」
「ファン! エドワードさんと何を話しているの!」
会話が中断され、庭の端に座る大声を張り上げた少女に目がいく。華麗な金髪を風になびかせながらそこにいる彼女は屋敷の主の娘であるフィリアだった。
エドワードの鍛錬を観客として見ていたのは、ファンだけではなかった。
「他愛もないものでございますよ」
「なら後にいくらでもして! さあエドワードさん、続きをしてください! でも今度はもう少しスローで! 動きが速すぎて目で追えません!」
「それでは鍛錬の意味がないのですが……」
どうしたもんかと悩むエドワード。疑問に思いファンは尋ねる。
「さっきからお嬢様は何をしているのですか? 熱心にエドワード様の動きを見ていましたが」
「参考だそうです」
「参考?」
「今フィリア様が書いている本のです。戦いのシーンをもっと鮮明に書くために、私の動作を脳に焼き付けたいらしくて。昨日も一昨日も同じようにああなさっています」
「そうでしたか…………読まれたのですね」
「はい……」
ファンがエドワードの肩に優しく手を置いた。何とも言えない顔をしている。これがフィリアが言っていた苦虫を噛み潰したような顔なのだろうか。見たことがないのでエドワードに判別はできなかった。
「エドワード様は正直に仰ったのですね」
「はい。それで少し、いや……かなり心に傷を負わせてしまって」
「しかし今のお嬢様はやる気に満ちている。時に突きつけられた現実は人を強くします。ありがとうございますエドワード様」
「お礼を言われるようなことは」
「やはりお嬢様はああでなくては」
最後のファンの一言が気にかかった。顔を見るがおかしなところは何もない。だがなんだろうか。言葉に力がなかったような、どこか安心したような様子が声から滲み出ていたような。真意は定かではなかった。
「エドワードさん! 続きを、続きをお願いします!」
「は、はい!」
フィリアに急かされ、エドワードは見守られながらの鍛錬を再開した。
────
「ジャジャーン! 見ろエドワード!」
「これは」
「俺からのプレゼントだぜ」
友人のグレンが私に物を渡してきた。私は目が肥えた方ではないが、それでもわかるくらいの上等な槍だった。
「いいだろ。特注品だぜ。前知り合った武器職人に作ってもらったんだ。特殊な合金も使ってるとかよくわかんねえけど、軽くて使い心地抜群って言ってたぜ。俺も試しに使ってみたけど最高だぞそれ」
「こんな高価な物……いくらしたんだ」
「金額聞くなんて野暮な真似はよせよ。プレゼントなんだからな」
「どうしてこれを私に?」
「一秒前に言ったじゃん。まあ後は、エドワードのやつはもう古いからな。そろそろ替え時だなと思ってさ」
「それでこれを……これはまいったな。私の頭じゃこれ以上に返せる物が思い浮かばない」
「おいおい、んなもんいらねえって。俺は見返りが欲しくてあげたんじゃねえぞ。俺とお前の仲だろ」
「グレン……」
この素晴らしい友人からはもらってばかりだ。君はそう言うけど、私はこの幸福な時間をくれる君に、いつか何かお返しをしたい。
「ありがとうグレン。大切にさせてもらうよ」
「おう。どっかで落としたりしたらぶん殴るからな」
「ああ」
私は彼と笑い合った。その光景は、何よりも尊かったと思う。
────
「どうですか、エドワードさん」
「そう……ですね」
三日後、出来上がったフィリアの本を自室で渡され、今読み終えたところだった。その間にもフィリアが今まで書いて書物にしていた本を、暇があればエドワードは読まされていた。彼女が書く物はそれほどの長編というものではなく気軽には読めるのだが、なにせ問題は内容である。良く言えば読めはする、悪く言えば出来損ないと称する他ないものばかりだった。
読む度エドワードの精神は摩耗し、感想を言う度フィリアの心に穴が開いていた。それでも少女は挫けず受け止め、青年は断らずせっせと読み進めた。しかしエドワードはその時間が嫌いではなかった。言っちゃ悪いがつまんない本を読むのは苦痛で時間を無駄にしている感じは否めなかったが、読み終えた後にフィリアと感想と意見を言い合う行為は、なんだか悪い気がしなかった。むしろ楽しさがある気がした。
今こうして、その楽しさが垣間見える会話が始まった。
「一昨日読んだ同じ系統のあの物語よりは、面白かったです」
「本当ですか!」
「ええ。個人の意見ですが、この主要人物の男性の一人がよく描かれていると思います。特にこの中盤の所。この人が言っている言葉が印象に残って、何より共感できる。今までの物よりも文章がとてもうまくなっていて、凄く読みやすかったです」
一旦言葉を途切れさせ、隣に座るフィリアの顔を見ると、満足そうな笑みを浮かべている少女がそこにはいた。嬉しそう、この一言が最もよく似合っている。思わず見惚れるほど魅入ってしまう、決してお金では買うことはできない自然体の宝物のような笑顔だった。
「嬉しいです。そんな言葉が聞けるなんて」
「あ、あくまで別に批評家でもなんでもない私の意見ですけどね」
「だからですよ。これは持論ですけど、著者が求める一番のものは、読者の意見だと思うんです。悪い意見は私にとって辛い物ではあるけれど、それを糧に修正したり、新しい何かを書くヒントになるかもしれない。好意的な意見だったら、純粋に喜ぶことができます。それは心を満たしてくれます」
「そういうものですか」
エドワードは著者でもないからよくわからなかったが、きっとそうなのだろうと思えた。目の前にいる少女の険しい顔、喜ぶ顔がその答えだと感じたから。
「あくまで作家でもない私の意見です。でもきっと当たっています。称賛を受ければ誰だって嬉しいはずです。褒められるのが嫌いな人間は滅多にいませんから」
「……確かにそうですね」
かつて友人と互いに技術を極めていた時。駄目な部分を指摘し、良い所があれば褒め合ったあの頃は、愛おしく有意義な時間だった。他にも通りすがりの人が落とした物を拾ったり、魔物で困っている人を助けた後に謝辞を述べられれば、自然と嬉しい気持ちになる。それら似たような感覚ならば、エドワードには理解できた。
「私もわかる気がします。私の拙い言葉で喜んでもらえたなら、私も読んだ甲斐があります」
「むっ、それは私の物語を無理して読んでいたということですか?」
「えあ、そ、そういうわけでは!」
「ぷっ、あはははは。冗談ですよ」
状況が楽しくて笑うフィリア。それにつられてエドワードも笑ってしまう。ここまで自然と笑みが零れた事実に、エドワードは気づいていなかった。
「でも称賛されてより喜ぶことは、自分が最も力を入れて書いた人物や展開を良く言われることですかね」
「フィリア様はこの登場人物は力を入れて書いたのですか?」
「いえ、失礼ですけど、私はそのキャラには特に思い入れはないですね。私はこの主人公の相棒の人が特に気に入っていますね。エドワードさんはどうですか?」
フィリアからキャラの感想を問われた。普通ならすぐに答える所だが、一瞬躊躇った。うまい言葉が頭に浮かばなかったから。
「そうですね……私は何と言うか…………実感が湧かなかった……ですね」
「じっ……かん?」
「この人は最後の展開で、主人公のことを助けに行っています。でも、その動機がわからない。人を助けるのに動機なんていらないと言えばそれまでですが、私は気になってしまって。こういう物語では、人が誰かのために行動するのは明確な理由が必要だと思って……なんて、私の考えすぎですね」
「いえ、そんなことないです。確かにこの私が書いた本では、このキャラがこの行動を取るには無理矢理感が否めません。読み返した時にはあまり思いませんでした。おそらくこれはその前の場面で、主人公との仲の描写があまりないせいだと思われます」
「分析が早いですね」
「エドワードさんのおかげですよ。指摘されると、ああ確かにって気づけるとわかったんです。ご指摘ありがとうございます!」
「お役に立てたなら何よりです」
これでキャラの話は終わったと思ったら、そう言えば、と続けて話を伸ばした。
「ファンから聞いたんですが、昔ご友人と二人で冒険者をしていたと」
「ああ……ええ、そうですよ」
「もしよければ、そのご友人との冒険者話を聞かせてくれませんか? これからの本の参考になるかもしれませんし、個人的に気になります」
「そんな面白い話はありませんよ。冒険者と聞こえはよさそうですけど、日常は同じことの繰り返しですし」
「それでも私は気になります。冒険者は私の身近な存在ではありませんでしたから」
「えっと……」
エドワードは戸惑う。話すのが嫌だとそういうわけではない。いや、それもあるかもしれない。今まで過去を他人に話したことがなく、どんな風に話せばいいかわからなかった。
「失礼します」
すると部屋の扉が開かれる音が聞こえ、使用人のファンが入ってきた。両手にトレイを持ち、その上にはお菓子や紅茶を入れてるであろうポットやティーカップが置かれてあった。
「宜しければいかがですか?」
「ありがとうファン。少し休憩しましょうか、エドワードさん」
「はい……」
エドワードの話はその後うやむやになり、その日は他にフィリアが書いた本の話をして終わった。
────
「…………」
深夜、エドワードは指定した時間に目を覚ました。寝巻から服を着替え、友人からの贈り物である槍を握る。屋敷にいる者を起こさないように、物音を立てず廊下を移動し玄関の扉を開ける。闇夜に見る庭は昼間と違い、怖いくらいの畢竟の美の存在感を放っており、月明かりに照らされた揺れる草は緑の海のようだった。
ずっと眺めていたいのは山々だが、そうはいかない。エドワードは庭から体を離し、目的地の魔妖の森へと向かった。
(静かだな。当たり前か)
土を踏む足音、風で木が揺れる音、心臓の拍動の音だけが一帯を満たしている。体が本調子に戻ったら行くと決めていた。そのために体を動かして鈍らせないようにしていた。
正直あのままでも良かった。あの少女と彼女の本について喋りあって、何か特別なことが起こるわけでもなく立ち去る。それでも全然良かった。
だが忘れてはいけない。あの屋敷にお世話になったのは、元を辿ればあいつが原因だ。あいつと出会わなければ、エドワードは怪我も負わずいつも通りの日常に戻っていた。そしてその出会ったあいつが、友人を殺した奴と全く同じ姿をしていた。
そんなわけあるはずもないが、神が試練を与えてくださっているのかと疑いたくなるほどに、エドワードの心を揺さぶった。
義務なんてない。何もせずとも、天界にいる友人は何も言わない。仇を取ってくれなんて想像でも言わないとわかる。でも、やりたくなった。やらねばどうしようもない何かが欠けたままになってしまいそうで……
「見つけた」
赤が視界に入った。
巨大な熊がいた。