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ご近所ワンダーランド

作者: 木村美登里

 自宅とスーパーマーケットの往復だけで過ぎていく私の暮らし。単調だけど面白いことが色々あってちっとも退屈じゃない。空の表情も空気のにおいも毎日違う。 今日も絶好の買い物日和だわ。強烈な紫外線もなんのその。自転車に乗ってさあ出かけよう。



たくましきかな


 うちの近くに桜の木がたくさん植えられている公園がある。寒い時から枝には多くの蕾が用意されていて、春が近くなると遠くから見たときに木のまわりがほんのりピンク色に染まってくる。その色は日を追うごとに濃くなってやがて開花の時を迎える。強い風に吹かれても、雨に打たれても、小鳥についばまれても桜は次々に花を咲かせ続ける。そのためにとてつもないエネルギーを使うだろうに、花が終わると、待ってましたと言わんばかりに今度はものすごい勢いで葉を萌え出させる。桜の木が鮮やかな若葉の緑に覆われるまでにかかる時間の短いことといったら。私はそのパワーに圧倒され、目を白黒させながら変貌する桜の様子を眺めている。 その元気 少し分けて。



Good luck!


 激しい雨がようやくやんだ午後、自宅の陰のコンクリートの通路で、一匹のアオスジアゲハが羽を開いてじっとしていた。濡れてしまった羽を乾かしているのだろうか。アゲハは夕方になっても翌朝になっても動かない。時折小刻みに震える触角や羽でどうやら生きているらしいとわかるが相当弱っているようだ。子どもに捕まりでもしたのか羽の先が少し破れている。多分このまま死んでしまうのだろう。

 蝶のことが気にかかりながらも買い物に出かけ、家の近くまで帰って来た私の周りを一匹のアオスジアゲハがひらひらとまとわりつくように舞い、その後梅雨の晴れ間の眩しい光の中へ吸い込まれていった。はっとして家の陰に急ぐとアゲハがいない。そこでじっとしていたアゲハとさっき飛んで行ったアゲハが同じなのかどうかわからないが、私には律儀な蝶々が、ちゃんと飛べるようになったよ、じゃあね。と挨拶していったように思える。 蝶に残されたそう長くはないであろう時間が充実したものになるように、楽しんで楽しんでその生涯を終えることができるようにと願った。



イーヨーのいる家

 

 自転車で通る買い物コースの途中にいる、くまのプーさんの友達のイーヨー。高さ50cmくらいで4本の脚の先についている車でコロコロ動く。イーヨーは、今度はどこへ行こうかな と考えているようないたずらっぽい顔をしていつも通りのほうを向いて立っている。太いロープで玄関先につながれている姿が、ひとりで遠くへ行っちゃ駄目よ と言われているようでちょっと笑える。 寒い日や雨降りの時はきっとうちの中に入れてもらってるんだろうな。



よだかになれない


 もう何年も水が張られていない人工の池が、再び満々と水をたたえた憩いのスポットになるように願って、底の落ち葉を時々取り除いている。久しぶりに見に行ったらかなり溜まっていたので、ちりとりですくっては大きなごみ袋にバサバサ放り込んでいた。すると通りかかった小学校の低学年と思われる男の子が葉の下にダンゴムシを見つけて掌に乗せて遊び始めた。近視で老眼で注意力の無い私は気が付かなかったのだが、目を凝らすと大きいのやら小さいのやら、急に屋根を剥ぎ取られて右往左往するダンゴムシがうじゃうじゃいる。

「ありゃ、ここ掃除したらダンゴムシさん、うちが無くなって困るかしらねえ。」

と話しかけると男の子は、

「それじゃあ葉っぱを少し残しておいてあげたら?」

と提案してくれた。

「うん、そうするわ。」

と池の隅には手を付けずに作業を終えた。それでも相当の数の虫を死に追いやってしまったことだろう。

 中学校の国語の教科書に載っていた物語の鳥は、たくさんの虫を食べなければ自分が生きてゆけないことに激しく苦悩した。私はといえば、刺されると痒いとか視界に入ると不快だとかいう理由で蚊やゴキブリを情け容赦なく潰している。植物の悲鳴が聞こえる耳を持たないのをいいことに、雑草は引き抜いて捨てるし野菜は切り刻んで食べてしまう。漁師さんや屠殺場の人たちに頼って、他者の命をいただいて生きている事実に気付いていないふりをしてごまかしている。 ずるいよなあ。 ひどいよねえ。 ダンゴムシのために枯れ葉を残しておくように進言してくれたあの聡明な少年に話したら何と言うだろう。



マイペース


 スーパー探索ツアー最大の難所である橋が見えてくると自転車のペダルが重くなる。できれば避けたい。 高校生の男の子なんかは大きなバッグを背負っていても、中央のスロープに自転車をのせて横の階段を跳ねるように軽々と駆け上がって行くが、重量オーバー体力ゼロの年寄りにはなかなかきつい。夏に一気に上ろうものなら、心臓バクバク膝はわらい汗が噴き出る。

 ある時途中に設けられている踊り場で足を止め息を整えてからまた上ってみた。 お、すごい楽。そうか、競争している訳じゃないんだからムキにならなくていいんだ。後ろに誰かいれば先に行ってもらい、踊り場で休みながら川面をわたる風に吹かれたり魚影を眺めたりしてゆっくり上るようになった。以前ほど橋に対する苦手意識がなくなり楽しく買い物ができるようになったが、10年も橋を渡り続けてやっと気が付いたっていうのはちと遅すぎないか。



頭上注意


 自転車で走っていると、一軒の民家の塀に黒々と大きな字で “頭上注意” と張り紙がしてある。

工事中? トンカチ降ってくる? 自転車を止めサンバイザーを取ってこわごわ見上げると、そこにはたわわに実をつけた太い柿の木の枝が、庭から歩道の上に ずん と張り出していた。 んふ。  こういう物ならどうぞいくらでも落としておくんなさい、大歓迎でござんすよ。 まだ青い柿の実。熟した頃にまた来ようっと。



落葉樹の想いは


 時々行くスーパーの前の道路で、数十メートルにわたり街路樹を根こそぎ取っ払って歩道を広くする工事が断行された。その結果車椅子やベビーカーはもとより歩道を利用する全ての人が間違いなく通行しやすくなった。木の枝が電線を切断する心配も、危険を冒して車道の枯れ葉を掃き集める必要もなくなった。多くの人が喜んだに違いない。このように引き抜かれるところまではいかないにしても、紅葉直前に枝をバッサリ切られて丸坊主になった木が道の両側に並んでいる光景はよく見るようになった。 色々な考えの人がいるし立場もそれぞれ違うので何も言えないが、木は葉の色を少しずつ変えるのを楽しみにしていたのではないかな。イチョウは銀杏を鈴なりにする準備をしていただろうに。大樹に宿るとされる精霊は何処へ?

 うちのそばの公園の木々は今年も盛大に枯れ葉を散らせている。雨水ますが詰まるからと切られてしまわないように、せっせと落ち葉掃きに励まなくては。時々腰を伸ばして上を見ると、色づいた葉と青い空の美しさに思わず感嘆の声が漏れる。 掃除するふりをして私はいつもこうしてお手軽紅葉狩りを満喫している。



おかげさまで


 生来のぼんやりうっかり気質に老いが加わったことにより、私の落とし物、忘れ物のひどさはもはや要受診レベルかと思われるほどになってしまった。自宅の玄関の鍵を落とした時には、鍵を引っ張ると繋がっている紐がビヨーンと伸び、放すとスルスル収納される器具を取り付けるように夫から厳命が下された。 はいはい仰せの通りに とマイバッグにガッチリその優れモノを付け、これで絶対落とさないと安心していた。 が、その後あろうことかマイバッグごとスーパーのカートに引っ掛けたまま忘れて帰宅するというマンガのような失態を演じてさすがに頭を抱えた。スーパーと言えばセルフレジにクレジットカードやプリペイドカードを置き忘れる失敗もちょいちょいやらかす。こんなポンコツぶりでは夫に外出禁止を言い渡されても仕方ないと自分でも思う。 しかし、しかーし、ちゃんと戻ってくるんだなあ、これが。 取りに行くとお店の人に またあんたか と呆れ顔をされるけど。 皆様の善意に支えられて私はどうにか生活できておりますです はい。



感謝の日


 こっちのスーパーから向こうのスーパーへ行く時に渡る大きな橋。雪が降った後は上と下を風が吹き抜けるので冷やされて凍てつく。溶けかけてびしょびしょになった状態で夜 気温が下がると、翌日はカッチカチのつるんつるんになる。その状態で普通の靴を履いて自転車をひいて渡るのは私にとっては自殺行為にも等しい。 雪が降ったのは前々日だし道路に雪は無いし、大丈夫だろうと高を括って橋へ行き階段を見上げると  ・・・はあ 凍っている。 中央にあるスロープはコンクリートが見えていて私と自転車が並んで上るスペースはかろうじて確保できそうだ。 そろりそろりと踊り場まで行ってみる。でもここから上は無理だなあ。転倒→骨折→不自由な生活  頭の中にくっきりと映像が浮かぶ。でも橋の向こうのスーパーには行きたい。 逡巡する私の前に、年齢は私とそれほど変わらない感じだが身のこなしが軽く、いかにも運動神経の良さそうな一人の女性が颯爽と現れた。

「これ行けませんよねえ。」

もそもそ話しかけると

「大丈夫、私 自転車持ってってあげるから さあ上って。」

とにっこり笑って私の自転車のハンドルに手を伸ばしてくださる。

「い、いえいえ、あなたが転んで怪我でもなさったら申し訳ないですから。」

丁重にお断りしてお礼を言い、またそろりそろりとスロープを下った。

 多分あの人はいつも誰にでも親切なんだろう。普段当たり前にやっていることだから、今日見ず知らずの私を躊躇なく助けようとしたことも日常のありふれた一コマに過ぎず、きっと彼女の記憶には残らない。  私にはとても印象深い出来事だったけど。



感謝の日 その2


 もうすぐ春だあ

モクレンが花開く様子を頭に描きながら鼻歌まじりに例の橋の階段を自転車をひいてのんびり上る。階段が90度折れ曲がる踊り場に着いて自転車の向きを変えた時、後ろに自転車の男の人が2人も目にはいって驚いた。

わっ すみません

いかん 周囲に注意が向かず迷惑をかけていることに全く気付かなかったなんて老害そのものではないか。慌てて先に行ってもらうために自転車を端に寄せようとモタモタしていると、すぐ後ろの男の人が自分の自転車のスタンドを立て、 上まで持っていきますよ と私のオンボロ自転車を軽々と運んでくださる。後ろの男の人が ゆっくりでええぞー とこれまた温かく言ってくださっている。恐縮しきりであったがおふたりの気持ちがとてもありがたかった。去り際に私にかけてくださった お気をつけて の言葉は天使の囁きかと思われるほどだった。



感謝の日 その3


 その2があってから例の橋を渡る前にはしつこいくらいあたりを見回して自転車に乗った人が近づいて来ないことを確認するようにしている。

よし 目にはいる範囲内に人影はない  と自転車で踊り場へ行き90度向きが変わる階段を見上げた時、橋げたの補強工事用の鉄パイプが階段に置かれ、半分程度の幅しか通れなくなっていることがわかった。 

えっと こっち側が塞がってるんだから自転車の向こう側に行かないと・・・

とこれまたモタモタやっていると鉄パイプのそばにいた工事の男の人がトトトッと駆け降りて来て すみませんねえ 通りにくくて  と言いながらまたしても私の自転車を橋の上まで運んでくださる。ニカッと笑った時の白い歯の眩しかったことよ。 その2の出来事から10日も経っていないのにまたもや助けてもらった。もしや人生初のモテ期到来かと色めき立ったが、足元のおぼつかない年寄りを見かねて親切な人たちが手を差し伸べてくれただけの話しだな。でも、 男の人はみーんな美人に甘い。あたしは今日も得をした。  と日記には書いておこう♪



春うらら


 春霞の中をおばあさんと一匹の茶色い日本犬が散歩している。リードをつけられていない犬は、おばあさんを気遣うように寄り添ってゆっくりゆっくり歩く。時々立ち止まって道端に咲いている花の中に鼻先をうずめて香りを楽しんでいるような仕草をみせる。おばあさんが目を細めて何か話しかけ、またゆっくりゆっくり歩いていく。  ふたりだけの世界でふたりだけの穏やかな時間を生きているんだね。 永遠をねがいたくなった。



ヒーロー


 花壇の花の世話をしようと玄関を出ると隣の家の前に消防車が停まっている。緊急出動ではなく、防災対策の促進のための戸別訪問だろうか。数人の署員があちこちへ歩いて行った。そこへ男の子を抱っこした若い母親が現れ、ひとり消防車に残っていた消防士さんが気づいて降りてきた。

「この子大好きなんですぅ。」

と母親が言うと、消防士さんは 心得た とばかりに男の子を抱き上げて車内を見せ、大きく前に張り出した消防車のバンパーに座らせた。母親は狂喜乱舞大興奮のていで “すごーい!” を連発しながら我が子にスマホをかざし続けた。男の子はあまりのことに声も出ない様子だったが、突然訪れたとんでもない幸運を十分に享受しているのは、そのちょっと緊張した面持ちから見て取れた。ひとしきり撮影をしたのち、母親は何度もお礼を言い、振り返りながら帰って行った。 あの坊やはおそらく仕事から帰った父親に今日の出来事を片言で一生懸命に話し、消防車のミニカーを握りしめて眠りについたことだろう。

 消防士さんが播いた種が彼の中で育ち、どれほど美しい花を咲かせることかと想像してみる。あの子はきっと豊かな心を持った大人になると思う。より良い社会を築くために尽力し、後世に名を残す人物になるかもしれない。そしてお母さんは、ずっとあの心優しい消防士さんに感謝し続けるに違いない。30年前に線路脇の公園の金網にへばりついて通過する列車を凝視している幼い息子に大きく手を振ってくれた貨物列車の運転士さんを今も忘れないでいる私たち夫婦と同じように。




スーパー巡りはいとをかし


 自転車で行ける距離のスーパーマーケットが10軒以上乱立するスーパー激戦区に私は住んでいる。この環境は掘出し物を見つけることに並々ならぬ情熱を傾けている私にとっては正しくパラダイス♡ 経営する皆さんのご苦労を思いつつ日々楽しく店内を徘徊させてもらっている。



 クリーンヒット

 

 才能豊かな人はあちこちにいるようで、私だったら額縁に入れて永久保存するのにと思うような素晴らしい野菜や果物の絵が、無造作に段ボールの裏に描かれているお店がある。あるスーパーはポップやお店の新聞の文がとても面白い。「助けてください。発注ミスでとんでもない数を仕入れてしまいました。」とか「上司に内緒で激安価格で販売中。」とか自然に頬がゆるむ札がそこかしこに見られる。最近一番ツボにはまったのは“ひろし”という商品名の乾燥広島菜の棚の前に、「ゆかりの恋人か?」と書かれていたこと。ゆかりとは言わずと知れた三●食●の赤しそのふりかけで、同じメーカーが発売した商品のひろしという名前に閃いて書いたものと思われるのだが、恋人という言葉を選んだセンスの良さに思わず「座布団持ってきてー」と叫びそうになった。 お見事!  さあて次はどんなテで攻めてくるかな。大いに期待している。



 やっぱり性善説


 ・帽子

 一年生が被る黄色い帽子が置き忘れられていることに気付いた店員さん、心当たりがあるらしく、その帽子をひっつかむや猛ダッシュで駐車場に向かう。車に乗り込む寸前の男の子を呼び止めて帽子を渡している。お礼を言う母親に笑顔を返し店内に帰ってきた。息を弾ませながらすぐにレジに立ち、いつものようににこやかにお客さんと会話している。何事もなかったかのように。


 ・迷子

 買い物客で賑わう店内に子どもの泣き声が響く。人々の視線がその子どもに集中する。

一人で泣いている。  迷子?

すかさずそばにいた女性が

「お母さんと来たの? おばちゃんが一緒に捜してあげるから大丈夫だよ。」

と腰をかがめて話しかける。 程なく母親が見つかり安どの空気が流れ、皆何事もなかったかのように自分の買い物の世界に戻っていった。

 

 ・靴下 

 通路に小さな靴下が片方落ちている。中年の女性が拾い上げ、これと同じ靴下を履いている子を店内で捜すように娘に指示をする。 あいよ と走り出す娘。 いたいた、お母さんに抱っこ紐で抱かれているあかちゃんのだ。 落としたことに気づきにくいのよね。あかちゃんも脱げたって言わないし。

 小さな靴下はあかちゃんの小さな足に戻り、奔走した母娘は何事もなかったかのように、1本78円の大根の山から一番大きなものを選ぶことに熱中している。



 いつか私も

 

 レジを通過したところに商品を買い物かごからマイバッグに詰め替えるサッカー台がある。その脇に、盲導犬育成のための募金箱を首にかけ、お座りして人懐こい目で見上げる等身大のラブラドルレトリバーの置き物がある。すごく可愛くて頭を撫でたい衝動に駆られるのだが、置き物を撫でまわしている老婆の図はいただけないなと、なかなか手を伸ばせない。それでも時々キョロキョロあたりを見まわしてそばに誰もいないと、素早くペチペチ犬の頭を触り脱兎の如く出口に突進するという、挙動不審を絵に描いたような行動をしたりする。

 ある日、 あのワンちゃん うちにいたら好きなだけ撫でられていいのになあ と少し離れた所から見ていた私は、普段シワに埋もれて存在感の全くない目を大きく見開く驚愕の現場を目撃した。ひとりの男性が犬の頭を実に愛おしそうに何度も撫で、さりげなく募金箱にお金を入れたではないか! 特別な思い入れがあるのだろう。その振る舞いには愛情が溢れていた。わんこも嬉しくて仕方ない様子で尻尾をパタパタ振っていた。(いや、いくら何でもそれはない。) どこまでも自然でスマートで慈愛に満ちた人柄が滲み出ていて、映画スターもかくやと思わせる眩いオーラを四方八方に放っていた。(いや、それもちょっとない。)

 ・・・恥ずかしかった。人の目を気にしてばかりいて。

 あんなふうに自分の気持ちに素直に行動できたら随分生きやすくなるだろうなと、去りゆく男性の後ろ姿を棒立ちで見送りながら思った。




おらが町の車窓から


 私の移動手段はほぼ自転車だが、重い物を買う時や家人の送迎など、やむを得ない場合には車に頼る。ハンドルを握るのは嫌いではないが  走る棺桶 と評される私の素晴らしい腕前を披露すると周りの人たちが恐れおののいて大混乱に陥ってしまうので、どうしてもという時限定にしている。車を走らせている時は前方を注視するのに精一杯で風景を眺める余裕なぞ皆無だが、信号待ちや渋滞でノロノロ運転をしている時にはいくらか周囲を見回すことができる。そうすると興味をひかれることがやっぱり色々あるんだなあ。



 思い込み


 左折しようとしたら向こうからド金髪の若者が自転車を飛ばしてやって来るのが見えたので、横断歩道の手前で停車して彼が通過するのを待った。するとそのヤンキー君、私に向かってペコリと頭を下げて通って行ったのである。

⁈   なーんだ めっちゃ好青年じゃん。

嬉しくなったがすぐに彼の行動を意外だと感じてしまった自分にちょっとがっかりした。

私 見た目で人を判断してたんだ。  彼に謝ろう  すみません



 初心忘るべからず


 夕方の帰宅ラッシュに加えて前方にある踏切のせいで郊外へ向かう車列はなかなか進まない。

すいている反対車線をサイレンを鳴らして救急車が走って来た。踏切の手前で停車しサイレンも止まった。 すわ あそこで事故か?  と思いきや救急車は線路を越え、またサイレンを鳴らして走り去って行った。

・・・

おお そうであった。 踏切では一時停止し、窓を開けて列車の音がしないか確かめよ と遠い昔自動車学校で習ったではないか。 列車の音を聞くためにサイレンを消したんだ。おそらく窓も開けて確認していらしたことだろう。 人の命を預かる責任の重い職務を常に緊張感を持って真剣に遂行しておられる姿を垣間見た思いだった。



 わくわく


 停まっている私の車の前を、とんでもなくカラフルで巨大な物体を積んだトレーラーがゆっくりと通過していく。  わあ あの遊具がこれから設置されるのは公園だろうか、それとも幼稚園?

真新しい遊具がお披露目された時の子ども達の歓声が聞こえる。

「ここから登るんだ!」

「滑り台!」

「ねえ、中に入れるよ!」

小さな手にあちこち触られてくすぐったそうにしている遊具の表情が目に浮かぶ。子ども達が落ちてけがをしないようにそっと支えている様子も。  トレーラーの荷台の遊具がひときわ目を引いたのは、新品で日光を反射して眩しかったからだけじゃない。遊具のはちきれんばかりの期待や喜びが輝きを放っていたんだ。  

ずーっと子ども達と遊んでいられるといいね。






おまけ


 終活の行方


 今日と同じ明日が未来永劫続くわけではないのだな と最近気づいて、そろそろ身辺整理をしようかという気になった。 安価な物を見つけると、使わなかろうがストックがあろうが素通りできない性分なので、買い込んでは収納スペースに放り込む生活を延々と続けてきた。 結果、掃除なぞろくにしないのにお風呂用の洗剤や配水管クリーナー、毎日洗髪したとしても使い終わるまでにどれ程かかるやら見当もつかない量のヘアコンディショナー、創作意欲が湧かないまま放置している服地や手芸用品などなどわんさとある。子どもたちに見つかって呆れられる前になんとかしなくてはなあ。 なるべくリサイクルできる方法を選んで整理しようと思うのだが、長い時を経て人生の黄昏時に自分があることを思うと言いようのない寂寥感に襲われて作業は遅々として進まない。 亡母の手紙や若い頃友と思いを伝え合ったノートや子どもの時に髪に結んでもらったリボンや亡父のはんてんや ああ捨てられない。捨てられないからひつぎの中に入れてもらおう。 ・・・果たして私が入るスペースはあるだろうか。

 これまで大過なく生かしてもらったことをありがたく思う。楽しい経験をたくさんできて恵まれた人生だったと感謝している。小説投稿サイトに拙い文章を掲載してもらった。どこをどう辿ってか私の作品にアクセスして、年寄りに希望を与えるという人助けをしてくださった皆さんには心からお礼申し上げる。この先特にしたいこともないし、いつ人生が終わっても文句はないが、私は何をするために生まれてきたのだろうか と考えた時に答えが出ないのが気にかかる。このまま世の中の役に立つことも何かに打ち込むこともせずにあの世へ行ったら、折角命を与えてやったのに少しも進歩せずに戻って来おって と神様に叱られるに決まっている。私に使命があるとしたら 何もしない善人 をやめたときに明らかになるだろうことは薄々感じてはいるのだが脱却する勇気がこの期に及んでもまだ無い。私に残された時間は秒読み段階になっているかもしれないのに。さあどうする。

 今私は母が好きだった唱歌をピアノで練習している。ピアノ経験者なら初見で弾けるだろうと思う曲だが私には難しい。何か月も取り組んでいるのに一向に上達する気配がない。伴奏ができるようになって母と再会したいと考えているのだが、これではいつまでたっても死ねそうにない。 いや、時間切れになるパターンか。

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