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星児

作者: 塚越広治

「あれは?」と、せいじは小さな指で無数の星の1つを示した。

「あれは火星だ。」と、男はせいじの頭に大きな手を乗せた。

「あっちのは?」

「あれはもっとずっと遠い。大熊座の熊の鼻面だ。」

 男の腕は、せいじの頭から肩へ柔らかく滑り落ち、せいじを引き寄せ、4年ぶりの孫をいとうしむ。ここは、地球を巡る宇宙植民地から突き出したカニの目玉。その大きく透明な展望室を柔らかな深淵が包み込み、降り注ぐ様に全天にちりばめられた星々が、体の中に染み入って来るように輝いている。柔らかいのやら、硬いのやら、小さいのや、大きいの、熱そうなのや、冷たそうなの、せいじはその1つ1つを指さして、祖父を名乗る男に説明を求めるのだった。それぞれの輝きは鳥の羽だったり、動物のしっぽだったりしたが、せいじはそんな説明を受けながら男の言葉の暖かさに甘えているのだった。せいじはこの初老の男のひざの温かさに安堵感を感じているのだった。

 でも、たった1つの違和感は、せいじが振り仰ぐ男の目は、せいじを通してずっと昔の自分の息子を見ているのだった。せいじの重みに、幼かった息子を考えているのだった。せいじはちょっと質問を変えた。

「ボクとお父さんは似てる?」

男は笑った。せいじは続けた。

「あなたとお父さんは似てる?」

男は今度は本当に声を上げて笑った。せいじは男の笑い声が気に入った。

「せいじ、おまえは幾つになった?」

せいじは右手の人差し指で左手の指をつついてから、左手の親指だけを曲げて突き出した。

「4つ。」

せいじは顔を上げ、背をいっぱいに反らせたので、男の顔が逆さになった。それから、思いだしたように大きなあくびを1つした。

「4つか、おまえのお父さんもここで船に乗りたいと言ったんだ。」

せいじは半ば眠い目をこすって

「ふうん。」と、当たり前のことに興味が無さそうに言った。

「私も4つのときに母親に抱かれながら宇宙飛行士になるって宣言したんだ。せいじ、せいじ、、、、。」

男は膝の上の子供を軽く揺すった。ごつごつしてはいるけれど、暖かな揺りかご。せいじは男のひざを居心地のよい操縦席の代わりにして眠り込んでしまった。微笑むようにつむった目は、今、計器盤の指標の1つ1つを追っているところだ。計器の針はあるべき位置にある。しかし、せいじは宇宙のほんの気まぐれに合わせて操縦桿を押したり引いたりするのだ。名機長の手腕で流星群を避けたり、惑星軌道を周回したりしているのだと男は思った。男はせいじを仰向けにし、両の腕で抱き抱えようとしたが、せいじが何か小さく呟いて目をこすったので手を止めた。それからまたゆっくりと孫の顔を目に焼き付けた。口元は、おばあちゃん似だ。柔らかな黒髪は、多分、お母さん譲りだろう。目鼻立はお父さん似。そうして、この子の心は私に似てるよ。男はわずかに微笑んで、全天の星々がせいじに投げかける祝福の光を見上げた。

「お父さん。」

男は息子の声に振り返った。いつの間にやって来たのか、一組の男女、それはせいじの父母であり、男の息子と義娘。一瞬、気まずい沈黙があって、やがて息子は口を開いた。

「お父さん、ここだと思いましたよ。」

「お父さんとも、ご一緒できればいいんですけれど。」

若い母親の言葉に男はわずかに微笑んだ。それは疲れを含んだ拒絶の微笑み。

「私は昨日、帰ってきたばかりだよ。それにもう、落ち着きたくなる年だしね。」

「もっと若い頃から落ち着けばよかったのに。」

「そうだ、そうしていたら、おまえやおまえの母親と一緒に空を見上げて語り合っていられただろうし、この子も素直におじいちゃんと呼んでくれたさ。画面でしか会ったことのない男が、ある日いきなり実体化したんでこの子も驚いたろう。」

男はせいじを抱えて娘へと歩み寄りながら続けた。

「でもね、今のおまえ達と同じだ。渡り鳥は季節の変わり目を感じ取って羽ばたきするんだ。何か一種の本能で。いや、もういい、ただ、最後は死んだおまえの母親のそばで落ち着きたい。」

男は、せいじを母親の腕に返した。そして、乱暴に息子の肩を叩いて言った。

「頼りないやつだがよろしく頼みます。ただ、何かの役には立つでしょう、何しろ父親がいるかどうかも分からないような状況でも育つタフなやつですから。」

「ええ、多分お父さん似ですわ。」

 母親はそう言って笑い、さりげなく、眠ったままのせいじの顔が男の方へ向くように体の向きを変えた。

「私が若かった頃、いや、今でも若いつもりだが、とにかく太陽系は広すぎた。地球と木星の間ですらね。いま、銀河系は広すぎるが、この子の時代には宇宙は広すぎるって嘆いているさ。」

男はせいじの頭をなでる手に髪をからませて母親の目の涙に気付いた。

「今は、泣くよりも、地球を目に焼き付けておきなさい。」

展望室の足下に、宇宙の丸く切り取るように広がる大きな青い円弧が地球である。


 船団の出発の日、男もまた火星航路定期貨客船モンタナ号の出航の準備に、あえて多忙な時を過ごした。

「主エンジン、チェック終了。全出航準備完了しました。」と、副長が船長を振り返りながら言った。

「通信士。船団の映像を全艦内にまわしてくれ。」

副長は船長の命令の意図を察して、通信士に艦内放送を指示した。船長は指示を付け加えた。

「船団映像、もっと大きく、スクリーンいっぱいにだ。」

そして、映像に静まりかえった乗員に命じた。

「艦内全部署へ。作業一時中止。我々も人々を見送ろう。」

今、全地球人の目がこの船団に釘付けだ。地球人類の人口の増加は、衛星都市や月や火星の都市の収容能力を超え、遙か彼方の恒星系に移民団を送り出す計画が立てられた。成功を疑問視する声も多い。数万人もの人々が数十隻の宇宙船に搭乗し、移民団は人口冬眠で、3光年という距離を数百年の時間をかけて旅するのである。旅の結果、移住に望ましい惑星が見つかるという確証はなく、体裁のいい棄民計画だとも言われる。しかし、未知の大地を求めるという人類の本能に、旅を希望する人々の意志も否定しがたい。

 スクリーンに広がる、初の外宇宙への移民団を乗せた恒星間ロケットの群れ。帰ることのない人々と、残された人々。映像が回されてきた機関室では、出港準備に忙しく動き回る機関士たちいる。ここが、男、せいじの祖父の職場である。

一人の機関士が、男の涙を見ないように、スクリーンに目をやったまま言った。

「機関長、ご家族が、」

モンタナ号の乗組員たちも、今回の航海を最後に引退する機関長の家族が移民団の中にいることを知っている。

(この連中は、俺の寂しさに配慮してくれているのか)

そう思いつつ、苦笑いしながら思い出に浸るように語る男の言葉が、モンタナ号艦内の人々に伝わった。

「うん、でもね、あの子は最後に自慢の種を残してくれたよ。あの子は母親に抱かれて船に乗るときに、恥しそうに手を振って言ったんだ。『おじいちゃん、行ってきます。』って、」

男は目をしばたかせて涙を抑えて続けた。

「ちょっと、近所にでも遊びにでも行くような調子だったよ。」

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