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「ルイーズ、久しいな…。最近、顔を見ていなかったが、オレのことを忘れたわけではないだろう?」
ルイーズの亜麻色の髪を一房だけ、カイルは手にとり恭しく接吻する。
ルイーズの髪は肩にかかるぐらいの長さだ。
殿下、顔が近いですわ…。
9歳になったばかりの少女へ、そのような甘い仕草で翻弄するのはどうだろうか…。内心、カイルへ叱責するルイーズだが、顔にはおくびにも出さず、微笑みを絶やさない。
ここは皇后の居室である。
本日は未来の皇后になるべく、ルイーズは皇后からお妃教育の手解きを受けていた。皇后付き女官が珍しく慌てて皇后の耳元へ何かを告げる。
「あの子は…。まぁ、宜しい。通しなさい」
皇后は小さくため息を吐いた。
光沢のある黒檀の扉が重々しく開いた。突然のカイルの登場にも驚いたが、扉を開けるや否やルイーズの側にツカツカと歩み寄るなり、その行為は些か品位に欠ける。
しかし、怯むことなくルイーズはカイルへ立礼をした。
「小さな輝き、偉大なる希望、カイル殿下…。大いなる太陽のもとご健勝であられ…」
「よい‼︎必要ない‼︎もっと、くだけてくれ…」
ルイーズの挨拶をカイルは軽く手を振って中断させた。
「淑女に対して不躾ですよ。母は嘆かわしい…。ごめんなさいね。ルイーズ」
「恐れ多いお言葉でございます」
「母上、お許しください…。余りにもルイーズが愛らしい故…。それに、堅苦しい挨拶は必要ないでしょう。母上はお変わりなく、今日も崇高な気品に溢れてらっしゃる…」
カイルの口角が緩む。
エルンストとカイルの仲はともかく、この母子は仲睦まじい。良好な親子関係であると傍目から見ても簡単に推測できる。
皇后サラ・ドュ・イーリオス…。
人を惹きつけるような艶やかさではないが、知性ある清らかな貴婦人で、穏やかな眼差しは常に帝国の未来を慮っており、人格は国母に相応しい大らかな優しさを備えている。
「母が甘やかし過ぎました…。ですが…。ルイーズが可愛いのは致し方ないことです。ところで、どこで覚えたのです?」
「何をですか?愛しい人がいれば、髪に口付けしたくなるのは必然では?」
「…。そういうところは陛下にそっくりですね」
「どこがですか‼︎」
「陛下はその気がなくても、女性が喜ぶ言葉を自然と選んで囁くのですよ。私以外、娶らないと公言されていても、美しい女性たちに言い寄られてらっしゃるでしょう…。皇帝ですから仕方ありませんが…」
「オレがこんな事を言うのはルイーズだけです…」
「ふふっ…」
カイルは釈然としない面持ちでサラを探る。
「何です…?」
サラの瞳に悪戯な光が宿ったのに気づいたのだ。
「ルイーズ…。私に親しみを込めてご挨拶してくださらない?」
頬をトントンと指先で叩く皇后にルイーズは躊躇う。
「えっと…。このようなところで…」
先程まで、お妃教育を受けていたのだ。教師として数人の公人も控えている。公の場でルイーズは戸惑った。サラは笑みを浮かべてルイーズを諭す。
「構いませんよ。私、息子と張り合っているんですのよ」
ルイーズは皇后へ近づくと皇后は顔を傾け膝を屈めた。そっと、ルイーズの唇が皇后の頬へ触れる。
「なっ何を⁉︎」
勝ち誇った笑顔で息子を牽制する母親。
その場で待機していた公人や侍従はこの光景に和かな気持ちで見届ける。
「皇后の特権です。しかもこの特権は今のところ、私とディアス夫人、リュカにしか許されていないんですのよ。宰相が強請っても許してないのよね?」
キッと凛々しい眉毛を吊り上げて、カイルは皇后を悔しそうに睨んだ。皇后はその様子が可笑しくて堪えられない。
皇后様…。本当に張り合っている…。
サラはディアス公爵邸へお忍びで幾度となく訪問している。
隣国のギ国王の歳が離れた妹サラは、エルンストに望まれ皇后となった。
前政権の悪政で弱体化していたイーリオス帝国を立て直すため、ギ王国と無用な争いを避け友好関係を築きたかったエルンストの思惑からだ。
ただ、帝国の貴族には、ギ王国は帝国に劣る田舎と言わんばかりに中傷する輩もおり、帝国へ嫁いだ当初、サラは社交界に馴染めなかった。
社交界を避けているディアス公爵夫人…。
ある時から、貴族との交流を閉ざしているにも関わらず、未だに社交界へ影響力が強いアリシアの噂を聞き及んで、サラは何度も手紙を書き助力を願った。
初め傍観していたアリシアだったが、サラの社交界での立場を知り、ディアス公爵の力を及ぼせる方面へ手回しをする。後に、サラはアリシアが親友を亡くした経緯に触れるのだが、それでも手を差し伸べてくれたアリシアの尽力に感謝した。
「大きくなったわね…」
満面の笑みで愛想を尽くしてくれるルイーズにサラは自然と微笑みがこぼれる。
「でしょう?」
アリシアとリュカに両脇に挟まれて、ルイーズはふっくらとした柔らかな頬っぺたへ二人からキスをされた。
「私も娘がいたら…。羨ましいわ…。カイルは幼い頃から甘やかさせてくれなくて…。赤ちゃんの頃はともかく、物心ついてからは頬に接吻も数えるほどなのよ」
サラの哀しげな姿を認めて、ルイーズはサラへ歩み寄り、その膝に手を添えた。
「恐れ入ります。少し屈んでいただきたいのです。そのルイーズに顔を近づけていただけません?」
ルイーズの背中にそっと手を添えて、妹の軌跡をついてきたリュカに請われる。
「こうかしら?」
腰を折ったサラの頬へ優しくルイーズは唇を押し当てた。反対からはリュカが同じように接吻をする。
「これは私の特権でしたのに…。皇后様だから目を瞑るのですよ」
アリシアが人差し指を唇に添えて、サラに告げた。
「…」
リュカが大きな瞳をしばし曇らせる。
「どうしたのです?リュカ?」
「これは皇后様だけではなく、皇帝陛下に対して不敬にあたるのでしょうか?男の僕が皇后様にキスをするだなんて…」
当時、7歳になったばかりのリュカの物言いにアリシアと皇后は目を交差させて吹き出した。
頬を赤らめて恥じらうリュカに、ルイーズは手を伸ばして頭を撫でた。小さな妹の手でリュカの髪は乱されたが、もちろん、些細なことをリュカは気にもかけない。リュカはギュッとルイーズを抱きしめた。
お兄様…。何て可愛いことを言うの…。大人になったら貴婦人たちが虜になること間違いないわね…。




