日々と敵④
新たな生活を始めて半年が経った。今日も今日とて、変わらない日々の始まりを告げる店のベルが鳴った。
「こんちわー」
「いらっしゃいメレさん」
「メレさん。いらっしゃいませ」
「二人ともおひさー。まあ一昨日来たばかりやけど。お、今日はフィリアちゃんもいるやん」
「こんにちはメレさん」
和む笑顔で挨拶をするフィリア。店には他にも客が存在するが、やはりメレが一番よく話す常連さんだった。このいつものメンバーを見ていると気持ちがほっこりすることが、今のエドワードは心地よく思っている。
「今エドワードさん休憩中か。ほな、俺は邪魔になるから、端っこの席にでもいるわ」
「そ、そんな、別に構いませんよ」
「遠慮してるわけちゃうよ。俺の親切心や。また後でなー」
フィリアの言葉を流してすいすいと店の奥に進んで行ったメレ。去り際に手を振ってフィリアを応援する仕草を見える辺り、彼はいつもと変わらない。フィリアは心の中で感謝を述べた。
それからはいつものように、フィリアとエドワードは彼女の本や別の話題で談笑をした。最近は暇があればフィリアは店に顔を出してくる。ソルドに話して以来調整はされているらしいのだが、少女はできる限り自分で彼との時間を作ろうとしているのだ。エドワードの言葉でフィリアが落ち込んだり、喜んだり、そんな一喜一憂をエドワードは楽しんで、その様を見るフィリアは微笑む。
二人だけの世界を、厨房にいるソルドと別の席にいるメレは暖かい目で見守っていた。そんな幸せな時間に、割って踏み込むような力強いベルの音が鳴り響いた。
「エドワード=セルバースはいるか!」
フルネームを構わず大音量で叫んだ。否応にも言葉を発した人間へと視線が向けられる。大柄で肩まで長さがある土色の髪。身につけている鎧や剣や装飾品からして、冒険者と見受ける姿の男。正直言って、ソルドのカフェの気品に似合う人物とは思えなかった。
「お、お客様。あまり大きな声を控えてください。他のお客様の迷惑になりますので」
「うるせえ! エドワードはどこにいんだ!」
荒々しい様子だった。これ以上怒鳴り散らかされて暴れられてもソルドを困らせるだけだったので、おとなしく呼ばれた本人は名乗り出た。
「私がエドワードです。どうか落ち着いてください。一度外に出て──」
「いたなエドワード。俺を覚えているか?」
エドワードの言葉をガン無視した。聞き入れそうにないので、投げかけられた問いに数秒考えた。しかしエドワードは眼前にいる男が記憶のどこにも存在しなかった。仕方なくエドワードは正直に答えることにした。
「すみません。私はあなたのことがわかりません」
「知らないのか。いや、覚えてねえんだろ。俺はお前の片割れ、グレン=シーディアスを仲間に引き入れようとした冒険者パーティーの一人だよ!」
「グレンを……?」
疑問に思ったのは一瞬だけだった。
男の正体は、かつて一度しか会っていない勧誘をしてきた人たちの内の一人。エドワードとグレンは実力を周りから評価され、自分たちの仲間に入らないかと、何度か勧誘をされた覚えがあった。それは二人一緒にか、またはどちらか片方だけか。多かったのはグレンを引き入れる人間だったが、グレンは全てを断っていた。
エドワードはもちろん同じく。
一度なのもあって、そんな蠱惑の一つや二つの人間の顔など一々覚えてはいない。だから目の前にいる男は、水に溶けて薄まった忘却の彼方にいる人間の一人。男が嘘をついていない限りそうなのだろう。
(なんでここにいる?)
後わからないのは、男がなんでここにいるのか。来る理由も目的もない。諦めずグレンを誘うことに執着していることがいの一番に浮かんだが、グレンはもういない。もう冒険者でもないエドワードには何も関りはないはずだった。真意を聞くために、エドワードは思っていること言葉にした。
「それで……私に何か用でも? グレンはもういませんし、私はもう冒険者でもありません」
「んなこたあお前が街を経ってから既に知ってるよ。お前がグレンを殺したんだろ!」
殺した。
怒号に混じって聞こえた単語が鮮明に鼓膜を突き破る。「違う!」と、すぐに相手を否定できなかったのは、自分が心の中で少しでもそう思っているからなのか。事実の中にある後悔の後ろめたさが、弁解を拒絶しているのか。やはりどこまで時間が経過しようと、過去は突然現れてくる。消えたと見えている象体は、全て錯覚なのだ。
「……どういう意味ですか?」
「そのまんまだよ。そしてお前のせいで、俺の仲間は全滅したんだ!」
「どういうことですか?」
「俺は一週間前、仲間と一緒に魔物の討伐に行った。魔物せいで用水路が破壊されて困ってると。現場に向かってみれば、予想以上の魔物の群勢がいた。俺以外全員死んだ。仲間はいなくなり依頼もこなせずおじゃんになった! お前があの時、グレンをこっちに寄こしてりゃあこんなことにはならなかったんだ!」
「それは……」
「結果的にグレンは死んだんだろ! お前の隣にいることがそもそも間違いだったんだよ!」
この会話は、はっきり言って会話になっていない。一方的に憤怒の悪態を吐いているだけ。わかりやすく言えば、いちゃもんである。
大柄の男の名前はユノ。彼と死んだパーティーメンバーは、一言で表せば冒険者を舐めていた。エドワードたちに近づく前も後も杜撰な計画、行動が目立っていた。そしてより致命的なのは、それに対して誰一人危機感を持っていないという点だった。今日まで生き残ってこれたのも単なる運でしかない。
仲間が全滅した依頼も、事前準備を怠らず行えば、それで足りなくとも状況判断で冷静に対処できたなら、少なくとも仲間は失わずに済んだはずだった。
しかし彼は自業自得という汚名を認めたくなかった。
昔、自らが勧誘した仲の良い冒険者二人のことを思い出し、噂でソルドの店で働き始めたエドワードの所に問い詰め、置き場所のない怒りを身勝手に放出している。間抜けにもほどがある愚かさだった。
仮にグレンがいたとしても何も変わらなかった。投げやりな性格を直感で見抜き、グレンはかつて勧誘を断ったのかもしれない。
そもそも冒険者という存在は、自己責任の塊のような、仕事と言ってもいいかもわからない異物。己の過失を大して会っていない他人に野次を飛ばすなど馬鹿げている。
彼がエドワードに投げる言葉には中身がない。故に、エドワードがさらりと受け流せば、このとるに足らない極小の騒動は収まる。そのはずだったが、
(間違い……か)
エドワードはまともな思考を働かせていなかった。亡き友人のことになると、否、グレンが死んでいなかったら、ちゃんと言葉を返せていたかもしれない。自分が友人を殺したと、言われたことのない事実が本当のように聞こえてしまった。それはどんな凶器よりもエドワードの心を抉る。
(思いたくない……そう思いたくないが)
悪しき思い出や言葉は、良い思い出や言葉よりも心に残る。顔も名前も覚えていなかった他人でさえも例外ではない。むしろ他人だからこそ、ふとした口走りが誰かに強く響く。エドワードはそれを思い知った。
「お前が殺した! 責任を取れ!」
グレンを殺したのは赤暴熊。断じてエドワードのせいではない。怒鳴りつけている目の前の男の仲間が死んだことも、エドワードのせいではない。それでも彼自身は、二つの悲劇が己の誤った選択が関係しているのではないかと考えてしまう。かつての幸福の選択を誤ったなどと思いたくはなかったが、彼の思考は今冷静ではない。
こうすれば良かった、ああすれば良かった。過去の仮定の情景が頭の中を駆け巡って終わらない。
ソルドにも店の中にいるお客にも迷惑がかかっている状況はわかっているが、何と口にすれば良いのか、エドワードは答えを出せなかった。
「いい加減にしてください!」
その時、男の物ではない怒号が店の中で現れた。まるで、エドワードの胸中を代弁するように。それはたった一人の少女だった。
「なんだテメェは!」
「なんだじゃありません! 何ですか、急に来て他人を侮辱するような真似をして。無礼にもほどがあります!」
「お前には関係ねえだろ!」
「関係あります! 近しい人を侮辱されて黙って見る人がどこにいるんですか!」
男よりも一回り小柄な女体でも、男にも劣らない気迫で言葉をぶつけた。その口は僅かに震えている。無論、恐怖を感じているからだ。元より彼女は大声を張り上げたことなど殆どなかった。
それでも勇気を出して前に出てきた。震えを押し殺して口を開いた。エドワードの胸中を知るフィリアが、彼の代わりに声を張り上げた。その姿を見るエドワードは己を情けなく思うそれ以上に、勇ましいフィリアの横顔を美しいと思った。
「貴方はエドワードさんのせいで仲間が死んだと言いましたね。それは些か浅はかな決めつけです。お仲間の死は残念だと思いますが、それをその場にいなかった者に責任を放棄するなど滑稽と述べる他ありません。それに貴方は過去にグレンさんを誘い、一度断られている。それは貴方も受け入れたということです。なら貴方が文句を言えることは何一つありません」
「なんだと……」
「貴方はエドワードさんの何を知っていますか? 歩んできた道も、ご友人と一緒に笑い合った瞬間も、全て知っていますか? ご友人の死を目の当たりにした気持ちを少しは考えたことがありますか? それを考えた上で貴方はここに来たのですか!」
「このっ」
「貴方にも、そしてもちろん私にも、当事者ではない彼をどうこう言える権利はありません。何より貴方の発言は、自分たちだけでは攻略できなかったと認めています。それは貴方自身が仲間を信じていなかったということになりますよ。それは仲間たちへの、死者への冒涜になってしまいますよ!」
言葉を遮らせないために、必死に思いつける限りの発言をした。鼓動が早くなって顔も熱い。フィリアは他に何も考えず、ただエドワードを傷つけたことの反論を言ってのけた。だがフィリアは、その後のことを念頭に置いていなかった。
シーンと静まりかえる店中に、堪忍の緒がぶちっと切れた人間がいた。
「この野郎……冒険者でもないぬくぬくと育っただけのガキが、言ってくれんじゃねえか!」
正当性の欠片もない激昂を吠える男。正論を言われた男は引き下がるほどの良心を持っていなかった。ごつい右手は華奢な体の少女の首に伸ばそうとする。
エドワードの脳は反射で動けと反応した。己のために身を乗り出してくれたフィリアに手を出させはしない。しかし、少女を守ろうとしたその行動よりも前に、ガシャンと不快な奇音が轟いた。
「あが……っ!」
それは皿が割れた音だった。店の奥にいたおさげの男──メレがいつの間にかフィリアの横まで来ており、冒険者の男の脳天に食べ終わった皿を思いきり叩きつけたのだ。おかげで男の頭部の皮膚から血が出ている。
「メ、メレさん」
「なんだ……お前っ」
出血している所を手で押さえながらメレを下から睨む。メレは特に動じず普段と変わらないおちゃらけた口調で口を開く。
「なんや、さっきから蠅がぶんぶんぶんぶん騒がしくてなあ、今ようやく治ったとこや」
「テメェ、ふざけんじゃねえぞ……後で後悔するぞ!」
「床に座り込んだ巨体が威勢張っても力ないわ〜。てかそろそろ黙れや」
最後の言葉がいつものメレよりも力強く発せられ、それに男は巨躯をすぼませた。
「ほんまうるっさいねん。あんたが一言口開くたびここの甘味が薄まっていくんや。よく今まで冒険者なんか続けとったなー。街の土木作業してた方がマシちゃうん?」
「テメェまで……っ!」
「あんた見た目からして、考えること苦手やろ? 依頼者からの話を隅から隅まで嫌になるくらい頭にねじ込んだか? どうすれば犠牲なく円滑にことが終えることができるか仲間と話し合ったか? 緊急に陥った時の対処法を事前に準備しといたか? してないやろ、その顔。こんなん学生でも言われんでやりおるわ」
「……それ……は」
ド正論を叩きつけられ茫然自失になっている。メレは間髪入れずに説教するように目線を合わせて言い放つ。
「そもそもあんた人にもの言える立場かいな。周り見ろや。あんたのせいで気分を害する人がぎょーさんおるの気づかへん? 周り見えへん奴は他人に文句垂れる資格ないわ。んなことせんで、仲間の弔いでもせや」
「あ……」
「さっさと去ねや」
最後の押しで我に目覚めたのか、男は怖気付いてそそくさと店の玄関扉を開けて出ていった。またしーんと静観の雰囲気が流れ出すと、メレは両掌を勢いよく合わせた。
「いやー他のお客さんすみませんね。物騒な所を見せてしまいまして。どうかこの店嫌わないでくださいわ。喧しいのは今出てった奴と俺くらいなもんですから」
場を和ませるように振る舞い頭を下げるメレ。穏やかさの中に確かにある敬虔な態度に周囲の人々は胸を撫で下ろし、親和で多様な言葉を投げかけた。落ち着いた所で、メレは割れて散らばった皿の破片を拾い始めた。
「すまんなー店主。大事な皿割ってしもうた。今度俺に請求書だしてや」
「い、いえそんな! 本来私が言うべきことをメレさんが」
「ええよええよ。いやぁ、エドワードさんも大変やったな。あんなぼんくら気にしたらあかんよ? 過去は知らんが、エドワードさんは今を生きてるんやから」
「メレさん……ありがとうございます」
「礼は俺ちゃうよ。勇敢なお嬢様に言ってや」
目を向けた先にはぐったりしているフィリアが。疲弊し切っている様子が伝わってくる。やはり相当な無理をしていたようだ。
「フィリア様、大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありません。あはは、少し頑張り過ぎちゃいました。久しぶりに声を荒げてしまいましたよ」
「……すみません。私のことであなたに負担をかけてしまって」
「そこは……謝罪ではなく、感謝にしてください」
「え?」
「私はただ本心を言っただけです。謝罪をされては、私の貴方への気持ちが違うと言われているようで」
「まさか! あなたの言葉は嬉しかった。ホントに……本当に……すごく嬉しかったです」
するとフィリアはふんわりと笑みを浮かべた。さっきまで感じてた疲弊など忘却したかのように相好を崩す。
「そう思ってくれるなら、私も頑張った甲斐がありました」
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「今日は本当にありがとうございました。メレさん」
「だから俺ちゃうよ。女騎士が主君を守ったんや。あのフィリアちゃんかっこよかったわぁ」
店前でメレの帰り際にエドワードは小話をしていた。野蛮なことをしたのは事実だが、少女と同じく自身のために動いてくれた彼に、改めて感謝を伝えたかったのだ。
「お礼を言いたかった。こんなただの新人店員のために怒ってくれたあなたに。私はその姿勢が嬉しかったです」
「水臭いこと言わんでや。俺とエドワードさんの仲やん。困った時はお互い様やわ」
何も変わらず、平然とそう言ってくれるメレにエドワードは安心した。エドワード一人だったならば、何もできずに言われるがままの状態になっていた。自分を理解してくれる人間がいるというものは、とても頼りになると実感した。フィリアと違ってかつての友人と同じ性別だからか、どこかメレに近しい物を心の内に持っていた。
「何かあれば遠慮なく言ってください。私でよければ力になります」
「ほんまに? 嬉しいなあ。ならさっそくで悪いんやけど、ちょい耳貸してくれへん?」
「はい」
耳をメレの顔に近づけると、小さな声が耳に入った。
「明日、フィリアちゃんを殺しにいく」




