過去①
肌を刺すような風が吹いた。
超速の速度で槍の刺突を魔物に放った影響だ。槍は魔物の腹に風穴を空け、紫色の血液を背後の地面に撒き散らした。
「ふぅ」
同じ魔物の死体がエドワードの周囲に複数転がっていた。全てエドワードが倒したものだ。槍に付いた魔物の血を振り払い、一息をつく。
「す、すごいですエドワードさん!」
「これだけの数の魔物を一人で」
「俺たちの出番がなくなったな」
男が二人、女が一人の冒険者パーティーがエドワードの戦いぶりを称賛した。彼らは現在いる森を抜けた先にある街に行くために、護衛の仕事をしているエドワードに依頼をお願いした。この森は魔物が出やすく、上級の冒険者パーティーでも苦戦を強いられる場所として名が知れ渡っている。
自分たちだけでは不安だとエドワードに同行をしてもらったのだが、その選択は間違ってなかったと彼らは心から安堵した。
「そんなに大したことはありませんよ。想定していたよりも森に出てくる魔物の数が少ないです。皆さんは運が良い。私がいなくとも問題なく進めたと思いますよ」
「そうだとしてもですよ。世の中探してもエドワードさんのような槍使いは中々いません。本当に見事でした」
「ありがとうございます」
「エドワードさん。もしよろしければ、正式に私たちのパーティーに入りませんか?」
パーティーリーダーである女性がエドワードに提案をしてきた。言葉には捻りも裏もなく、善意での申し出であることが理解できる。
「今回限りでなく、今後とも私たちの仲間に是非ともなってほしいです。もちろん報酬は払います。エドワードさんがよろしければなのですが……どうでしょうか?」
あくまでエドワードの意志を尊重しての願いらしい。後ろにいる残りの仲間は期待の眼差しでエドワードを見つめている。全員同意の上でのものだ。
(そんな目をされても困る)
このような勧誘は初めてではないし、この森での護衛を頼まれることも初めてではない。何回か仲間になってくれと同じような場面に出くわした。「わかりました」と返事をするだけで、きっと瞬時に表情は歓喜に溢れるだろう。それでもエドワードが言うことは決まっていた。
「ありがたいですが、ごめんなさい。私はもう冒険者をやるつもりはないんです」
昔は目の前の人たちと同じように冒険者をしていた。でももうやる気はない。
あいつ以外との冒険は考えられなかった。
────
「今日は冷えるな」
夜となった森の中は静かだが、少しだけ肌寒い。
森を抜け、依頼金をもらい彼らと別れ、元いた街に戻るため森の中へと引き返し未だに足を動かしていた。もう明日に備え野宿をしてもよかったが、この森は魔物が頻繁に出現するので、せめて中心部からは離れようと暗闇を歩き続けていた。
警戒は怠らないよう、いつでも武器である槍を構えられるように気を配る。
(にしては、今日は魔物が少なかったな)
日中にも同じ言葉を口にした気がする。魔物が多く棲みついていることから、魔妖の森なんて呼ばれているのだが、行きの道中ではいたにはいたが数が大幅に少なく感じた。
こんな日もあるのだと思いながら足跡を増やし続けていると、木が揺れる音がした。
「っ」
槍を両手で構え音がした方向へと振り向く。視界に映るは闇と木々と地面、そして、巨大な一匹の熊だった。
「まさか……」
額が燃え盛る炎のように赤い。眼光も同じくギラギラと赤色に輝いていて、殺伐とした敵意を嫌というほど感じた。ただのヒグマだったならば問題などなかった。この魔妖の森にはただの熊などいるはずないのだが。
「赤暴熊」
名前に反応するように凶悪な魔物は雄叫びを上げた。暴熊という魔物が世界には存在し、その魔物の名に色が付いた亜種が実在する。
青暴熊、緑暴熊、黄暴熊、灰暴熊など多種にわたり、赤暴熊もその中の一種である。
「魔物がいない原因はお前だったか」
エドワードは点と点が繋がった。おそらく森に魔物が少なかったのは、この魔物が他の同胞を一掃してしまったせいに違いない。暴熊は一際ナワバリ意識が強く、征服欲を有しているとも言える。近くに巣がありそこから徐々にナワバリを広げてきて、この森へと辿り着いたという想像をする。
「因果か……」
槍を握る両手が小刻みに震えている。武者震いと格好をつけたいのは山々だが、それを聞いてくれる人も度胸もなかった。震えているのは恐怖が心の奥で渦巻いているから。全ての魔物に恐怖しているわけではない。そうだとしたら護衛の仕事などしていない。目の前にいる赤暴熊に恐怖している。
あの時とは個体も違う。のはずなのに、一向に震えは止まらない。飛ぶ鮮血が、友が歯を食いしばる姿が、冒険者をやめるきっかけになった出来事の光景が消えてくれない。
赤暴熊は、エドワードの友人を殺した。同じ死地から離れさせないと言わんばかりに、巨大な熊は突進を仕掛けた。
「来い」
エドワードは視界を埋め尽くす獣の攻撃を槍で受けた。筋肉が引きちぎれる衝撃が体を襲い、地面を何度かバウンドして木に激突した。
「あがっ……」
骨が何本か折れたのが感じられ、痛みが全身を駆け巡る。あの巨体での想像を超える威力だった。
「やはり……私ではだめか」
今の突進は速度はあったが十分に避けられた。だけどしなかった。意地をはり、天国にいる友人にできる姿を見せたかった。友人の死からそれなりの時間が経ったが、結果は無様に終わってしまった。何も為せず怪我を負う始末の自身を嘲笑った。
そんな心情を察するわけもなく、魔物は鋭利な爪を掲げて赤い体を揺らす。エドワードは力を振り絞り爪の串刺しを躱し、激痛を感じながら熊の太い足首を斬りつけた。血は出たが浅かった。
巨体は傷つけられた痛みを発散するように暴れ回る。巻き添えになったエドワードは吹き飛ばされ槍を手放してしまったが、距離を取れたことに少しだけ感謝した。
「これ以上はまずいか」
情けなくはあるが最初に喰らった突進のダメージが思ったよりでかい。このまま戦い続ければ持久戦で負けが濃厚なことは明白。それだけ思い描き武器を敵に向けるほど、知能は低くなかった。幸い魔物はまだ地団駄を踏んで抑制がついていない。
「ごめんよ……仇はまだ先になりそうだ」
手から離れた槍を拾い、なるべく音を立てないようにその場から立ち去った。
────
「しまったな。方向がわからない」
エドワードは焦っていた。あの暴れ熊と一線を交えたせいで、元歩いていた道から外れてしまった。今の彼の姿は迷う幼子とどれだけの違いがあるだろう。おまけに一歩踏み出すたびに嫌な音が体の中で響き、頭から血を流していることに気づいたら視界がぐわんぐわんと揺れ始めた。
手に持つ槍がやけに重たく感じるが、これだけは絶対に手放すわけにはいかなかった。
「全く……笑えるよな。グレン」
友の名を呟く。いつも隣にいた慣れ親しんだ姿はもういない。こんな時、彼だったら鼓舞してくれる言葉の一つや二つかけてくれるものだ。かつての日々を恋しく思うエドワードに体力の限界が近づいてきた。遂には地面に倒れこんでしまう。
「情……けない…………」
意識が飛びそうだ。せめて魔物の食料にならないこと祈りながら、森の静けさに目を瞑った。
────
「なあエドワード」
「どうしたんだい、グレン?」
「俺たち、すげえ冒険者になろうな」
「またそれ? 村を出た時にも聞き飽きるくらい言っていたじゃないか」
「いいんだよ。言い過ぎるくらいがちょうどいい。たとえ火の中、水の中、俺たちはどんな困難でも乗り越えて見せる!」
「私は強制的?」
「俺たちは運命共同体だぜ」
「やれやれ」
顔がほころんだのは、彼の言葉が嬉しかったから。
────
意識が目覚めると、陽光ではない人工的な光が眩しかった。
(なんだ……室内?)
覚醒した脳で現状を把握しようとする。自分は寝っ転がっていた。ふかふかのベッドに、天蓋のカーテンが視界に映る。右腕を見れば包帯が巻かれており、頭にも同じものが巻かれている。最後の記憶は森の地面の感触だった。ならなぜ自分は高級なベッドに横たわっているのか?
「あら、目覚めましたか?」
疑問に答えるように誰かが言葉を発した。艶やかな美しい金髪に、天女のような愛らしい笑みを零す、華奢な少女がベッドの左隣にある椅子に腰かけエドワードを見つめていた。エドワードは反射で手を虚空に伸ばしていることに気づく。槍を取ろうとしたのだ。しかし側にはなかったため、空気に触れるで終わる。
戸惑うエドワードに優しく声を投げかける。
「怪我はまだ痛みますか? まだ安静にしていてくださいね」
「あ、あの、これは」
「混乱してますよね。私はフィリア=レインハートです。嫌でなければ、名前をお伺いしても?」
「……エドワードです」
「使用人のファンがあなたを森で見つけて、この屋敷まで運んできたのです。そうでしょ、ファン」
「ええ、お嬢様」
また知らない声が出てきた。少女──フィリアが目を向ける先に、顎鬚が似合う七十近い老人が部屋の扉の前で佇んでいた。話の通りだと、このファンという老人が自分を助けてくれたらしい。
「あなたが私を」
「はい。森の中で赤暴熊が暴れていると耳に入り、念のため魔妖の森の近くを警戒がてら散策しておりますと、貴方様が倒れているところを見つけまして、それで」
「そうですか。命を救っていただきありがとうございます」
「とんでもございません。礼ならフィリアお嬢様に。二日間付きっきりで看病をしてくれていましたから」
「二日間!?」
それだけの期間眠りについていたのかと唖然とする。隣にいる少女に感謝を述べようとするが、すぐにフィリアが喋り始めたため阻まれた。
「怪我人を心配することは当然のことです。礼はいりません」
「しかし、私が二日間眠り込んでいたなんて……」
「それなら、私の方が驚いています。私はまだ一週間は目を覚まさないと思っていましたから」
「なぜ?」
「ファンから聞いた方がいいですね」
バトンタッチされた老人のファンが口を動かす。
「この老体では想像がつきにくいでしょうが、私は若い頃冒険者をしていまして。この老眼が利いていれば、貴方はおそらく冒険者だとお見受けします」
「ええ、あ、いや。以前はやっていましたが、今はもうやめて護衛の仕事を。あの森にいたのは冒険者パーティーの護衛のためです」
「そうでしたか。怪我を拝見しましたが、相当なものでした。凶悪ででかい魔物と相対したのでは?」
「ええ、まあ……赤暴熊と」
「なんと」
まさかあの熊の魔物とは思わなかったのだろう。弱弱しい返事に相反して、ファンは称賛するように目を見開く一方、フィリアは何が何だかわかっていない顔をしていた。
「あの魔物と。それも一人でですか。赤は暴熊の中でも凶暴性が強い。生きて帰れただけでも大したものです」
「誇れることじゃありません。結果無様に負けましたから」
「命あればこその人生ででしょう。貴方の受けた怪我ではもっと長く意識が失っていてもおかしくない。回復が早い証拠です。貴方は立派な戦士ですよ」
褒められているが萎縮してしまう。隣にいる少女は自分の回復の速さに驚いたということだろう。ただそれは冒険者時代の名残というだけ。かつていた友はもっと凄かった。素直に喜べないエドワードは、自分がまだまだ未熟な証拠だと蔑む。
「持っていた槍も手入れがよく行き届いていた。大事にされていらっしゃる」
「そうだ。あの、私の槍はどこに」
「こちらに」
フィリアがいつの間にか立ち上がって、両手の上にエドワードの槍を置いてエドワードの前に差し出していた。
「ああ……よかった」
「倒れている時も、その槍だけはずっと手に握りしめていたと聞きました。大切な物なのですか?」
「はい。私の命より大事な物です」
槍の冷たさが今は心地良い。実際に目で見ると安堵感が違う。この槍だけは手放すわけにはいかない。そんなエドワードの感慨に耽る姿を察したのか、フィリアが話を終わらせるよう切り出す。
「まあとにかく、治りが早いとはいえまだ安静が必要です。それまでここは自由に使ってもらって構いませんから」
エドワードはただ頷いた。