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small world  作者: 坂田リン
23/24

二人の世界



目に見える景色の一点だけに、眼差しが向けられる。そこは一際明るかった。


それは火でも、松明でも、洋灯ランプでも、宝石でも、光る虫でも、星でもなかった。涙が出るくらい眩しくて、けれど目を逸らすわけにはいかなかった。美しい緑は白色に塗り替えられ、今わかることは、一人の少女が微笑んでいるのみ。


「やっと……会えましたね」


その少女は、ずっと会いたかった人だった。艶やかな長い金髪はあの頃と変わらない。愛らしい笑顔はそのままだが、以前よりも活気に満ち溢れている。時が経ち少し顔が大人びている気がする。そこではっとする。一年以上経っているということは、彼女は誕生日を一度迎えていた。


変わっているのも当然だった。一緒に祝えなかったことを後悔すると同時に、成長を嬉しく思えた……いや、おかしい。そこでまたはっとした。


とても魅力的な笑顔なのは違いないが、元気過ぎるにもほどがある。まるで病気が治った(・・・・・・)みたいに当然のように草原の上に立っている。声も生き生きとしていてハリがある。そもそも目の前にいること自体が飲み込めていない。


少女──フィリアが元気な姿でいる現実が信じられなかった。


「もっと顔をよく見せてください。もっと……私の近くで……」


フィリアが静かな足取りで近づいてくる。彼女の顔に浮かんでいる感情は安堵、歓喜、それらに付随する物だと理解できた。自分に対する怒りや冒涜は一切存在しない。視線を合わせるだけで、フィリアはさらに喜びを増した表情をする。


さっきまで恐れていた恐怖は一体何だったのかと我を疑った。罵られると思っていた。数十発殴られる覚悟もしていた。それだけのことを自分はしてしまったのだ。逃避はそれだけ重罪だと思っていた。だが不安要素は今、全て杞憂に終わって、少女は満遍なく癒されている。


数歩進めば手が届く、彼女に触れられる。きっと冷たいなんてことはなく、人の温もりを直に感じられる。


「……」


でもどうしてか。フィリアに敵意はないとわかっているのに、一歩後ずさってしまう。わかったから(・・・・・・)だろうか。これ以上近づけてはならないと、咄嗟に言葉を出す。


「ど、どうして」

「え?」

「どうして……あなたがここに?」


フィリアの足を止めるための言葉だったが、これは聞きたかったことだった。フィリアはきょとんとした顔をしている。


「どうしてって……」

「あなたは病に冒されていたはず。ベッドに横たわり、歩くのも苦しいくらいに辛かったはずなのに、今こうして平然と立っている。医者のエレンさんだってあなたはもう長くないと。私には意味がわかりません」


フィリアはまだわからない様子だった。


「メレさんから……聞いてないのですか?」

「いえ、何も。ただ、フィリア様のご身体が回復されたと仄めかしていましたが、実際に見るまでは……信じられなくて……」

「そうですか……私に譲ってくれたのですね。あの人らしいです」

「フィリア様……?」

「エドワードさんが去ってから何ヶ月か経ったある日、メレさんが屋敷に来たんです。久しぶりに顔を見たいと」


去ったという言葉が架空の痛みを生じさせる。フィリアの話を遮ってはならないと、顔には出さず聞き入る。


「ひとしきり喋った後、メレさんが突然言い出したんです。なんとかなるかもしれない、と。エドワードさんがずっと送り続けてきた手紙(・・)を見て思いついたようでした」

「て……がみ……」


エドワードには身に覚えがある。償いとも言える物だ。


「貴方は私を……忘れないでいてくれたのですね」


手紙と言っても、人に心の内を伝える手段のための手紙ではない。書いてあったのは名前(・・)だ。フィリアの元から去って虚無となった自分でも、無意識の内にやっていたこと。名前というのは、古今東西に存在する医者の名前だった。


エドワードは逃避をしてから住んでた家も出ていき、途方に暮れていた。そんな中でも思考は動き続けていた。自分には何もできることはない、無駄に終わることは明白だと、自問自答していても、心のどこかではフィリアを完全には諦めきれなかった。しかしもう会うことは許されない。そんな時にエドワードは思いついた。


「屋敷に送られてくる手紙には、多くの医者の方の名前がびっしりと書き記してありました。中には隣国の、そのまた隣国の国々の医者の方々の名前までありました。よくもあれほどまで……もう新たな医者の方を探す方が難しいですよ」


医者の名前を覚えては書き、覚えては書きを繰り返した。次々と場所と場所を飛び回りながら、日銭は護衛の仕事を受け持って生活を続けてきた。その中にフィリアの病気を治せる人がいると、可能性に賭けて。医者に直接訊けば、わざわざ手紙を送るなんてことをせずに済んだが、自分の口から直接訊いて、残念ながらと下を向かれるのはもう耐えられなかった。


だから医者の名前だけを送った。手紙の最後に一言謝罪の述べてから。


「その医者の方々の中の一人に、メレさんは目をつけました。エドワードさんと出会う前に知り合った医者だそうです。私たちがいる国の隣のさらに隣に位置する国にいます。名前はエレン=ヴラーチ」


一人の人物の面影が浮かぶ。フィリアに本を渡してほしいと頼んできた、エドワードがここまで来る要因となったあの女性だ。


「エレンさんには一人養子がいたんです。両親を亡くされたそうで、親戚であるエレンさんが引き取ったそうなんです。その養子の子の両親が亡くなった原因というのが、私と同じ病気だったんです。あるんですね。世界のどこかには、自分と同じ境遇の人がいるのが。その子は自分と同じ悲しみを生まないために、エレンさんと同じ医者を目指しました。それが天性の才を持っていたらしく、しかも魔法薬学を専門として学ばれていたらしいです。養親であるエレンさんも驚く成長だったらしいです。エレンさんを手伝う形で、その子も研究に研究を重ねていて、エドワードさんが訪ねた時には、できていたんです。私の病気の特効薬が」


話を黙って聞いていたら、もう答えがすぐそこまで来ていた。


「まだ臨床試験はなされてませんでした。治験というやつです。私は迷わず引き受けました。どうせ尽きる命なら、試す以外の選択肢なんてありませんから。そして無事に効果は現れました。毎日指定された日に決められた錠剤を飲んでいたら、自然と体は回復していきました。元気だった頃よりもさらに気力が増した気分でした。私の病気は完治して、こうして、陽の光の下を歩ける体になったんです」


驚きで一縷の涙が頬を流れていることに気づいていない。不治だと思っていた病気が治った。まさに奇跡と言える。信じ難いことだが、嘘を言う利点がありえないし、フィリアが目の前にいることが真実だった。


「そんな……ことが……」

「それから話し合ったんです。エドワードさんとどう会うかを。エレンさんも協力してくれました。貴方に会ってから私の本を渡して欲しいと頼んだんです。よ、読んで、くれましたか?」

「ええ……まあ」

「そうですか! えへへ、ちょっと恥ずかしいですね。でも知ってもらいたかったんです。私がどう思っていたのかを……」


それは十分過ぎるほど伝わった。フィリア視点から描かれた過去の追憶。楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、その殆どが一冊の本に凝縮されていた。フィリアが自身に向ける好意だって、素直に信じていられれば、黙読の最中に赤面でもしていたはずだった。


「メレさんが私とエドワードさんが会う前に話したいと言って、最後があのような展開になったのです。びっくりしたでしょう? 他の人が見たら確実に投げ捨てるでしょうね。エドワードさんにだけに書いた本だから良かったんです。そこでメレさんから全て伝える手筈だったのですが……私の口から言わなければ意味ないですよね」


フィリアは一瞬俯いた後、意を決したようにエドワードに向き直る。


「エドワードさん、ごめんなさい。私は貴方の気持ちを何一つ理解できていませんでした。貴方は孤独を恐れていたのに、私は何一つ汲み取らずに無責任な言葉を吐いてしまいました。私は……ずっとそれを謝りたかったんです」


最後まで彼の目を見て言うつもりだったのに、駄目だった。視界が涙で滲んでエドワードがぼやけて映ってしまう。


「あ、あなたが謝ることなど何もないです! 私が……私が全部悪いんです! 私が途中で投げ出した! 一時の苛立ちであなたに酷いことを言った! あなたの隣にいるべきだったのに、私は弱くて逃げ出した。こんな私は……許されるはずありません」

「いいえ。私は許します。私は貴方に怒りも恨みも抱いていません。今こうして、また二人で会えただけで、私はもう喜びに包まれています。貴方がいるだけで….…私は十分なんです」


一切の曇りがない透き通った言葉。嬉しい。好きな人がそう言ってくれるのは、純粋に嬉しかった。でもそんな彼女の精神に甘えられるほど、エドワードは素直ではなかった。


「フィリア様……私は怖いんです。私のせいで、あなたがまた消えてしまわないか。足がすくんで後ろにいってしまうんです。あなたが元気な姿になって嬉しいはずなのに、一緒にいられて嬉しいはずなのに、私はあなたと一緒にいていいのか疑問に思うのです。また……私の前で…………グレンのように……置いていってしまうんじゃないかって」


エドワードは曝け出す。自分の弱さを。自分は強くないと自覚している。男のくせに情けないと思うだろう。フィリアに呆れられても仕方ない。でも言わなければならない。そうしなければ、ずっと足がすくんだままになってしまうから。


失うのが怖い。自分が不幸を撒き散らしているのではないかと思ってしまう。一緒にいたいのに、一緒にいてはいけないと思ってしまう自分がいる。最後の不安が消えてくれない。葛藤を抱えたままでは、彼女にあの言葉(・・・・)は言えない。


「あなたのためを想うなら、私はいない方が良いんじゃないかって……今こうして顔を見れただけで私は────」


続きは言えなかった。口を塞がれてしまったから。


フィリアがキスをした。背伸びをして肩に両手を乗せて。三秒ほど経ってから唇を離した。いつの間にこんなに近くにきていたのか、赤みを帯びた頬を見せて潤んだ瞳で口を開く。


「そんなこと言わないで。言わないでください。自分を責めたくなる気持ちはわかります。こうやってわかった風に言うことを貴方は快く思わないかもしれません。でも言わないでください。せっかくまた一緒になれたのに……離れたいと言われるのは……悲しいです」


フィリアはエドワードの服を強く掴んで、胸に顔を埋めるように寄り添う。ファンが亡くなった時も同じようなことがあった。フィリアはとても温かった。


「好きですエドワードさん。愛しています。優しく笑う貴方が好きです。守ってくれる貴方が好きです。私は貴方と一緒にいたい。もうどこにも行きません。言葉で信用できないのなら、私はなんでもします。貴方と一緒にいられるのなら。私は世界に独りじゃないと気づかせてくれた。私を独りにさせたくなくて手を握ってくれた。全部が宝物です。これからもっと宝物を増やしていきたい。これから歩み続ける人生を貴方と歩いていきたい。貴方の孤独を失くしたい。だからどうか……貴方の側に…………いさせてください」


彼女は自分の胸に顔を埋めたまま懇願の言葉を出し切った。エドワードはフィリアを見て、またしても己を情けないと悟る。


(何が葛藤だ)


葛藤なんて物は、生きている間にいくらでもある。それに怯えていたら、足はずっと泥に嵌ったままになってしまう。大事なのは今なのだ。


弱く、惨めで、トラウマを抱え、特に才能があるわけでも、容姿が端麗であるわけでもない。決意した心を途中で投げ出してしまう駄目な人間だ。それでも一度願った。二人の世界でいたいと。


無根拠で不確実。順風満帆な生活を保証するなんて言えない。でもフィリアといるこれからは、間違いなく幸せだと言える。言いたいことは言わねばわからない。かつての友人には遅すぎたが、今はまだ、好きな人は側にいる。


「フィリア様」

「え、わっ!」


エドワードはフィリアを抱きしめた。二度と離さないように力強く。


「……私は……寂しがり屋です。孤独が嫌なめんどくさい人間です。人から認められる人格者でもありません」

「……問題ありません。私も同じですから。人は独りになってはいけない。それは貴方が教えてくれたことです」


フィリアも背中に手を回した。体温が伝わってくる。とても心地いい。


「私はあなたに依存してしまう。きっとうざくて、気持ち悪いかもしれません」

「なら私もです。貴方がいないと生きていけません。私たち、似た者同士ですね」


フィリアは胸から顔を離し、熱った顔で視線を合わせた。美しい。今この瞬間、この世の何よりも美しかった。少しだけ笑ってから、エドワードは口を開く。



「フィリア様────愛しています」



私もです、そう言って、また唇を重ねた。



ああ、ようやく言えた。



幸せはここにあると、胸を張って言える。



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