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午後はそれぞれ好きな学科を選択する。入学前に希望の専攻を問われ、二年生になると専門分野に特化した指導が行われることになるのだが、一年のカリキュラムは比較的自由である。
設立当初は一年生から指定された学科に沿って授業が行われていた。
学園を立ちあげて、まだ数年しか経っていない。手探りの状態で講師側も模索しているので、方向性が確立していないと言われれば聞こえが悪いが、現在、伸び伸びと学習できる環境を配慮しながら教育へ取り組んでいる。
ルイーズは領地経営科や農業生産科を希望しているのだが、今から国外生活を視野に入れ、留学生と交流を図る国際文化交流科も悪くないと思い、二年からの専攻を悩んでいた。
農業生産科を望んでいるのは、ルイーズがイリスであった頃の記憶が起因している。父であったクロヴィスに提言され、イリスが甘藷の研究をしていたからだ。
甘薯は交流のあった外国から当時の皇帝クロヴィスへ寄贈されたものだ。気候に左右されにくく育ちやすい甘薯は栄養価も高いので、もし、農作物が不足したときに主食である麦類の代用も可能かもしれないとクロヴィスは考慮した。
外国の献上品を普及するにあったては国内にどのような影響があるのか熟慮が必要だ。そこで、離宮の庭へ作物を育てていたイリスへ研究を持ちかけたのだった。唯一、クロヴィスがイリスへ所望した国政の事案だった。
イリスは甘薯を育て、自身でも何年か食べ続けた結果、危険性はないと判断した。離宮へ腹を空かせてやってきた平民たちに振る舞っていたものだ。
イリスが死亡後、前政権の悪政で国庫が枯渇し食べるものに困っていた民に対して、エルンストは甘薯を世間へ推奨して飢饉を防いだ。
クロヴィスやイリスの貢献があってのこととは帝国民は知らない。ルイーズはそれでも皆が飢えずに済んだのだから良かったと思っている。
「ルイーズ様!こちらにいらしたのですか?」
「コリンヌ…。どうしましたの?そんなに慌てて…。学園内では淑女らしく、廊下を走ってはいけませんよ」
コリンヌの運動神経は他生徒より群を抜いており、ディアス公爵家のお抱え騎士団の騎士たちと訓練と称して総当たり戦で剣を交えても優秀な成績を残している。
そのコリンヌが全力疾走してルイーズを目掛けてきたのだ。
「凄いんです‼︎」
「何がですの?」
「滅多に見れないんですよ!」
コリンヌがこれほど興奮しているのは珍しい。ただ、言葉の主語が不明瞭なため、ルイーズはコリンヌが何を伝えたいのか分からなかった。
「あぁ!まどろっこしい!行きますよ!お嬢様!」
コリンヌの感情は昂っているので、ルイーズ様呼びもおざなりである。本人の意志を確認することなく、コリンヌは意気揚々と腕を強引に掴みルイーズを誘導した。
「コリンヌ…。私、これから農業生産科の授業なんですのよ…」
「授業は大切です!でも、これを見逃したら後悔します!」
こうして、行き先も分からないまま、ルイーズはコリンヌに連行されるのだった。
コリンヌがルイーズを呼び止める少し前…。
午前の授業を終えて、騎士科を希望している生徒たちが剣技の自主練をしていた。
新入生交流会で男子生徒は皆、剣術試合の参加が決まっている。
学生には学問に秀でているも、武芸は全く出来ないといったものもおり、その場合、辞退宣言した後、相手と握手を交わせば試合は放棄できるのだが、騎士科の専攻を目標にして入学した人間にとっては、将来、騎士として活躍するためにも情けない姿を見せたくはない。そのため、午後も延長して訓練を重ねているのだった。
いつもであれば、皇太子のカイルが稽古をつけてくれるのだが、本日は隣国から使節団が来訪したおり欠席していた。アランも護衛騎士としてカイルへ付き従っている。
そこへふらりと学園長のユーゴが見学にやってきて、暇つぶしに一年生へ実践で剣技を教える。
ベルトランが見かけたら
「この忙しいのに‼︎貴方は何をしているんですか⁉︎」
と雷を落としかねない叱責が飛んだであろう。
だが、幸いにもベルトランは宮廷で執務中だ。来客もあり多忙を極めているので、この事態を知る由もない。
「倒すつもりで切り掛かってこい‼︎本気だしてもオレには勝てないからな…」
全員、一斉に駆け出したが、誰一人としてユーゴへ剣先を当てることが出来ない。
ユーゴの弾むような足さばきで左右肩を動かし軽快に攻撃を躱す。彼らはユーゴの残像を剣を薙ぐのだ。ユーゴの動きに誰もついてこれず、逆に剣の柄部分を叩かれて、皆剣を取りこぼした。
「騎士になったら、真剣で敵と相見えることがあるだろう…。今から慣れとけ…。一年のこの時期、こういった機会は滅多にないぞ」
とのユーゴの言葉の元、生徒たちは真剣で斬りかかっている。ユーゴは生徒の安全のため、木刀を振り回していた。
そこへ運悪くリュカが通りかかった。
リュカは音楽科講師として学園へ雇われているのだが、アクティナ学園は圧倒的に教師の数が少なく、そのため、二年生の馬術の授業を手伝いに来ていた。馬場は演習場の向こう側に設備されている。
公爵家令息でもこき使う…。事務長のマクシムは容赦がない。
「おおー⁉︎良いところに飛んで火に入るリュカがいる。コイツらに手本を見せてやってくれ」
コリンヌは昼休み演習場へ足を運んでいた。多数の生徒が居残りで剣術の訓練を続けていると聞き及び、見学に来たのだ。
コリンヌは騎士へ強い憧れを抱いている。
将来、皇后になる予定であるルイーズの侍女として後宮で従事できるか、不安があるからだ。ディアス公爵家では許されていたものの、孤児出身のコリンヌが宮廷侍女として採用されるものだろうか…。
実力と礼節を備えていれば、騎士は身分を問わない。それならば、ルイーズの専任護衛騎士として主人の側で従いたいと一抹の望みを持っていた。
ユーゴが生徒たちへ指導しているのを目の当たりにして、この場にいる騎士志願の学生たちより、コリンヌは自分の方が力量があるだろうと判断した。実際、それだけの実力がコリンヌには備わっている。
偶然の賜物だが、ユーゴとリュカの模擬試合をコリンヌはディアス公爵家にいても見たことがない…。
「おっ…お嬢様を呼んでこなければ…」
リュカは踊るように足を踏みながら、次から次へ手を休めることはなくユーゴへ斬りかかっていた。実の父へ剣を向けることを迷っていない。
「小手先だけな…。太刀筋が見えてんぞ!」
リュカの攻撃は尋常ではないほど俊敏なのだが、その全てをユーゴは剣で受け流していた。それでもリュカは体勢を崩さず更に攻めこむ。
幾度も刃先が交わり、火花が散った。閃光の軌跡を追いかけるだけでも、新入生には至難であろう。
リュカに比べて数は少ないが、ユーゴは確実に狙いを定めて、重い刃を振り下ろす。
リュカは剣で耐えるも辛いらしく、グリップを握りしめた拳を震わせ眉を顰めた。
「閣下の力任せの剣技では生徒たちの手本にならないと思いますがっ⁉︎」
ユーゴの剣を跳ね返すとともに、土を蹴りあげ、リュカはユーゴの頭上へ剣を振り翳す。
「だからっ!見え見えなんだよっ!」
リュカの剣がユーゴの頭へ届くより前に、ユーゴの蹴りがリュカの腹に深く入る。衝撃で剣がリュカの手から離れた。
背中から地べたへ倒れこむリュカだったが、すぐさま剣を拾う。
「もう一度、お願いします」
淡く灰色がかった柔らかな金髪が一房、リュカの目にかかる。被り振って払うと、いつもの優美で穏やかな眼差しが強い闘志に満ちていた。
「嫌だっ‼︎オレの最愛のアリシアに似てるお前を打ちのめすと目覚めが悪いしっ!」
突然、ユーゴは叫んで剣を投げだした。模範になるべき騎士あるまじき行動だ。
いきなり、試合を申しこみ、やる気が出てきたところで気持ちをへし折る。リュカは憤りを感じた。父親ながら理不尽の塊だ…。
「私が閣下の顔に似てれば良いのですか?」
リュカは発言して過ちに気づいた。
ルイーズの愛らしい姿を思い浮かべたからだ。内面が滲みでているからだろう…。父にそっくりな容姿ではあるが、ルイーズからはユーゴから漂う疎ましさを感じることは全くない。
「そうだな…。オレ似だったら迷う事なく…。無理だ…。やめろ。ルイーズで想像してしまったではないか‼︎」
親子ならでは、発想は同じようである。
「私が罪深きことを申し上げました」
リュカは素直に謝った。
「口を縫い付けるぞ」
「母上にそっくりの私に?」
思わず、リュカが突っ込みを入れる。
母上顔の私と争いたくないと言っておきながら…。舌も乾かぬ間に、よく言えたものだよ…。
ユーゴは空を仰いでしばらく考え口を開いた。
「口の塞ぎ方は別にある…」
ユーゴはアリシアで想像したのであろう。何を連想したからは言うまでもない。
だが、それを恥ずかしげもなく人前で告げる無神経さにリュカは頭を抱えた。
「それ…を息子に?虐待ではないですか?」
「お前が言わせたんだ‼︎」
ユーゴも前言撤回をしたかったが、収集がつかなくなり慌てていた。
「お兄様…。背中は大事ないのでしょうか?」
空耳かな…。ルイーズの声が聞こえる…。
リュカは対戦に夢中であったため、途中からルイーズが二人の勝負を観戦していたのに気づかなかった。
「お兄様…?」
「るっルイーズぅっ⁉︎」
「ルイーズ、どうだった?父の偉大さがわかったか?父は強いんだぞ?」
ユーゴは試合途中でもルイーズを認めていた。リュカはまだまだユーゴの相手ではない。
「お父様がお強いのは存じ上げておりますが…」
イリスはその剣に倒れたのだ。ルイーズは身をもって知っている。
「お兄様…。お怪我はございませんか?」
リュカばかりを慮っているルイーズへユーゴは口を挟む。
「リュカに剣で突かれてな…。父もここが赤くなってないか?」
躊躇いもなく、ユーゴは肘を指差し嘯いた。
「そう…なのですか?お父様が一方的にお兄様を痛めつけてらっしゃったのでは?」
ルイーズには二人の剣筋が全く見えていなかった。だが、ユーゴの技量が上でありリュカへの仕打ちが手厳しいということは理解した。
目を見張って戦闘を観察していたコリンヌは、ユーゴが一切負傷していないことを知っていた。
「旦那様…」
情けない視線をコリンヌから感じたユーゴは咳払いをする。
「こほんっ…。ところで…。ルイーズ…。今、新入生の乙女たちは刺繍をしているんだってな?お前も受講していると聞いたんだが?」
「えっ?」
リュカはユーゴが何を言いだすかを察した。
「父はお前が刺繍をしたハンカチが欲しい!」
ルイーズにこのことを伝えるためだけに、ユーゴは学園内を彷徨っていたのだ。
権限で娘を学長室へ呼びだすことも出来なくはないが、マクシムに後で何を言われるか分かったものではない。
リュカは呆れてしまう。
公爵邸へ戻ったときに、お願いすれば良いことではないですか…。
ユーゴは刺繍授業の話を聞いてから居ても立っても居られなくなり、ルイーズが週末戻ってくることも念頭から消えて、挙句、探し回ったのだった。
「あの…。友人たちへ差しあげる約束を致しましたの…。その後で宜しければ…」
ルイーズが申し訳なさそうに答えた。
「本当か⁉︎」
順番待ちなのは少し不満ではあるが、それよりもユーゴは喜びの方が優った。
嬉しそうに満面の笑みを浮かべる美丈夫な中年男は、衒いなく笑うと険しさや眉間の皺が和らぎ、無邪気さも垣間見える。
「ギャップ萌えですね…」
エリアーヌがいたならば、そう断言していたに違いない。
「羨ましいだろう?」
揶揄うようにユーゴはリュカへ言った。
「…。私は何枚も持ってますよ。今日もここへ…」
リュカは胸ポケットへ収めていたハンカチを大事そうに取りだす。美しい真紅の薔薇がユーゴの目に留まる。
「へっ?」
「父う…。閣下…。ルイーズが刺繍したハンカチは執事のジョルジュも持っておりますよ。誕生日に贈られたと喜んでましたねぇ…」
剣術の対戦試合で負けはしたのだが…。リュカは勝ち誇ったような面持ちでユーゴへ告げたのだった。




