第16話 ネノ、叫ぶ
「……ね、エル」
ネノが手に持っていたココアのカップを置き、深刻そうな表情を作ってわたしに顔を寄せてきた。
「友だちでしょ、なんでも言って。ちゃんと聞くから」
くりりとしたヘーゼルの愛らしい瞳をまっすぐにわたしに向けてくる。真剣な様子に、摘まみ上げていたクッキーを口に放り込むのを中止して、わたしは背筋を伸ばして彼女に向き合った。
窓からはのんきな小鳥の歌声が入ってくる。お日さまはあたたかい。午前中の外の仕事を終えて、そろそろ来るかなあと待ち構えていたネノを首尾よく捕まえ、こうしてお茶のテーブルを囲んでいるのだ。
待っていた理由は言うまでもない。わんこ……炎鬼将軍、リディスさまとの秘密のやり取りの仲立ちを頼むためだ。
月夜のりんご作戦が失敗に終わり、リディスさまも手紙や書き付けでやり取りをする必要があることを認めた。かといってわたしが母屋に入ることも難しいし、リディスさまから小屋にやってくることもできない。それができるならこんな回りくどいことはしていないのだ。
ただ、リディスさまはどうしても、そのやり取りの中身、目的を隠したいらしい。書き付け自体も厳重に封をするというし、仲介してくれるひとにも伏せたいという。
もういいじゃないですか、みんなに言っちゃいましょう、最強の将軍さまが実は甘いものがすっごい好きって、むしろみんな親近感を持ってくれますよ……って言いかけたんだけど、その途中でリディスさまが焦げた苦瓜を口いっぱいに頬張ったみたいな顔をつくったから、わたしは黙ったのだ。
世間にあまねく知られるくらいならこの腹に剣を突き立てる、とまで言う。
お腹にそんなの刺したらお菓子、二度と食べられなくなりますよ、って返したら、なにやら呼吸が荒くなり目尻が潤んできたから、それ以上からかうのはやめた。
やるだけやってみます、でももし協力してくれるひとに知られてしまっても、そのひとのことは絶対に責めないでください、いいですね、と言うと、しばらく時間を置いてから小さく頷いた。
そうして、数日。
考えてみたけれど、やっぱりネノ、母屋の厨房の下働きのこの愛らしい友人に頼むしかないように思えて、こうして待ち構え、テーブルを挟んで向き合っているというわけだ。
ただ、やっぱりなんと切り出すかが決まらない。ううんとしばらく唸りながら下を向いていたら、ネノの方から言われてしまったのである。
「う、わかる……?」
「うん、それだけわかりやすく悩まれちゃうとね。どうしたの」
「……うん、あの、ね」
「うんうん」
「……母屋のね、とある方と、秘密でやりとり、したいんだけど……」
最後に少しだけ迷ってから、もうどうにでもなれとばかりに声を出した。窓からそよと入ってきた風が小屋のなかを抜けてゆく。
テーブルに手を置いたまま、ネノもわたしも静止している。
あ、これは、入ったな。
ネノの急所に。
だん、と、唐突に立ち上がるネノ。両手のひらで口を押えている。その隙間から見える頬が桃に染まっている。おさげがなんとなく浮きあがっているように思えるのは気のせいか。
すうと息を吸い込んで、彼女は囁くような発声法で悲鳴を上げた。
「ええええええええっ!」
「……うん、そうなるよね。まあ落ち着いて、話をきい……」
「すっごい! え、ほんとに! どうして、いつから、ええええ、わたしぜんぜん気が付かなかった……! わあああこりゃ大変だ、すごいすごいすごい」
「……あの、ネノ……ちょっと、はなし……」
「えええ誰だろ、母屋の使用人にそんな良さげなひといたかな……ううんと厨房はみんな所帯持ちと女のひとばっかりだから……あっ! わかった! 馬廻りに最近はいった栗毛の彼! どう、違う? ね?」
「や、待って、そうじゃなくて……」
「違うかあ、ううんとそれじゃそれじゃ……えっ、もしかして使用人じゃなくて、衛士? 軍人さんなのね? きゃああああ素敵素敵! てことは、彼から声をかけてきたとか? 遠くから見初められたの? うっそほんとに? ええええなんかわたし興奮して苦しくなってきた」
声を出そうとしてもものすごい早口を被せてくるので何も言えない。やむを得ずわたしは彫像のような面相を準備し、すうと正面に手のひらを上げてみせた。音量を下げつつ我が発言を傾聴せよの意味だったが、その手をネノはがっしりと両手で包んできた。なんか目が真っ赤。なんで涙うかべてんのこの子。
「よかったねよかったね……無理やり他の国に連れてこられて、こんな暮らしをさせられて……でもでも、見てくれてるひとはいるんだねえ。ぐす、うんうん、わたし応援する、ぜったい応援する、全力で応援するっ!」
「あ、ありが……いやいや、違うんだってばちょっと聞いて……そうじゃなくて、ある方とあることで連絡を取りあわなきゃいけなくて、それでお手紙とか書き付けとか、仲介してほしいんだけど……」
「あることって?」
「ある、こと……は、その……」
わたしが言いよどむと、ネノはわたしの手を握ったままで上目に目尻を下げてみせた。口の端も思い切り持ち上がる。なんか怖い。ネノ、こういう子だったか。
「ふふふ。いいよいいよ、うんうん、わかった。とあること、ね。うふふふふ。そういうことにしておきましょう。とにかくわたしがその方からお手紙を受け取ったらエルに渡して、エルからのも彼に渡せばいいのね?」
「あ、それが……直接は、お渡しできなくて……」
「え、どうして? なにか都合、悪いの?」
はい。お相手が邸の当主、リディス・ルキソエール公爵さまだからです。
なんてことはやっぱり言えないから、わたしは思わし気な顔でうんと頷いて、お茶のカップを持ち上げた。ああ、なんだかめんどくさいなあ。もう言っちゃいたい。
ただ、わたしの表情になにかぴんときたものを感じたらしいネノは、目を薄くし眉根を寄せてみせた。
「……わかった」
「え、なに」
「……お館さま、ルキソエールさまでしょ」
口に含んだお茶を噴射しかけて、わたしはがはごへと咳き込んだ。
「えっ、な、えっ」
「……みんな、心配してたんだよ。お茶会のたびにじいっと睨んできたり、畑仕事の最中にエルを無理やり連れていっちゃったり。隣の国、エルの故郷のことでなにか言ってきてるんでしょ。あ、いいよいいよ言わなくて、わかってる。国と国のことだもん。難しいこともあるよね。だけど、いくらエルがこういう立場だからって、恋路まで邪魔することは許されないよ」
「へっ」
口に手巾を当てながら目を見開いたわたしに、ネノは沈鬱な表情でなんども頷いてみせた。
「あなたの心配はよくわかる。エルのお相手、母屋の誰かだもんね、いくらそういうことに鈍感そうなあの炎鬼将軍でも、なんどかやり取りしてたらなにかの拍子に気づいちゃうかもしれない。そうしたらどんな嫌がらせされるか、わからないものね。うんうん、もっともだ」
「……あ、や、そういうことでも、ないんだけど……」
「大丈夫。わたしに任せて。秘策がある」
「ひ、秘策」
ネノは自分の胸元をとんと親指でつついてみせた。得意そうな表情。
「わたしね、厨房のお掃除道具の管理、任されてるんだ。その用具入れ、あんまり目につかないところにあるし、開けるのはわたしだけ。その扉の隙間にそっと、封緘したお手紙、差し込んでくれるように彼に伝えてもらえる? そうしたらわたしがエルに渡すし、エルのお返事も端っこが見えるように差し込んでおく。ね、どう?」
「あ、うん、すごくいいと思う。ありがと……ごめんね、へんなことに巻き込んじゃって」
「変なことなんかじゃないよ!」
声を張り、再びネノはわたしの手を掴んだ。ぐいと引き寄せられる。
「こんな素敵なこと、ないよ。絶対、わたしが守る、エルと彼との秘密のやりとり。邪魔はさせない。あんな粗野で乱暴で偏食で変わり者の炎鬼将軍、お館さまなんかに!」
「は、はあ……」
きらきらと輝くネノの瞳。わたしは引き攣った笑顔を返すことしかできない。
結果的には上首尾だったけど……リディスさま、すごい言われてる。
本人に聞かせたらへこむだろうなあ。




