19.厨房とバター
しばらく食事改革をします。
遠くから聞こえる人々の声に目覚るとすでに昼前だった。顔を横に向けると指輪が陽の光に照らされ、きらりと光る。指輪が枕元に置いてあるという事はユキがはずしてくれたんだろう。
エリザは体をゴロンと横向きにして考え込む。
一昨日、指輪をつけていた時間は朝夕合わせて10時間。昨日は朝起きてから倒れるまでの8時間。魔法を使うまでは何ともなかったから、エリザが倒れた理由は魔法を使用したためとしか考えられない。ゼパイルに魔法を使うな、と言われた理由がよくわかった。
体感してわかったことは、魔法を使用するとその分指輪にも魔力を吸い取られると言うこと。一昨日にウォーターボールを出した時はしっかりと魔力を制御が出来ており、そこまで指輪に魔力を取られることはなかった。
しかし、昨日の防御魔法は咄嗟のことで、魔力制御の事は一切考えてなかったし、皆を守ろうとして多くの魔力を使用しようとした。その結果、指輪に必要な分の魔力を取られて焦ったエリザは更に多くの魔力を無理やり引き出し、一時的な魔力の虚血状態となり倒れたのだと考えるのが妥当か。
「あー、お父様に怒られるぅ~」
しばらくの間、エリザは柔らかい枕に顔を埋めて足をバタつかせる。
「はぁ……」
もはやため息しか出てこない。
(きっと既にユキが報告しているだろうし、怒られるのは時間の問題か。なら、少しでも早い方が良いだろうな。……よし、自首しに行こう。)
そう決めたエリザは、独りドナドナ気分になりながらもゼパイルの執務室に向かう。
ゼパイルはエリザの顔を見るなり、仕事の手を止め、第一声に体調を気遣ってくれた。今回もかなり心配かけたようだ。エリザは申し訳なく思いながら、ゼパイルの顔を見ると少し疲れているように感じた。
「お父様、お疲れですか?」
「ん?ああ、ちょっと急な仕事が立て込んでてな。本当は今日この屋敷を出発する予定だったけれど、2日ほど伸ばす事になった。それまでの間はここでゆっくりしなさい」
結局、ユキがゼパイルに口添えしてくれたのか、怒られることはなかった。部屋に戻ったエリザはまた思考の海に潜っていく。
(でも、昨日のあれは何だったんだろう。怪しい男の正体も……。ユキと戦闘になったって事は敵あるいは悪い奴らなんだろう。ん?そもそも敵ってなんだ?異常な魔力上昇……ダメダメ、考えるな。フラグが立っちゃう。)
頭をブンブン振り回しながら余計な考えを散らし、ベッドにダイブした。
(とにかく悪い奴らがどうなったのか……お父様は勿論知ってるだろうけれど、それを聞くと魔法行使の件をぶり返してしまうかもしれないから聞けないよね。)
当事者のユキに聞いてみるが、「申し訳ございません。その件はこちらで対処しましたので問題ありません。ご安心を」とだけ言われてしまった。そう言ったユキが辛そうな顔をしたので、また不甲斐ないと責めているのではないかと考えたエリザは、それ以上何も聞かなかった。
※※※
ゼパイルのお仕事の目処がつき、本邸に帰還する。目処って仕事まだ片付いてないんじゃ……とエリザは思ったものの、「優秀な部下に任せてきたから大丈夫」と言う事らしい。会ったことの無いその優秀な部下にエリザは同情混じりに手を合わせておいた。お気の毒に、と。
さて、今日は念願の厨房に行く。この間の話し合いでゼパイルに条件付きで厨房使用許可をもらったのだ。
その条件というのは、「厨房に立つなら私の舌を唸らせろ」だそうだ。
(任せろてんだ。)
こう見えて前世では料理もパンもケーキもライセンスを取得している。自ら料理教室を開催出来る程の腕前なのだ。それ以外にもバリスタの資格も持っている。
看護師が何してんだって話だけれど、『私』の将来の夢は小さな喫茶店を開く事であった。見逃してほしい。
さて、この国で美味しかった食べ物を挙げるとこうなる。サラダと果物、紅茶やミルクなどの飲み物……以上だ。要するにそのまんまの素材の味が1番美味しいという事だ。
正直、料理人としてそれはどうなの?と思う。
ただ例外で調理する料理の中に美味しいのが一つだけある。それは肉の塩コショウ焼きだ。これは前世でも食べていたし、この世界でも変わらずに美味しい。しかし、肉の調理の味付けは塩コショウ一手であるため、肉の種類が違ったとしても頻回に提供されるそれにエリザは飽きてしまった。
「失礼致します」
その言葉に料理人と見習いが一斉に作業を止め、思いのよらない訪問者に驚いた顔をする。
「お嬢様!?こんな厨房に何用で?」
「ごきげんよう。料理長はいらして?」
「料理長ですか?料理長は今買い出しに行っております。直に帰ってくると思いますが、どう致しましょうか?」
(なんだ。料理長いないのか、残念。)
彼らの様子を見るに今日エリザが厨房に来るのは知らなかったようだ。
「しばらくこちらで待たせてもらっても良いかしら?」
「それは構いませんが……」
対応してくれた男性は困った顔で厨房内を一瞥する。どうやら待ち時間の間に幼女の気を引ける物がない事を気にしているようだ。
「ご心配ありませんわ。ここには、とーても興味がありますの」
エリザは男性を安心させるようににっこりと微笑んでおく。その言葉を聞いた男性はホッと胸を撫で下ろした。
「そうですか。お嬢様。申し遅れましたが、私、ここの副料理長をしているナケットと申します。以後お見知り置きを」
細身の優しそうなイケメンさんが副料理長らしい。見た目は20代後半のように見える。若いの領主の屋敷の副料理長を勤めている事にエリザは驚く。
「ナケットさんは今、手が空いてるかしら?出来れば厨房内を案内して頂きたいのですけれど」
「はい。喜んで」
ナケットは厨房を隅々まで案内してくれた。屋敷の厨房は比較的整理されており、清潔感がある。
厨房内にある調味料や食材を見せてもらう。前世の食材とは形が少し違うみたいだ。ここにある調味料や香辛料はオリーブオイルと塩、胡椒、ビネガー、砂糖、蜂蜜しかない。……道理で味が物足りないはずだ。
以前に草花図鑑でハーブが載っているのを見たので、ハーブ自体はこの世界にもあるはず。ハーブは基本的に野草だから、もしかしたら雑草としか考えていないのかもしれない。使えば格段に美味しくなるのに、非常に残念である。
その代わりに食料は沢山あるようだ。肉類は基本に家畜や魔物の肉を食し、海の領地なので海鮮類も多い。果物は南国のフルーツが主体だ。しかし、ここは貿易街で他の領地や国のフルーツもいち早く入ってくるので、種類は豊富である。
「あなた方は此処で何をしてらっしゃるの?」
「い、今は夕方の仕込みです」
「少し見ていてもよろしいかしら?」
「は、はい!」
「そんなに畏まらないで。いつも通りでして頂戴。じゃないと怪我しますわよ」
あまりにも緊張している料理見習いが面白くてエリザは思わず笑ってしまう。彼らは夕食で使うのであろう野菜の水洗いや皮むきをしていた。
彼らの様子を見ていると、さすがシュトーレン家の料理見習い。野菜の皮むきはスピーディだ。現在はジューダという芋の皮むきをしているようだ。他にも前世でポピュラーな野菜と似たような野菜が沢山ある。
今日の夕食のメニューは、野菜の牛乳煮詰め的なスープとサラダのようでエリザは肩を落とす。
(あれか。シャビシャビで味が薄くてあまり美味しくないだよね……。きっと皆は薄口に慣れているんだろうな。確かに薄口は健康的ではあるけれど、何でもかんでも薄口は如何なものか……。)
などとエリザが考えているうちに料理長が戻ってきた。
「お嬢様。お待たせしてしまい申し訳ありません。私はここの料理長をしています、ダガルと申します。旦那様からお嬢様のお話は聞いております。何でもご自身で料理をされたいとか」
「構いませんよ。ナケットさんに厨房を案内して時間を潰せませたから。料理の件は料理をしたいと言うよりも美味しいものを食べたいのです。ですから、プロデュースしようと思いまして」
「プロデュースですか……」
ダガルは4歳児に何が出来るのか、と訝しげな顔をしている。ごもっともである。エリザが逆の立場なら危ないからと厨房から追い出しているだろう。
「こう見えて、私、料理には煩いですのよ。まずは料理の腕を見てもらいましょうか。ここに足台を置いてくださる?」
「お嬢様!?」
机に置いてある洗い終えたトマトをエリザはいくつか持っていき、台に乗って包丁を片手に切っていく。料理長は包丁を持った時に慌ていたが、危なげなくトマトを切る様子に驚いていた。
トマトを切り終え、玉ねぎをみじん切りにする。ニンニクみたいなのがあったからそれも使う。オリーブオイルにニンニク、玉ねぎを入れ、しばらくしてトマトを入れる。塩、胡椒を入れて煮詰めるとトマトソースの完成。簡単に言うとこんな感じだ。ハーブやコンソメがないのが残念だ……。
料理長を含め、厨房にいる全員が唖然としていた。普通の4歳児には難しいだろう。すこしやり過ぎた感はあるものの、美味しいご飯の為なら仕方ない。
トマトソースを煮込んでいる間に料理長が仕入れてきた食材を見せてもらう。
クラーケンの足、ナックルという豚の魔物の肉。小麦粉や強力粉などの粉物、トウモロコシもどき、ミルクなどがあった。
「そうそう。見たことのない魚が手に入ったんだった……」
ダガルがそう言い、籠から出てきたのは赤茶色の舌平目だった。それを見たエリザは目を輝かせる。前世で見た舌平目とは色が違うものの、あの平たくてドロップ形のフォルムはそっくりだ。
(舌平目とか久しぶりに見た!!舌平目か……テッパンにムニエルだな。ムニエルが食べたい。ムーニエル!ムーニエル!)
エリザの頭の中はムニエルコールでいっぱいになった。
「これをどうやって調理するかだが……」
ダガルは舌平目を見て、その調理法に呻く。
「ダガルさん。その魚で作りたい料理があるのだけどいいかしら?」
「この魚でですか?それは構いませんが」
エリザの急な申し出にダガルが不思議そうな顔をする。
「(この世界では)初めて作りますので、一先ず一匹だけ使用しても宜しいでしょうか?」
「あっ、はい」
「トマトソースも見てないといけないので、どなたか手伝ってもらっても宜しいでしょうか」
エリザのお願いに、では私が、俺が、と何人かが手を挙げてくれる。皆、初めて見る料理に興味があるようでその瞳は爛々としている。
「すみませんが、よろしくお願いします。まずはその魚を捌いてもらってもいいですか?」
「私が捌きます」
「では、もう一方はひたすらこの瓶を振ってください」
「こ、これをですか?」
エリザがそう言って渡したのはミルクが入った瓶である。ムニエルに最も必要なバター作りである。牛乳をひたすら振るだけという重労働だが、超簡単レシピだ。
そんな事をしている間にトマトソースが完成した。満足いく仕上がりに皆に味見をしてもらう。すると、味見をした全員が目を見開き、床に正座をしてひれ伏した。
調理人達の予想外の行動にエリザは慌てふためく。
「えっ?ちょっ、皆さん頭をお上げください」
「……お嬢様。私は非常に感動致しました。こんなに美味しい物は食べたことございません。しかも短時間で作られるなんて。お嬢様はもしかして神なのでしょうか?いや、どちらかと言えば女神か……」
料理長は泣いたり、独り言を呟いていたり忙しそうだ。エリザとしては喜んでくれるのは嬉しいのだが、その喜びの重たさに苦笑いを浮かべる。
「大袈裟ですよ。これは誰でも簡単に作れますし」
「いやいや!ご謙遜を。お嬢様、これは料理界の革命なのです!私ダガルは、お嬢様に一生付いていくと誓います」
「喜んで頂けるのは嬉しいのですが、ダガルさんはお父様が雇い主ですので、お父様に付いて頂かないと……」
「そんな!?お嬢様!?」
エリザの言葉にダガルは肩を下げて項垂れる。
よくよく話を聞くと、トマトは生で食べる野菜であり、煮込んで食べることはないそうだ。それを聞いてエリザはこの国の人は損し過ぎだと痛感した。トマトソースなんてイタリア料理の基本と言っても過言ではないと思っている。
やり方次第で料理は美味しくも不味くもなる。全ての人がもっと美食を追及すれば、自ずと世界は美食に溢れるだろう。これがその第1歩なら嬉しい。ここの料理人は真面目で熱血そうだから成長してくれるだろう。
手伝ってくれた料理人が頑張ってフリフリしてくれた甲斐があり、バターも無事に出来た。その間に他の必要な材料はかき集めたので、エリザはムニエル作りに入る。何故か料理人皆がものすごい勢いでメモを取り始めている。その目のギラつきようにエリザはビクビクしながらも、あっという間にムニエルを作り終える。完成したムニエルの香ばしい香りが厨房内を包み込む。
「これがムニエル……バターとやらがあれば、こんな短時間で出来るなんて……いい香りだ」
その後、試食した料理人の反応は凄まじく、大変だったのは言うまでもない。
とは言え、本日の夕食は牛乳煮詰めではなく、ムニエルになりそうでエリザはホッと一安心する。
ムニエルにはレモンを添え、皮むきを終えた芋はじゃがバターにするように伝える。時間のある時にバターを作るように伝えたすぐ後には、皆がミルクを使ってシャカシャカ振り出したので、エリザは思わず笑ってしまった。
夕食は家族にも好評だった事と数年ぶりに美味しいご飯が食べられてエリザは大満足した。




