07. 暴力の価値
ジャージ男こと金井 清は、この状況を甘く見ていた。
「ようするに、100個集めればいいんだろう? カンタンじゃねえか」
問題は生き返れるのはひとりということだが、そこは輿田に譲るしかない。怖い上司だからという訳ではなく、純粋に彼を慕っているのだ。ここは、良いところを見せたい。
しかし、そうなると自分はどうなるのだろう?
「まあ、後で考えりゃあいいや」
あまり深く考えず、とりあえず行動に出るのが、彼の信条だ。それが、清の長所でもあり、欠点でもあるのだが……。
清は近くで珠をまじまじと見つめていた、スーツ姿の男を標的として定めた。30代半ばの小太りメガネで、いかにも気が弱そうだった。脅すなら、こんな奴が丁度いい。
「おい、てめえ。その珠、よこせや!」
その男はビクッと反応し、恐怖に歪んだ表情で清を見た。しかし、清の予想通りの反応はそこまでだった。
「いやです!」
力強く拒否して、清から珠を守る様に背を向ける。
清は舌打ちしながら、後悔した。声をかける前に、珠を奪ってしまえば良かったのだ。
とにかく、こういうのは勢いだと、大声で男を怒鳴り散らした。
「痛い目見る前に、渡せゴラァ!」
男は視線を合わせたく無いのか、清の動きに合わせ、くるくるとその場で回りだした。きちんと目を見ながら脅したいのだが、これでは戯れているようにしか見えない。
「さっさと、よこしやがれ!」
ラチがあかないので、清は相手の腕を取り、珠が握られた手をこじ開けようとする。しかし、男が必死に抵抗するので、なかなか上手くいかない。
さらに力を込めようとすると、男に手の甲を噛まれてしまった。
「痛ってえな!」
キレた清が男の顔面を殴打すると、しベっと奇妙な声を出して、派手に倒れこんだ。しかし、珠は決して離そうとしない。
さっと亀の様にうずくまり、珠を持つ手を腹に抱え込んでしまった。
「この、ブタ野郎が!」
清は仕返し足りないとばかりに、男の横っ腹を蹴り上げた。男はうめき声を出しながらも、必死に耐えている。
「まだ、痛い目にあいてえか! よこせってんだよ!」
「いやだあああああ!」
普通であれば、この争いはすぐに決着がついただろう。しかし、この部屋においては、打ち身程度の傷は、すぐに完治してしまう様だ。
さらに、彼の脂肪は、緩衝材として優秀だった。痛い事には変わり無いだろうが、清の攻撃を我慢強く耐えている。
数10回蹴り上げたところで、清の息が上がり始めた。
「てめえ……いい加減に、しろよ」
清が少し息を整えようとした瞬間、男はその体型から想像できない速さで立ち上がり、珠を口に入れ飲み込んでしまった。
「ああ!?」
男の予想外の行動に、清は驚きの声を上げる。
呆然と立ち尽くす清を残して、男はさっと人混みの後ろに紛れてしまった。そして、人壁の向こうからひょこひょこと顔を出して、こちらをうかがっている。
清はどうしようもなくムカついたが、飲み込んだ珠を奪う方法が思いつかず、その男と関わる気力が失せてしまった。
もっと扱いやすい奴がいないかと、清がぐるっと辺りを見回し、周囲に緊張が走る。
「もう、やめましょうよ!」
急にそんな声が、清の後ろからかけられた。振り向くと、背の高い若い男が立っている。
年齢と格好から察するに、大学生だろうか? Tシャツにジャケットという清潔感のある服装で、髪型もヘアワックスで綺麗にまとめられている。
ただし、キツネ目で右口角を上げて笑う人相が、ひたすら好感度を下げていた。
「なんだてめえ!」
清は割り込んできた青年を、苛立げににらんだ。
「暴力のみで、珠を集めるのは不可能だ! 無意味な事は、やめましょう」
「不可能かどうか、試してやろうか?」
清はそう言って、青年に向かって歩き出す。
「貴方がこれ以上、暴力を振るうのであれば、全員で協力して縛り上げますよ? ひとりでこの人数を、相手に出来ると思いますか?」
辺りを見回すと、人々が清に抗議の視線を送っている。中にはガタイの良い男もいて、腕組みしながらこちらを睨んでいた。老人や女も多いが、流石に清も、この人数を相手に勝てる気はしない。
「この空間で、暴力に価値はない!」
そんな清を見て、青年は勝ち誇ったように語り始めた。
「殺して奪うことが、出来ないんですからね。拷問して奪うにしても、そんな悠長な事が出来ますか? 100人が順番に、待ってくれはしないですよ?」
そう言いながら、清に一歩づつ近付いてくる。
「生き残れるのがひとりとなれば、必然的に数の力では負ける。対立ではなく、対話が必要だ。暴力にしか頼れないあなた達に、出る幕はない!」
青年の動きに合わせて、背後にいた人々も清に詰め寄った。その群集の圧力に気圧されて、清は後ずさりする。
「お、覚えてろよ!」
人々からのプレッシャーに耐えられなくなり、清は定番の捨て台詞を吐いた。結局ひとつの珠も手に入れることなく、清はすごすごと輿田の元へと帰るしかなかった。