悪夢
孤独の朝は虚しくて。
孤独の昼は無心で。
孤独の夜は寂しくて。
孤独の日々は空っぽで…………………………
夢の独りは好きだった。
────
「酒ってうまいんかね?」
「どうしたんだい急に?」
友人のグレンが突然素朴な疑問を訊いてきた。私は今、十文字と呼ばれる自分とは形状が違う槍を背負っているグレンの隣をキープしながら、目的地である街から離れた盆地地帯にある村へと続く古路を歩いている。
「一度は思ったことあるだろ。大人がぐびぐび飲んで頭が馬鹿になるあの飲み物が美味しいのかってさ」
「どうだろうね。しかし苦いという話も聞くよ。昔父さんに訊いた時、酒がうまく感じるようになるのは三十を超えた後からだって言っていた気がする」
「三十ね〜。まだ十年以上もあんのか」
「グレンはこの前飲んでいたじゃないか。ほら、二週間前くらいに」
「あれは飲んだんじゃねえ! 被ったんだ! あのおっさんが転ぶからさあ、髪と顔面がべちゃべちゃになったんだぜ? 酒浴びたって味なんて何一つわかるか!」
「その後店で暴れて代わりに金を補填した私は、苛立ちと怨恨の味を噛み締めたよ」
「ホントすんません。今度利子付けて返します」
全くとため息を洩らし、その件を許した。あればあれで、振り返れば笑える良い思い出だった。
「まあ私たちも直に酒が飲める歳になるのは確かだ。少し待てば味なんてすぐにわかるさ」
「そうだなぁ……あ、でもさ、俺らって酔いやすいんかな? できれば強い方がいいよな。長く場を楽しめるし、酔っ払いみたく騒ぎ出すこともない」
「確かに。私もその方がいい。酔ったグレンを介抱するのは骨が折れそうだ」
「なんだとこらぁ、お前だって弱いかもしんねえんだぞ」
グレンが私の脇腹を小突く。笑いながら、自分も強い方が良いと思う。長い時間グレンと酒を交わしながら、楽しく談笑をしたいからだ。
「全部これからわかる。慌てる必要はないだろ。十年、二十年、三十年って、人生は長いんだから。色んな体験を少しずつ楽しめばいい。私たち二人で」
本音だった。少し恥ずかしいことを言ったなと自覚した時には、隣のグレンが満足そうに表情をにまにまさせていた。
「なんだい?」
「あっはははははは!! エドワード、お前良いこと言うなあ! 詩人みたいだったぞ」
「どこがだ。適当に言ってるだろう」
「そうだな……絶対にそうだよな」
グレンが肩を組んできた。鬱陶しいとは思ったが、振り払いはしなかった。別にいつものことだ。この会話もいつもと変わらない他愛もない内容で、それがこの先何千、何万回と繰り返される。そうなることしか考えられなかった。
それが私たちの日々の情景で、私が望んでいる世界だから。
グレンはまだ、笑っていた。
────
「もうすぐか?」
「ああ。ここからは気配を消しながら行こうか」
「おう」
グレンが私の意見に賛同してくれた。私もグレンも、既に己の武器である槍を手元に握りしめている。もう極力無駄話はしないようにした。
目的地の村が林を抜けた先の景色に映り込む。今日は訪問でもピクニックをしに来たわけではない。冒険者の依頼人としてここに足を踏み入れようとしている。視界にある村に前触れもなく魔物が押し寄せて来た。村人は数名犠牲になってしまったが、どうやら避難経路や備えもある程度は準備を怠っていなかったらしく、近くにある集落に逃げ込むことができたらしい。
しかし子どもが一人、逃げ遅れてしまった。子どもの家族は魔物に襲われる村の中を必死に探したらしいのだが、虚しくも見つからなかった。仕方なく集落に避難した後にすぐにでも戻って探しに行きたかったのだが、ただの村人が行った所で真っ先に魔物に殺されてしまうと周りから引き止められ、どうにかお願いできないかと。それが私とグレンが引き受けた依頼内容だった。
「その子ども、七歳くらいの男の子だっけ? こんなこと言うのは罰当たりかもしれないけどさ……もう死んでるって可能性もあんじゃねえの?」
「確かにそれもある。でも情報によれば、村の民家には、それぞれ地下に簡易的な貯蔵庫があると聞いている。子ども一人入るには十分だし、そこに逃げ込んでる可能性がないとは言い切れない」
「そうか。食料と水さえあれば生きてはいける。じゃあ俺らは子どもがいそうな民家を片っ端から探しゃいいんだな」
「その通り。生憎しらみ潰ししか方法はないが、ないよりは大分マシだ」
「地道こそ近道ってな。やるぞエドワード」
「ああ」
きっと子どもは恐怖で怯えているに違いない。早く両親の元へ返してあげようと善良な目標を心に抱いて、私たちは破壊された村へ足を踏み入れた。
「駄目だ。ここも違う」
「よし。じゃあ次はあそこに行こう」
玄関どころか屋根すら木っ端微塵に壊されている廃墟となった民家から潜り抜けたグレンを確認したら、次の民家に人差し指を向けた。これで五軒だ。村は思ったよりも酷い有様で、これじゃ復興するには多くの時間を要するだろうと村民には同情した。
「中々見つかんねえな。もしかしたらこの辺じゃ──」
「グレン伏せて」
できるだけ小さな声でグレンに伝えると、グレンは意図を察して同じように地面に身を屈めた。地面に無惨に置かれている木造の屋根の一部から目を覗かせると、魔物であるコボルトが二体、目の前を歩いていた。しばらく待つと、気配は消えて二人だけに戻っていた。
「ふぅ」
「ひりひりするな」
グレンが冗談混じりに言うが、額には汗が見える。
「魔物は言うこと聞いちゃくれねえか」
子どもを見つけるまで退散しててください。そう頼みたいのは山々だが、承諾の頷きではなく問答無用で襲ってくるのがオチだろう。魔物が数十体、村の周りや中を徘徊している。おそらく急襲の時よりは減っているのだろうが、面倒なことこの上ない。見つかれば集団で囲んでくる可能性が高いから、こうして気配と音を消して子どもを探している。
「子どもが恐怖で頭が混乱して叫んだりしてたら、詰みと見て諦めるしかないね」
「じゃあ子どもがいる地下には」
「血と骨と臓物だけ」
「うえっ、想像したくねえ」
「利口な子どもだと祈るよ。さあ行こう」
今日は槍の出番はないことを同じように祈りながら、グレンとまた歩き出す。しかし村を徘徊していると、少しだけ気になることがあった。
破壊がでかい。
全てではないが、村にある民家などの建造物の幾つかが無惨にも壊されている。これは不思議じゃない。中にいた人間を襲おうと魔物が壊して入り込んだと考えれば辻褄は合う。だがなんだ? 壊し方が乱雑に感じた。村に見かける魔物もコボルトのような小型の魔物だ。家を全壊に近い状態まで攻撃する力量も根気もあるようには見えない。それが少しだけ気になった。
…………まあいいか。
気になりはしたが、あくまで部屋の隅の埃が気になる程度の問題だった。今は一刻も早く子どもを見つけるという目的がある。優先するべきはそちらだし、わざわざグレンに伝えて意識を妨げることもする必要はない。そう考えた私は雑念を振り払い、前に見える友人の背中を追いかけた。
「おいエドワード! いたぞ!」
「本当か!」
声を抑えろと言いたくなったが、私も同じように強い声を出してしまった。魔物に注意を払いながら、安堵の息を吐いた。十三軒目でやっとビンゴ。思ったより早く済んで良かった。どうやら子どもは思ったよりも強い子だったみたいだ。
「お、お兄さん……誰?」
幼い男の子の声が聞こえた。怯えているが、意識ははっきりしているようだ。グレンが不安にさせない優しい声で語りかけた。
「大丈夫だ。君を助けにきたんだ。今日までよく耐えたな」
「ま……魔物は?」
「心配ない。俺たちがいる」
「僕……帰れるの?」
「お兄さんたちに任せなさい」
グレンは貯蔵庫にいた男の子を抱っこして救い上げ、泣くのを最小限に留めた。よし、これで任務完了だ。後は村を出れば脅威はなくなる。もう少しの辛抱だ。
「よし、帰ろうぜ」
「ああ」
子どもをグレンが抱えて私は先導した。自分たちが入ってきた村の出入り口までは警戒を怠らず、遅くてもいいから慎重に足を運ばせた。グレンが抱える子どもは、今まで恐怖を押し殺して叫ぶのを我慢していて、助けられたことで緊張の糸が解けたのか、グレンの胸の中で小さな寝息を立てている。
「なあなあエドワード、俺らヒーローみたいだな」
「また急にそんなこと」
「英雄には憧れるだろ。昔はすげえ勇者がどこかにいたとか聞くしな」
「絵物語だろ。いち冒険者が国から称号なんてもらえるわけないよ。大体ヒーローなら槍は違うと思う。なんかこう……想像できない」
「鍛冶屋で今度、剣でも買うか。ダブルソード爆誕!」
「慣れない物買って無駄使いはやめてほしい」
私は苦笑した。どうやら私も緊張の糸が解けているらしい。まあ少しくらいなら問題ない。心の隅でこれからのことを考えた。遠い話じゃない。今日の夜や明日のことだ。報酬が入ったら美味い飯でもグレンと食べるか。この前見かけた通りの奥にあるあそこに入ってみたい。グレンが店の物を壊さないように見張らないと。
そんなどうでもいいことを考えてしまう。それがどうにも楽しくて、私にはなくてはならない存在だった。
何も変わらない。
ああ、頼むから不変であってくれ。この愛しい日々は、私が寿命で力尽きるまで続いてほしい……なんて、後ろにいる彼には恥ずかしくて言えないが。
「グレン。そろそろ私が────」
子どもを抱えるのを変わろうと、そう言おうとして振り返った。男の子を抱えるグレンの頭上に知らない影があった。刹那の意識の研ぎ澄ましが影を明瞭に映し出し、黒いシルエットが鋭い牙に変わった。
「グレン!」
私はグレンに飛びつくように反射で体を動かした。狙うは斜め上。グレンからもらった槍の先端がグレンの顔横を突き抜け、大きく開いた魔物の口に刺突をお見舞いした。喉を貫き鮮血が舞う。串刺しになった魔物を近くの廃墟となった民家の壁に放り投げた。
「はあ……バードウルフか」
「お、おお。すまねえエドワード、油断してた」
「いや、私も甘かった。それより来るぞ」
グレンに噛みつこうとした魔物を退治できたのは良かった。しかし問題はここからだ。槍の出番は辛くも訪れてしまった。
魔物の足音が四方から聞こえた。
「走るぞ!」
「私が前を行く!」
私たちは駆け出した。僅かな時間だったが、魔物との戦闘音を聞きつけたか、あるいは骸となった魔物の血の匂いを嗅ぎつけた魔物が寄ってくる。今は反省をしてる暇はなかった。村の出入り口まで疾走すると同時に子どもを抱えているグレンを守らなければならない。
「グレンは極力戦わないでくれ! 私が引き受ける!」
子どもとはいえ人間一人を抱えて槍を振るうのは好ましくない。私がやらなくては。そう決意すると、早くも前方から小型の魔物が殺意を剥き出しにして迫り来ていた。
「はあっ!」
人に自慢できるほどの腕前ではないが、それでも今日まで鍛錬してきた槍術を魔物に喰らわせた。今度はグレンの背後に警戒を一切怠らない。前後左右どこにも死角を作らず魔物を蹴散らしながら、グレンたちを安全に導こうと私は必死になっていた。
「ん……あれ、お兄ちゃん? 何か……」
「大丈夫だ。何も見なくていい。安心して眠っててくれ」
背後から、グレンの起きた子どもを宥める声がした。おそらく周りの光景を見せまいと目隠しをしている。こんな血生臭い光景は子どもにはトラウマになってしまう。グレンの判断は正解だろう。こんな状況さっさと終わらせて帰るんだ。そう願い続けながら魔物を槍で屠ってゆく。
「はあ……はあ……」
疲労の吐息が口から出ていた。魔物が元より少ないと感じていたが、いざ戦ってみると予想より多い。おまけにグレンと子どもに近づかせないよう神経を削がれてしまう。苦戦と言える修羅場なのは間違いなかったが、別に気力は落ちなかった。
これまでも修羅場は何度もあった。グレンと冒険者になると決めてからは、そんなことは覚悟の上だった。だから私は折れなかった。このまま何時間でも、何十時間でも槍を振るえる覚悟が確かにあった。
「ふっ、らぁああ!」
守り抜く。今の私はそれだけだった。しかし私が三十体目くらいの魔物を槍で殺した時、それは唐突だった。
「エドワードパス!」
「え、ちょっ」
グレンが強引に抱えた子どもを自分に渡して来た。拒否するにも突然だったから反射で受け取ってしまった。グレンはそのまま十文字の槍をくるくると回転させ、横から突進してきたコボルト二体を薙いだ。
「グレン何を……っ!」
「選手交代だ。エドワードは真っすぐ前だけ向いて村を出ろ。俺が魔物を片付ける」
「はあ? 何言ってる! 離れたら意味ないだろ!」
「近くにいるから神経擦り減らしてんだろ。その子をまず届けてくれ。林の先に馬車を手配してるだろ。俺よりお前の方が足も速いしな!」
グレンが魔物の心臓を的確に貫く。私はまだ決断できなかった。
「し、しかし……グレンが」
「なんだ俺の心配か? おいおい、このグレン様を舐めてもらっちゃ困るぜ! 幸い数はあるが魔物の強さは対処できないほどじゃない」
「でも……」
「エドワード──俺を信じろ」
透き通る真っすぐな笑みをグレンは浮かべた。それを見せられては、自然と心の天秤は信頼へと傾いてしまう。親友からの信じろは、迷いの揺らぎを静止させる効力があるのはなぜだろうか。そうだ、グレンは私よりも強い。
「これでさっきのと金の件はチャラな」
グレンにならいつだって、背中を任せられた。
「……わかった。私が戻るまで無事でいろよ!」
「たりめえだ!」
グレンの背中を一瞥して、私は言う通りに前だけを見た。
私は事前に馬車を手配していた場所まで子ども連れてきた。グレンのおかげで魔物は一体たりとも追いかけてこなかった。そのまま預けて私は来た道をダッシュで戻り始めた。
「大丈夫……大丈夫だ」
私は息を荒くしながら独り言を呟いていた。心配の念はあるが、私は密かに安心している自分がどこかにいた。グレンは私よりも強い。実力の面もあるし、精神的な面でもだ。彼が負ける姿はあまり想像がつかない。傷だらけで魔物の群衆から帰ってきた危なっかしい時はあったが、それでもグレンは笑って自分の成果を誇っていた。
それにグレンが言っていた通り、村にいる魔物は心臓に剣を突き立てられる脅威ではない。このまま走っていれば汗を拭っているグレンがいて、「遅えよエドワード。もう終わっちまったぞ?」と軽く言いのけたり、まだ終わっていなかったら私が、それこそヒーローのように颯爽と現れていくのもありだ。グレンの悔しがる顔が容易に想像できる。
帰ったら凱旋祝いをしよう。たらふく飲んで食べて倒れるように寝床について、また朝を迎えて、また一緒に隣を歩いて、また────
「グッ」
友の名前が喉の途中で突っかかった。やっと村へ入り、少し廃墟が並ぶ景色を進むと姿が見えた。名前を言うのを妨げられるほどに、安心よりも先に困惑が思考を満たす。目の前にいるのはグレン──そして、"赤くでかい奴"がいた。見かけたことはなかった。記憶にある図鑑や姿を模写した絵が、その赤い奴の存在を明確にした。
「赤暴熊……っ!」
熊には違いない。だがあれは魔物だ。瞳すら朱色に染まっている赤い巨躯、並の鎧ならば容易に鉄屑に変化させてしまう牙と大爪、その場にいるだけで気圧される存在感。凶暴性が強い大型の魔物がグレンに前に立ち塞がっていた。
今ようやく合点がいった。あの民家の破壊具合はこいつの仕業だったのだ。こいつも村を急襲した魔物の一角。記憶を辿れば、焼け焦げた建物の残骸があった気がする。どこかに隠れていた? たまたま戻ってきた? いや、グレンか、もしくは私のどちらかが一人になるのを遠目で観察していたのか。
そこまでの知能があるかは定かではないが、何にせよ早く駆けつけねば。よく見れば、グレンの周囲には赤暴熊の死体が二つあった。目の前にいるのを入れて合計三体。私が来るまで既に二体の奴を倒しているグレンの力量には感嘆が溢れるが、その代償が体に表れていた。
左腕に火傷、右足にもさらに酷く。出血もしている。疲労困憊なのは火を見るより明らかだった。助けなくては。それしか私は考えなかった。
「グレンッ! 今い──」
瞬間、言葉と行動を横から妨害された。私は横から来た攻撃を仰反ることで回避した。視界の端から現れたのはコボルトだった。手にした角材で頭を叩き割ろうとしたのだろう。グレンが店で揉め事を起こした時とは比べ物にならないくらい、怒りと憎悪が濃く広がる。
グレンを早く助けなければならないんだ。
「どけ!」
コボルトが跳躍して角材を振り上げる。私は剥き出しの黒い敵意を槍に乗せた刺突を放った。空中で赤色が疎にばら撒かれた。そして肉が抉れる音と同時に聞こえてきた友の声。
「来るなエドワード!」
前方を見た。コボルトと鮮血で視界が覆われている先で────
「え」
振り下ろした鋭利な爪が、グレンの体を切り裂いていた。
「ぐぅ、ぁああああっ!」
グレンの咆哮。火事場の馬鹿力、魂の残火とも言える命の鼓動が、傷つけられた友の体を最後に動かして、大振りの攻撃で隙ができた魔物の首に槍を撃った。赤い悪魔は瞳の色を失って、その場に崩れ落ちた。
「グ……グレン」
「……エ……ド……」
私の目の前で、グレンはうつ伏せに倒れた。
────
「グレン目を閉じるなよ。私が絶対に助ける」
私は冷静にグレンに言葉をかけ続けているが、内心動揺と焦りが自分を支配していた。
「ごほっ……ごめんなエドワード。ああ……ドジっちまった」
私が背負っている友は、途切れ途切れの覇気のない声で耳元で私に謝罪する。悶絶してもおかしいくらいの傷のはずなのに、彼は痛いの一言も吐かなかった。背中にかかる血の生温かさが、私の発汗をより促進させる。
「クソッ……これじゃ金はまた今度払わねえとな」
「今はそんなことどうでもいい。大丈夫だ。私が死なせない。もう少しの辛抱だ」
弱々しい声が私をより焦らせる。相打ちとなってグレンは赤暴熊を倒してくれた。しかしグレンはただじゃ済まなかった。傷が深すぎる。一刻も早く街に戻らなくては。
「……すまない。すまないグレン。私の……私のせいだ。私がちゃんと……もっと早くに……っ!」
「村にいる魔物にしては……破壊がデカすぎる、か?」
「っ!」
「俺を舐めんなって言ったろ」
なんてことだ。私が気づいていたことが、グレンも理解していたのだと今わかった。
「わかってたさ。もしかしたらって思った。言おうとしたけど……言わなかった」
「どうして……」
「もし……予想が的中してたら……お前と子どもだけは逃してやりたくてさ。自殺願望じゃねえぞ。俺だって負ける気なかったし、杞憂で終われば良かったんだが……まさかあんなにいるとは。いやほんと……見栄張ってもカッコつかなきゃ意味ねえな」
「なんで……なんで私じゃなかったんだ」
悔しさが自分に対する憎悪に変貌する。あの時、私がグレンより早く、先に行けと言っていれば、血を流すのは私で済んだはず。もしも二人で戦っていれば、まだ勝算はあったんじゃないか? いやでも、人ひとり抱えたままでは戦力になるとは思えないし、子どもをまず逃がすべきだというグレンの言葉を信じて私は任せたんだ。巻き込む危険性があった。そうでなくとも私がもっと早く戻っていれば。だから……私……は……。
何度検証をしても、やって来るのは己への自責の念だけだった。
「そう思い込むなよ、エドワード」
小さな声で、グレンは私を励ましてくれた。
「お前のせいじゃない……背負い込むな。お互いこうなることは覚悟してたろ?」
「……」
「二人で村から出て……最初の頃よりは大分成長したよな。未来がキラキラして見えてさ……まあでも……いざ終わるってなると寂しいな」
「おい、やめろ。頼むからやめてくれ。助けると言ってるだろ。私が必ず助けてやる」
「なあエドワード」
「その声をやめてくれ! 死に際の最後の言葉なら聞きたくない!」
私は耳を塞ぎたかった。でも構わずグレンは残りある力で口周りの筋肉を動かして、私の耳元で囁いた。
「後悔……してないか?」
言葉の意味がわからなかった。
「はあ? 何をだよ」
「……俺と一緒にいることだよ」
私の疑問の言葉に、グレンは言葉を付け足した。
「お前は俺と来てくれたよな。仲の良かったお前がついてきてくれるって言ってくれた時は……普通に嬉しかった。でもさエドワード。俺は不安だった……お前が……無理してるんじゃないかって」
「……」
「お前は元々……人と話すのが苦手だっただろ? 消極的で……俺以外の村の奴らとも話はしてたけど……どこか距離がある感じだった。俺の勘違いなら別にいいんだ。てかもっと早くに訊く訊けって話だよな……でも俺…………怖かったんだ。お前が……好意的な返事をしてくれなかったらって思うと……。だからさ、俺……嬉しかったんだ。俺たち二人で、少しずつ楽しめばいいって…………それが嘘でも俺は」
「違うグレン。違うんだグレン。それは私の本心だ」
私は自身を呪った。いつも近くにいてくれた友人にそんな勘違いをさせていたことに憤る。私がちゃんとどこかで、言葉にして言うべきだった。涙が落ちそうになる。
「グレン私は……ただの寂しがりやなんだ」
今こんな絶望的な状況で、ようやく私は白状した。
「私はただ……独りになるのが昔から嫌だった。子どもが親といたくなるのに似ている。ははっ、こんな歳にもなって笑えるだろ? 家族はいたが私は孤独を感じていた。おまけに人と話すのが苦手だった。もうポンコツとしか言いようがない。そんなどうしようもない人間に……私にグレンは声をかけてくれた。私は飛び上がりそうになったのを今でも覚えている」
朝目が覚めると空虚が体を覆う。ああ、私は独りなんだと。
昼になれば心は自然と無に彩られる。ああ、私は独りなんだと。
夜になれば静寂で、私は淀みの中で眠りにつく。ああ、私は独りなんだと。
世界が私だけなら良かった。最初から独りなら、何を感じることもない。私はきっと病気なんだと諦めていた。
そんな空の日々を、友は境界を広げてくれた。
「私はグレンに依存している……きもいだろ? 突っぱねるなら私ではなくグレンの方だ。こんな私などといるのは間違ってる。もっと他に……居場所はあったはずなのに。私はお前が持っているはずだった無数にある未来の選択肢を奪ってしまった。こんなめんどくさい男といるばかりに……私……は…………友なんて言葉を軽々しく」
「エドワード」
グレンは囁く。その時ようやく、私は涙を滝のように流していることに気づいた。グレンは震える右の人差し指で、私の涙を拭った。
「そう……か。俺は……嫌われてなかったんだな」
「当たり前だ! 嫌いな奴に、私はプレゼントなどもらったりしない」
「……俺は自分で、お前と友達になりたいって思ったんだ。お前といると……楽しそうだって……思えたから」
私だって────
「ありがとな」
一緒に酒…………飲みてえな。
そう最後に聞こえたと思ったら、なんだか……ダラっと両腕か垂れて…………
「おいグレン」
「……」
「グレン返事をしろ」
「……」
「いい加減にしろ。私は本気で怒るぞ」
「……」
「起きろって……言ってるだろ」
「……」
「助けると言っただろ! なんでもいいから言ってくれ! 痛いでも苦しいでも、私に聞こえる声で!」
「……」
「嘘だ……冗談だろ……なあ頼むよグレン。動いてくれよ。冷たく……ならないでくれ」
「……」
「どうしてっ……どう……してっ……ああ……ああああっ!」
「……」
「ぁああああああああああ! クソッ! クソッ! なんで、なんで!! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
グレンは指先すら動かなくなった。自分のやっていることは、死が隣にあるとわかっていたのに。覚悟していたはずなのに。結局、覚悟なんて口先のひび割れたガラスでしかなくて。私は失った。
私は孤独になった。
────
夢の独りは好きだった。夢の世界には自分一人だけだから。それが悪夢でも良かった。だって独りには変わりないから。
だから現実が悪夢になればいいって、心の底から望んだ。
────
「ぶはっ!?」
エドワードは目を覚ました。ただ横になって寝ていたはずなのに、体は全身汗でびっしょりと濡れていて、もっと酸素をくれと肺がうるさく怒鳴っている。周りを見れば見慣れた屋敷の部屋の一室だ。まだ起きて三十秒も経っていないのに、夢の記憶は薄れつつあったが、気分を害する夢だったのは理解できた。
「はあ……最悪の目覚めだ」
苦し過去──グレンが死んだあの日を思い返してしまう。自分が自分でいられなくなってしまった。
助けた子どもを酷く罵って、やるせない激情を物や他人に当たって崩れ落ちて、私は無様なゴミ屑になった。死人に口無しとは言わんばかりに、エドワードは一時期誰とも言葉を交わさなくなった。
これは悪夢だ、これは悪夢だと、どんなに願ったか。
ガチャリ。
音がした思ったら、屋敷の使用人の一人が部屋に慌てて入ってきた。
────フィリア様が────
どうしてこうも、悪い夢は覚めてくれないのだろう。




