06.聖剣と当時の記憶
昨日は一時、屋敷中が騒然としたと聞いた。存在を知らない使用人は魔獣の仕業だと言って、箒を持って追い出そうとして大変だったそうだ。王都に着いてから忙しかったので、エリザの世話をする侍女にしか話していなかったのが、それが仇となったのかもしれない。その原因の白モフは朝起きるとエリザのお腹の上でぐっすりと眠っていた。
エリザは半分夢の世界だったので、その時の事は覚えていない。確かに昨日は、いつも一緒にいるキュキュを丸一日、部屋の中に放置していた。キュキュは朝起きたら、エリザの姿がなく、夜遅くまで帰ってこなくて寂しかったんだろう。その気持ちが高まってエリザを昇天させるほどの威力のなったと考えるのが妥当だ。
現に今も悪びれもなくエリザの肩に乗っている様子を見るに、攻撃する気は毛頭なく、ただ単に勢いよく飛びついた先がエリザのみぞおちだっただけだと思えてくる。そもそもキュキュは得体の知れないモフモフなので、その真相は定かでは無い。
大丈夫だと言ったのに、心配性な我が家が呼んだ医者が屋敷に訪問し、診察を受けた。忙しいのに朝早くから健康体の診察に呼びつけて、エリザは申し訳ない気持ちになる。
そんな朝から始まった今日は、王都の街に出かけようと思っている。兄達は学園に行ったので、今回はユキとポケットで丸くなっている1匹だけだと思っていたのだが、しぶったおゼパイルがもう1人護衛をつけると言っていた。前回の事を考えると仕方がない。
「お嬢様。行きましょうか」
「護衛の方を待たなくても良いのですか」
「もう来ているので大丈夫です」
ユキの言葉の意味を理解して、エリザは辺りを探る。確かにもう1人いるようだ。隠密行動をすると言う事はユキと同じ部隊の人なのだろう。
エリザ達が歩くと一定の距離を保って付いてくるので、特に気にする必要ないようだ。
今回のお出かけにはちゃんと目的がある。ミラのお店に行くためだ。最後が最後だったので、ずっと気になっていたのだ。
(前の事件ぶりだから2年ぶりか。元気にしてるかな?その前に私の事覚えているのかな。ミラさんとは1度会っただけだし、日々接客している客の1人に過ぎないので覚えていない可能性の方が高いよね。その時は顔を見て去ろう。)
そう思いながら、エリザは前回の記憶を辿って店へと向かった。難なくたどり着いたミラの店は以前と変わらず、静かに佇んでいる。エリザは意気揚々と店の中に入って、奥に向かって声をかけた。
「こんにちは」
声に反応してミラは作業室から顔を出す。すると、ミラは少し驚いた顔を見せた。
「ん?その水色の髪。もしかしてエリザちゃん?」
「はい、そうです。ミラさん、お久しぶりです」
「うわー、久しぶりね。こんなに大きくなって」
ミラの以前と変わらない笑顔が見れてエリザは嬉しくなる。
「お兄さん達のプレゼントは上手くいったの?」
「あ、はい。何とかペンダントにして渡しました」
「そう。良かったね。可愛いエリザちゃんの手作りならお兄さんも喜んでくれたでしょうね」
「……それはもう」
エリザは当時の事を思い出して苦笑いをする。
あの後、形をいい感じに削ってアクセサリーにしてから、石にミラの付与魔法を真似して付与魔法をしてみた。何度か失敗したものの、数回目でようやく付与する事が出来た。色々と付与を試した結果、プレゼント用の石に付与したのは、一度だけ致命的な攻撃を無効化してくれると言う内容だ。要するに身代わり人形みたいなものだ。
兄達は家宝にすると言って、今でも肌身離さずペンダントを付けている。その石に「エリザ」と名付けて可愛がっている姿を見た時は、寛容なエリザでもさすがに引いた。
(身につけてくれてるのは有難いんだけどさ。)
「そうそう。今度エリザちゃんに会った時に渡そうと思ってたのよ」
「ん?何ですか?」
一度会っただけの幼女に何を渡すのかとエリザは小首を傾げる。
「ちょっと待っててね」
ミラはそう言って店の奥に入っていった。しばらくすると、何かを持って戻ってきた。
「これなんだけどさ」
ミラがテーブルの上に手に持っていた白い布を置く。布を広げるとその中身は、あの綺麗な短剣だった。
「これって……」
「そう。エリザちゃんが気に入っていた短剣よ。これをエリザちゃんにプレゼントするわ」
「えっ?こんな高価な物は頂けません」
「いいのよ。この短剣は人を選ぶと説明したじゃない?この剣に惹かれると言うことはこの剣を持つ素質があるのよ。それに……が渡せって言うから……」
最後の方は聞き取れなかったが、どうしよう。前に売り出された金額が頭をよぎる。明らかに一庶民が買える値段ではない。この短剣の利益で数ヶ月は生活は余裕で暮らせるはずだ。
「でも……」
ミラは言い淀むエリザを見て、値段を気にしているのだと察する。
「いいのよ。お金の事は気にしないで。ここ、こんなボロい店だけど、案外儲かっているのよ。変な人にこの剣を使われるよりもエリザちゃんのような子に使って欲しいの」
そう言われてエリザはこの剣をもう一度しっかり見る。やはり凄く美しく神秘的な剣だ。何でだろう。見れば見るほど、何故かこの剣が欲しいと思ってしまう。
(うーん。お金を支払えないなら妥協案を考えよう。まだ商会は稼働していないから私にお金はない。この剣を買えるとすれば、一年後ぐらいだろうか。その時に買ったとしてもミラさんはお金を受け取ってくれない気がする。)
エリザは暫く頭を悩ませた後、大きく頷く。
「分かりました。快く受け取らせて頂きます」
「ありがとう。エリザちゃん」
「ミラさん。私、来月にマリンフォードでお店を出す事にしましたの。この短剣の代わりに何かを欲しいものはありませんか?今欲しいものじゃなくても、あったら便利だなって思う物でもいいですよ」
「欲しいものか……かねっ……じゃなくて」
(今、金って言わなかった?やっぱりお金が足りてないんじゃ・・・・・・。)
「う、上着かなー。上着って言っても冬用の暖かいやつ。まだ先だけど、ボロボロになっちゃって捨てたから今年は買わないとって思ってたんだ」
「コートですね。どんなのが欲しいですか?」
(冬用のコートでも種類はダッフルコートやトレンチコート、ダウンにチェスターなど沢山ある。冬用のコートなら今から作らないと間に合わないな。)
エリザは様々なコートを思い浮かべる。
「暖かければ何でもいいよ。長持ちしてくれると有難いな」
「そうですか。では、丈が長いのと短いのだったらどちらがいいですか?」
「長い方が暖かそうだから、長い方かな」
(ロングタイプか。確かに妖艶なミラさんにはロングコートの方が似合うだろう。)
「色味はどうします?」
「色もこだわりないからなー。汚れが目立たないのがいい」
(汚れが目立たない色なら黒系統だよね。長く着るとなると流行関係なく着れる定番な形で柄がないシンプルなデザインの方がいいよね。)
頭の中でミラにピッタリのコートを組み立ていく。
(よし、決めた。首元にファーが付いたPコートにしよう。色は合わせやすいダークグレーにして、ファーは黒色。それに合わせた手袋もセットでつける……でどうよ?)
自分の中である程度の構想がまとまった。
「分かりました。ミラさんが気に入る物を作りますね」
「別にいいのよ。この剣はあなたにあげたのだから」
「そうはいきません。これは私なりの感謝の気持ちですから」
短剣を手に取ると短剣がほんのりと光ったような気がした。長居するとお店の邪魔になるので、エリザ達はいくつか屑石を購入して店を出た。
※※※
「師匠。これで良かったの?」
「ああ、あの剣はあの子に必要な物だ。代金は惜しいが、お前の命の分だと思えば釣り合うだろう」
「私の命?」
心当たりのない話にミラは首を傾げる。
「言ってなかったかな?前にあの子に出会った後で、炎魔法に襲われた事あっただろう」
「はい。ありましたね」
今でもあの日の事は昨日のように思い出せる。本当に不思議な1日だった。
近くに住むおじいさんに孫の就職祝いを付与して欲しいと依頼があった。おじいさんは食事処を出しているので、暇な私が店まで取りに行くことにした。
おじいさんの店に行く前にもうひとつくらい付与しておこうかな。そう思いながら、作業していると店に人の気配がするのに気が付く。お客か、と店を覗くとお客はお客でも珍しいお客が来ていた。
水色のような銀色の髪に上品なワンピースを着た可愛らしい女の子だった。商人の娘かと思ったが、後ろに佇む少女を見るに貴族のお嬢様だと窺える。貴族のお嬢様が魔法具店、しかも路地裏のこんなボロい店に入ってくるなんて滅多にない。
その女の子はあるショーケースをじっと見つめている。何を見ているのかと思えば、まさかあの短剣だった。あの短剣は年代物で特別な力があり、剣が使用者を選ぶと言われている。師匠曰く、剣と使用者は惹かれ合う、故に剣との相性が良い者の目に止まるようになっているのだと。
使用者が現れればとこうやってショーケースに商品として出している訳だが、稀にお客の目に止まって購入されていくのだ。けれども、購入後に何らかの事情で巡り巡ってまた此処に戻って来る。剣が鞘から抜けないからと不良品扱いされたり、観賞用にと飾ってあった屋敷が火事になったり……正直怖い。
そんな気味の悪い短剣は師匠が昔から大切にしているコレクションの一つなのだ。そう言えば、師匠は聖剣だと漏らしたこともあったっけ。確かに聖剣と言われてもおかしくないくらいに繊細かつ精巧なデザインで神秘的な剣だ。これ程綺麗な造りの剣は今までに見たことがない。今では私もお気に入りの短剣となっている。
貴族のお嬢様だったら買えない値段ではないだろうけれど、護身用の短剣なんて子供が持つものではない。子供が人にあげるにしては高価だから、この剣を購入することはまずないだろう。私は普段は客ではない者に不要に話しかけない。しかし、幼い少女とは言え、この剣の魅力を感じてくれたのは嬉しい。だから、柄にもなく話しかけてみた。
女の子はエリザちゃんと言うらしい。変哲もない屑石を買って兄へのプレゼントを作るのだと言って笑う姿に心打たれてしまった。何となく気が乗ったので、先程しようと思っていた付与魔法を見せることにした。
目を輝かせるエリザちゃんに更に気を良くした私は付与魔法について色々と話した。ついさっきまで一緒にいた侍女らしき少女はいつの間にかいなくなっていたので、カフェにエリザちゃん1人置いてくのは心配だった。大丈夫だと言い張るしっかり者のエリザちゃんの言葉を信じて、カフェでエリザちゃんの紅茶と焼菓子をセッティングだけして別れた。
目的地のおじいさんの店に入ろうとしたら、久々の見知った顔に足を止める。数年ぶりの彼女との再会に話が盛り上がる。彼女の娘は5歳になったようで、まだ人見知りで甘えんぼのようだ。さっきまで一緒にいたエリザちゃんの方が年下なのにね、と笑みを漏らした。
すると、周りが急に騒ぎ出したので何かと思い、辺りを見回すと横から炎魔法がこちらに向かって飛んで来るのが見えた。彼女も気付いたようだが、足が竦んで動けないようだった。
強引に彼女と娘も引っ張って避けようとした場合、足が竦んでいる彼女はバランスを崩す可能性が高い。その選択肢は取れない。なぜならお腹に新しい命が宿っているから。嬉しそうに笑う彼女を見たばかりなのだ。命は助かったとしても、倒れた衝撃のせいで赤ちゃんが死んでしまったなら、やるせない気持ちでいっぱいになるのは分かりきっている。
それに、後ろにあるのはおじいさんの店だ。ここで炎をどうにかしないとおじいさんや中のお客が被害に合う。そんな光景も見たくはない。
それほどまでに此処は私にとって大切な場所になってしまった。
私は水魔法は使えるが、補助具なしではあの大きさの炎魔法を消す事は出来ない。なら、腹を括るしかない。
——師匠ごめんなさい。あの魔法を使います。私の代わりの後継者を探して下さい。碌でもない人生だったけれど、師匠に出会えた事と最後に人の為に死ねる事に感謝します——
私は彼女と娘の前に立ち、詠唱を唱え始める。それに呼応するように胸のペンダントが淡く光り出す。
この魔法は特殊だ。ペンダントに付いている魔石がどんな攻撃魔法でも吸収する代わりに装着している者に吸収した魔法分の威力を移す。攻撃魔法の依り代となる魔法だ。あの魔法を身に受けるとなると待っているのは「死」だろう。
ペンダントとしてのデザインも気に入ってたので、お守り代わりとしてつけていた物がこんな所で役立つとは思ってもいなかった。
焦る気持ちを抑えて詠唱していると奇跡が起こった。全ての詠唱が終わる直前に暖かい風が吹いて炎が相殺されたのだ。一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐに防御魔法だと分かりホッとした。私は生きているのだと、これからも師匠と過ごせるのだと思うと涙が出そうになった。
しばらくして師匠がやってきたので、師匠が守ってくれたのだと思っているのだけれど……その日と何か関係があるのだろうか。
「あの炎魔法からお前達を守ったのはあの子だ」
「えっ!あれは師匠が守ってくれたんじゃなかったのですか?」
「私はあの時、お前との距離が離れていて間に合わなかったのだ」
「そうなんですか。て言うかあの子、当時、確か祈念式が終わったばかりだと言ってたわよ?それであの巨大な炎魔法を退けるなんて有り得ないわよ!」
有り得ない。エリザちゃんは確かにしっかりしていて、不思議な魅力の持ち主で、可愛くて可愛くて可愛かったけれども。4歳児が魔法を使えるなんて聞いた事がない。
「あの子は特別らしい。お前の付与魔法もしっかりと視えておった」
「ありゃー。今度会った時にお礼を言わないとね」
「それはやめておけ。あの子は魔法を使えるのを隠しておるようだったからな。あの子を困らすだけだ。心の中で言っておけ」
「わかりました。……本当にあの子は何者なのかしら。不思議な子よね、エリザちゃんは」
ミラは小さく呟く。
店の中には綺麗なお姉さんと1匹の黒猫が外を見つめていた。




