第15話 将軍さま、ずるい
「……作戦の実施と運用について見直しが必要であることを認める」
炭焼き小屋の戸口には明かりを置いていない。
夜に訪ねてくるひとがあれば、奥の小さな燭台をそのまま持って行って立ち話をすることになるのだけれど、今のわたしにはそのつもりがない。
だから、戸口のあたりは真っ暗だ。
奥の作業台のところで繕い物をしているわたしの背に、その暗がりから誰かが声をかけたように思えた。でも、それは気のせいなのである。だから、聴こえなかったこととする。
「……立案者、ならびに作戦遂行の責任者として忸怩たる思いだ。慙愧に堪えぬ。悔恨を覚える。速やかに改善策を検討し、作戦に反映するとともに、実施運用についても手順を改め……」
低く呻くような声が途絶えない。気のせいではなかったようだ。うん、たぶん、うしがえるが迷い込んだのだろう。それも特大のやつが。いるのよねこのへん、森と小川が近いものだから。困るわあ。
繕いものが終わったので立ち上がり、道具をしまう。作り付けの棚は高い位置にあるので、踏み台を使うことになる。うんせ、と裁縫箱を持って背を伸ばすと、横から手が伸ばされた。
「危ないだろう。言ってくれれば、俺がしまう」
「……どちらさまでしょうか」
わたしは手を伸ばしたまま、可能な限り冷ややかな声を出した。なにものかによって冬の海に放り出され生きながら沈められた自分を想像して出した音は、自分でもびっくりするくらい怖かった。冬もなにも、海、みたことないんだけど。
効果はあったようで、相手は三歩ほど飛んで退った。やっぱりうしがえるだ。
「う、む……」
うしがえるさんは発すべき言葉を探していたようだったが、やがて沈黙した。目が泳いでいる。眉尻が落ちている。ざっくりと乱した紅の癖毛が、いまは戸惑いに揺れているように思えた。こぶしを握ったり、開いたり、手を組み合わせてまた離して。
大混乱、といったところなのだろう。
踏み台に乗っているから、うしがえるさん、すなわちリディス・ルキソエールさまの目よりもいま、少し高いところから見下ろすようになっている。そのこともあり、戸惑う彼の様子が、叱られて尻尾を巻き込んだ大型犬のようにも感じられた。
はあ。わたしはひとつ大きなため息をついて、踏み台から降りる。
「……あの時、わたしが申し上げたこと、覚えておられますか」
今度は見上げるようになった彼の瞳をまっすぐに見据える。リディスさまも見返すが、燭台の灯に揺れる彫りの深い横顔にも、その太い眉にも、無敵の炎鬼将軍の威光をまったく感じない。心細げにうなだれながら、小さく頷いた。
「……馬車のなかでのことだろう。覚えている。嬉しいと感じたのなら、言葉にする。謝礼の品より、対価より、まずは言葉。嬉しかった、ありがとう、と……」
「覚えておられましたね。では、いまはどうでしょう」
「い……いまは、作戦が失敗を迎えた局面だ。符牒により希望する菓子を伝えたはよいが、俺はすぐに急な所用で出てしまい、数日戻らなかった。そのことを伝える符牒もなく、方法もないまま、君は菓子を用意し、俺を待つ羽目に……いや、だが、ここはまず、俺が謝罪するより、直近の事実関係を明らかにして今後の対策を……」
「なるほど。では、すこうしだけ、補足させていただきます」
わたしはすうと息を吸い込んだ。目を細くし、ぐいと顔を彼に近づける。
「まず、ご希望のお菓子を用意したのは一度ではありません。お訪ねにならないので、都合が悪いのかな、明日は来られるかなって、毎晩、用意していました。クリームたっぷりの果実のパイ。昨日で五日目です。毎晩です」
「……う」
「おそらくおわかりでないかと思いますからもう少し補足を続けます。クリームは乳から作ります。乳は日持ちがしませんから、作る都度、手に入れなければなりません。裏づとめの皆さんにご協力いただきましたが、そうそう毎日、用意できるものではありません。それでも約束でしたから、わたしは一生懸命、頭を下げてわけてもらっていたのです。そうして出来上がったパイもまた、日持ちしません。深夜までお待ちし、来られないとわかると、一部はわたしが食べ、残りは翌日にみなに配りました。皆は喜んでくれましたが、それも翌日までです。三日目からはみな顔を引きつらせていましたし、昨日はわたしは肩を掴まれました。大丈夫かい、なにか悩みごとがあるなら相談してくれていいんだよ、と。わたしは涙を浮かべました。みなの優しさと、あまりの羞恥に」
「……な、なんとも……」
「それに……それに! 五日も続けて深夜にパイを食べたわたしは、わたしは……おわかりになりませんか!」
わたしは鼻息を吐き、ばあんと腕を広げてみせた。リディスさまは攻撃されるものと思ったのか両腕を組み合わせて顔の前にかざし、その隙間をゆっくりと開けて、わたしの顔から足の先まで視線を動かした。
「……な、なにが……」
「もう、言わせないでくださいよ! ふ、ふと、太ったに決まってるじゃないですか! 見てくださいこのほっぺた! むくんでぷっくぷくで!」
「……や、さほど、様子は変わらぬように見受けるが……それに、パイも無駄にならずに、しっかり脂肪として皮膚の下に貯蔵することに成功したのであれば、生物としては祝着なのでは……ないの、か?」
みしっ、と音がしたのは、わたしがリディスさまに飛びかかりひといきに息の根を止めて差しあげるかを検討した折に踏み込んだ床板が鳴ったものだ。
さすが練磨の将軍さま。わたしの闘気を察したらしい。組んでいた腕をそのままに半歩ほど跳んで退がり、命を永らえた。こしゃくである。
わたしは広げていた手を下ろし、薄い視線を送りながらくるりと踵を返した。流しに向かい、戸棚から鍋やらを取り出しながら声を出す。
「……明日の支度をしたら休みます。次回の作戦は無期延期とただいま決定されました。そのあいだ、甘いものが欲しければ母屋の厨房にご依頼ください。それではおやすみなさい。ごきげんよう」
「……な、いや、それは……」
リディスさまがもごもごと何か言いかけたが、わたしはかまわず動いている。材料やら道具を整理して、前掛けを外した。あえて胸元に手をかけて、彼の方を見ずに声をぶつける。
「……夜着に着替えます。居座るようなら声を出しますよ」
「え、ま、ちょっと、まって……」
「声を、出しますよ!」
姿は見ていないが、ばたばたと慌てるリディスさまの気配。戸口の方へ転がるように移動しているらしい。が、ふいにその音が落ち着く。わたしはそちらに振り返った。
戸口の前に、膝を負って座っているリディスさま。背を丸め、うなだれ、おおきな身体をちいさくまとめている。ぎゅっと口を引き結び、眉根を寄せ、肩を緊張させている。膝と膝の間からしっぽがみえるのではないかという形だった。
「……す、すま……すま、な……」
わたしがじっと見ていることに気づくと、だん、と床に両方の拳を打ち付けた。
「すまなかった! しょ、正直、菓子など一度つくればいつでも喰えるものだと思っていた! わ、忘れていたわけではないが、そのうち訪ねればよいと思っていた。認める、俺が悪かった! だから、だから、作戦延期などと……」
「お声! おっきいです!」
わたしはひそやかな声で叫び、口の前に指を立ててみせた。リディスさまもなぜかおなじ仕草を返す。なんだろうこれ。が、その仕草がわたしのなかの溶岩の温度を急速に冷やして、岩とさせ、ころころと転がした。
転がる音は、わたしの口から笑いを堪える声として漏れ出た。
リディスさまはわたしの顔に、おおきく見開いた紅の瞳を向けている。心なしか潤んでいるように思えた。
「……もう、いいです。リディスさまが大事なお仕事ででかけられたのも伺ってましたし。慣れないお菓子、どれだけ日持ちするものかなんてわかりませんもんね。はじめからそうやって、ごめんなさいとひとこと、おっしゃっていただければよかったのです。わたしも怒りすぎました」
「……で、では……」
「ただ、やっぱりあの、ふ……なんでしたっけ、符牒。あれはちょっと、大変です。今度みたいなこともあるだろうし、やっぱりちゃんと、手紙か何かでやりとりするほうがいいんじゃないでしょうか」
「……もっともだ……が、じかに手渡すわけにもいかぬ……執事や侍女らに言づけることもできん」
リディスさまは唇を嚙みしめながら真剣に検討をしている。お菓子の注文をする方法を考案している横顔にはけっして見えない。でも、そういう表情をする彼を見ているのはなんとなく楽しいことだった。しばらく後ろに手を組んでじっと見ていると、自然と顔がほころんでくる。
「なにか、考えておきます。母屋の厨房の使用人にも仲の良いひとがいますから、ちゃんと話せば手伝ってくれるかもしれません」
「えっ、や、それは……」
戸惑いを見せるリディスさまに、わたしはあえてまたぎろりと視線を向けてみせた。
「わたしのお菓子、召し上がりたいんですよね。わたしを信じられた、ということですよね。だったら、わたしの友人も信じてください。みんな、仲間です」
リディスさまはしばらく口をもごもごしていたが、頷いた。
というか、わたしはみなに、リディスさまがほんとうは甘いものが大好きだと言いたくてたまらない。いっそうっかりバレてしまえばいいのになあと思っているが、そんなことはおくびにも出さない。まあ、ちゃんと念押ししますけどね。
「……ときに」
「はい」
膝を折って座ったまま、しばらく動かずにいたリディスさまが、再び小さく小さく、身を縮めてみせた。
「……きょ、今日は……菓子、用意、して、なかった……の、か……?」
わたしの視線を避けるように横を向き、それでも小声で菓子をねだるリディスさま。子どものようなその仕草に、わたしは怒り顔を造ることに失敗した。苦笑して、横の戸棚を指さす。
「……もう。ありますよ、ちゃんと。いま切りますから、そこのテーブルで待っていてください」
ぱあっと顔を輝かせ、ぽんと立ち上がって椅子に走るリディスさま。まだパイを取り出してもいないわたしの手元をじっと見ている。背中にぶんぶん振っているしっぽが見えるような気がした。
ふふ。
なんだか、ずるいな。
無敵の、わんこ将軍。




