07.ほんとうに望むもの
土曜日の朝、遅い朝食を終えてテレビを見ていると、玄関のチャイムが鳴った。どうやら荷物が届いたようだ。
荷物を受け取ったママが、もったいつけたような態度でみことに声をかける。
「何が届いたのかな〜」
ダンボールの中から出てきたのは、先日みことがねだったおもちゃのドライヤーセットだった。みことは驚いて、ママを見上げる。
「ええ! これどうしたの!?」
「みことがどうしても欲しいって言うから、買ったのよ。本当に、特別なんだからね?」
みことはもう諦めていたのに、ママはちゃんと用意してくれていたのだ。そのことを知り、あの時ママに嫌な態度をとってしまったことを反省した。
「ありがとう……」
みことが恥ずかしそうにお礼を言うと、ママは優しく微笑んだ。
「大事に遊んでよ」
みことは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。おもちゃを手にできたこと以上に、ママの優しさが嬉しかった。
さっそく箱を開けると、ほぼ実物大のドライヤーが姿を現した。電池を入れてもらいスイッチを押すと、ボタンが光り、風の出る音も鳴らすことができた。
「高いだけあって、よくできてるのね」
隣で見ていたママが、感心しながらそうつぶやく。
「ママの髪とかしてあげる!」
みことはママの髪にドライヤーを向け、付属のくしやヘアアイロンを使って、髪を整える真似をした。
「いい感じに仕上がりましたか?」
「うん! いいかんじですよ!」
ママのお客としての合いの手に、みことはそう答えて笑った。
ママの髪を整え終わると、みことはぬいぐるみをお客さんに見立てて、美容師ごっこを始めた。
「あつくないですか? 乾くまで、じっとしててくださいね」
みことは話しかけながら、次々とぬいぐるみの頭にドライヤーをあてていく。飽きることなく夢中で遊び続けるみことを、ママは嬉しそうに見守っていた。
その日、みことはおもちゃのドライヤーを片時も手放さなかった。寝る時に布団へ持ち込もうとし、ママに止められてしまうほどだった。
楽しかった一日を思い返しながら布団に入ったみことは、すぐに穏やかな眠りに落ちた。
月曜日になり、みことは意気揚々と保育園へやってきた。ママと別れて保育室に入ると、瑠璃の姿を発見して駆け寄った。
「瑠璃ちゃん、おはよう!」
「おはよう!」
みことはおもちゃのドライヤーについて語りたくて、挨拶もそこそこに話を切り出した。
「あのね、私もドライヤー買ってもらったんだ。瑠璃ちゃんが言ってた、光るやつ!」
「え? あれ、買ったの?」
瑠璃は少し驚いた様子を見せたものの、みことが想像していたよりも反応が薄かった。少し変だなと思いつつも、感動を分かち合いたいという衝動のまま、みことは話を続ける。
「うちで使ってるドライヤーとは、形がぜんぜん違うんだよね。ボタンが光るだけじゃなくて、音も出るからびっくりしちゃった!」
熱心に語るみことに、瑠璃はどこか困ったような視線を向ける。
「瑠璃ね、あのドライヤー、あげちゃったんだ」
「え?」
瑠璃の思わぬ言葉に、みことは目を丸くした。まるで大したことではないかのように、彼女は話を続ける。
「同じマンションのはなちゃんが欲しいって言うから、あげちゃった。もう飽きちゃったし」
「……」
その説明に、みことは絶句していた。せっかく買ってもらったおもちゃを、簡単に人にあげてしまうなんて信じられなかった。
そんなみことの反応など気にも留めずに、瑠璃はぱっと顔を輝かせて別の話を始める。
「私はね、これのプリンセスのお城を買ってもらったんだ! 新発売のやつ!」
瑠璃が手にしているのは、いつも遊んでいる猫の人形だった。同じシリーズの豪華なお城セットのCMは、日曜日にアニメを見ていると何度も流れてくるので、みこともよく知っていた。華やかなプリンセスの衣装を着た猫に、大きなお城、さらに馬車まで付いてくるらしい。
「週末にね、おじいちゃんとおばあちゃんが遊びにきたの。そのときに、買ってもらっちゃった! すごくかわいいから、みことちゃんもおねだりしてみたら?」
豪華なおもちゃを買ってもらうことは、みことにとって年に一度あるかないかの、特別な出来事だった。けれど、瑠璃にとってそれは、ごくありふれた日常なのかもしれない。
「かわいい妖精がついてくるんだけど、このセットでしか手に入らないんだって! だから、すごく人気みたいで……」
新しいおもちゃを買ってもらい、瑠璃も嬉しかったのだろう。みこともそうだったので、人に自慢したいという気持ちはよくわかる。話題を自分中心にしようとするのも、子どもらしい対抗心の表れで、悪意があるわけではないだろう。
だが、瑠璃の何気ない言葉に見下されているような気がして、みことは胸の奥が重くなるのを感じていた。そのことを、どう受け止めればよいのか分からない。
みことは、胸の内にあった楽しい気持ちが、急激に萎んでいくのを感じた。
その後、みことはおもちゃのドライヤーで遊ばなくなってしまった。ドライヤーを見ても、以前のように楽しい気持ちにはなれなくなっていた。
「もう飽きたの!? あんなに欲しいって言ってたのに!!」
数日後、放置されているおもちゃを見つけて、ママは声を荒げた。
「だって……」
ドライヤーで遊ばなくなった理由を、みことはどう説明すればいいのか分からなかった。頬が熱を帯び、言うべき言葉がなかなか見つからない。
「もう二度と買わないからね!」
何も言えず立ち尽くしているうちに、みことの視界がゆらゆらと揺れ始めた。まぶたが重くなり、世界が白くぼやけていく。
異変に気づいたママは顔色を変え、みことのおでこに手を置いた。
「みこと、熱があるじゃない!」
「え?」
あわてて熱を測ると、体温計は37.6度を示していた。
「けっこう高いわね……。頭、痛くない?」
「うん……」
みことが布団に入って横になると、すぐに震えるほどの寒気に襲われた。改めて熱を測ると、38度を超えており、ママの表情が険しくなる。
「インフルエンザかしら? 最近、流行り始めたって聞くし……」
念のため、ママはマスクをつけていた。今さらかもしれないが、ふたりそろって寝込んだら、さらに大変な事態になってしまうからだ。
「明日はお休みして、病院に行きましょう」
ママの予感は的中し、みことはインフルエンザと診断された。そのため、発熱してから5日間は保育園に通うことができない。当然、ママも会社を休まざるを得なくなった。
「今週いっぱいは、お休みとさせてください。はい……申し訳ありません」
ママはマスクをしながら、会社に休む連絡をしていた。本当に申し訳なさそうに何度も謝るその姿を見て、みことは自分のせいで嫌な思いをさせてしまったのだと、心が沈んだ。
電話を終え、様子を見に来たママに向かって、みことはか細い声で言った。
「ママ……ごめんなさい」
「謝ることなんてないわ。ゆっくり寝て、早く治してね」
ママは優しくそう言った。その声色には、責めるような響きは微塵も感じられなかった。
ママは近所のコンビニで、スポーツドリンクと大きな桃が入ったゼリーを買ってきてくれた。今は食欲がなく、みことはぬるいドリンクを少しずつ飲んで、喉を潤した。
処方された薬が効いたのか、翌朝にはみことの熱はほぼ下がっていた。食欲も戻り、桃のゼリーだけでは足りず、ママにおにぎりを作ってもらって食べる。
それからしばらくは、家に引きこもる生活が続いた。
「こうなったら、今だからできることをやらなきゃね」
そう言うとママは、散らかった部屋の片付けに取りかかった。ゴミだらけというほどではないが、服や日用品が雑然と置かれている。ひとつずつ手に取り、必要なものを整え、普段使わないものは収納ケースにしまっていった。
それが終わると、ママはスマホで調べものを始めた。電卓を片手にメモを取りながら、難しい顔で画面を見つめ、ときおり大きなため息をついている。
みことの熱もすっかり下がり、体調も回復していた。テレビばかりの生活に飽き、次第に体を動かしたい気持ちが募っていく。
みことはテレビを消して、ママに訴える。
「みこと、もう保育園行けるよ?」
「だめなの。そういうルールだから」
そう言うママは、まだマスクをつけていた。これだけ身近で生活していても、インフルエンザに感染していないのは、運が良かったとしか言いようがない。
「外に出られるようになったら、ママはどこに行きたい?」
みことは暇を持て余しながら、何気なくママにそうたずねた。
「え? 会社?」
「そういうのじゃなくて! 行きたいところ、ないの?」
あまりにも夢のない答えに、みことは呆れた顔で言った。
「行きたいところか……どこだろう?」
「遊園地とか、旅行とか?」
ママは何も思いつかないようで、首をかしげていた。やがて、何か思いついたように、小さくつぶやく。
「ママは、家でゆっくりしたいな」
「今してるじゃん!」
みことは、すかさずそう突っ込んだ。ぼんやりとしたことを言うママがおかしくて、思わず笑ってしまう。
「確かに、そうね……。私はいったい、何をしたいんだろう。毎日が忙しくて、そんなことを考える余裕もなかったから……」
そう言って、ママはぼんやりと何もないところを見つめていた。みことはそんなママの姿を、不思議そうに見上げた。




