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05.大好きな100円ショップ

 みことは、100円ショップが大好きだった。


「ひゃっきん、行きたい! おもちゃ買っていい?」


 5歳の柚浅 みことは、そう言ってママの手を引いた。


 みことは、可愛らしいキャラクターの入った白いTシャツに、フリルのついたスカートを身につけていた。長く伸びた髪をまとめたポニーテールが、元気よく揺れている。


 週末に訪れるいつものショッピングセンターは、それなりに混雑していた。規模は小さいが、100円ショップやドラッグストアなど、生活に必要なテナントは一通り揃っている。その反面、どこも定番の店ばかりで面白味はない。


「ひとつだけだからね!」


 ママは諦めたような顔をして、店頭にある買い物かごを取る。そして、いつも購入しているポケットティッシュなどの消耗品を、手早くかごに入れはじめた。


 100円ショップであれば、ママは好きなおもちゃを買ってくれる。そのことを、みことはよく理解していた。


 おもちゃ売り場の商品を買ってもらえるのは、誕生日など特別な時だけだった。そして、ガチャガチャやお菓子売り場の食玩は、何が出るかわからないからだめだと、きつく言われている。


 みことはおもちゃコーナーに向かうと、棚に並んだ商品を吟味し始めた。シャボン玉や砂遊びの道具、小さなラケットにボウリングセット、虹色に輝くスライムなどなど。特に充実しているのはおままごとセットで、野菜からハンバーグなどの料理に加え、さまざまな調理器具が並んでいた。


「これ可愛い!」


 迷った末、みことはドライヤーとくしが入ったヘアメイクセットを手に取った。彼女の心を捉えたのは、ピンクの可愛いドライヤーだった。


 ママと一緒に会計を済ませると、みことはエコバッグの中に手を入れて言った。


「これ、持ってていい?」


「もう、中身は出さないでね!」


 ママはいい顔をしなかったが、言っても聞かないだろうと許してくれた。みことは、ヘアメイクセットを大事そうに胸に抱えて歩く。


 しばらくすると、手をつないでいたママが立ち止まった。みことが仰ぎ見ると、彼女の視線はマネキンに飾られた服に注がれている。シンプルなネイビーのワンピースだが、スカートの柔らかなドレープが、上品さと可愛らしさを兼ね備えていた。


「それ、買うの?」


 みことは、ママにそう尋ねた。


「え? 買わないわよ」


 意外そうな顔をして、ママはそう答えた。自分がその服に見惚れていたことに気づくと、苦笑いを浮かべて歩き出す。


 ママはいつも、シャツにジーンズというシンプルな装いばかりだった。たまには、あのマネキンのような可愛らしい服を着ればいいのにと、みことは思うのだった。




 両親が離婚し、小さなアパートに住み始めてから、すでに3年ほどが経過していた。


 みことの記憶が曖昧なこともあり、家族の話題にパパが登場することはない。いないことが当たり前で、みことはそれをまったく気にしていなかった。


 ママが今の会社に勤め始めてから、みことは最寄駅近くの保育園に通っている。


 その保育園は、大通りから少し外れた古い雑居ビルの2階にあった。ビルは綺麗とは言い難く、駅近にもかかわらずあまり人気がないらしい。そのおかげか、すんなり入園することができて良かったと、ママは言っていた。


 その日の朝も、忙しなくビルの前に電動自転車を停めて、ママと一緒に保育園へ向かう階段を上る。


 同じように子どもを預けにきた親子とすれ違うが、お互いに雑談をする暇もなく、軽く会釈して通り過ぎていく。保護者の顔ぶれはさまざまで、髪を派手に染め、会社勤めでなさそうな服装のママも少なくない。父親が一緒に送迎に来る家庭も、それなりに多かった。


 園の入り口に着くと、ママは手早く荷物を指定の場所に置き、先生に挨拶をする。


「今日も延長するかもしれないので、その際は連絡します」


「わかりました。お預かりします」


 すぐ隣では、ママと離れたくないと泣き喚く男の子がいた。ママは必死になだめているが、ああなってしまうと話は通じない。時計を気にしながらも突き放すことはできず、彼女はただ途方に暮れていた。


 みことはお友達や先生と遊ぶのが好きだったし、ママが困ることはしない方がいいと思っていた。


「ママ、いってらっしゃい!」


「迎えに来るまで、いい子にしててね」


 会社に向かうママに向かって、みことは元気に手を振った。




 現在、みことは5歳児クラスに在籍。園児約50人に対し、10名ほどの職員が勤務している。


 部屋には大きな窓はなく、無機質な蛍光灯の光で照らされていた。壁は子どもたちが描いた絵や、カラフルな掲示物で埋め尽くされている。床には、ところどころにクレヨンを引きずったような跡が残されていた。


 子どもたちはおもちゃで遊んだり、用意されていた空き箱などで工作をしている。みことが何で遊ぶか悩んでいると、小綺麗な格好をした女の子が声をかけてきた。


「みことちゃん、人形遊びしよう!」


 話しかけてきたのは、同い年の青山 瑠璃だった。瑠璃は腰に大きなリボンがあしらわれた、ベージュのワンピースを着ている。細かな柄と所々に付いているレースが、ブランドものらしい品質の良さを感じさせた。長い髪は綺麗に編み込まれており、その姿はまるで雑誌モデルのようだ。


「いいよ! あそぼ!」


 みことは嬉しそうにそう答え、瑠璃と一緒におもちゃ箱をのぞき込んだ。そして、ふわふわのフロッキー加工が施された、動物の人形で遊ぶことにする。


 古いものは加工が剥がれてしまっているため、ふたりは比較的新しい猫の親子を手に取った。みことがママ役、瑠璃が子ども役となり、人形劇を始める。


「ママ、公園で遊びたい!」


「いいわよ。危ないから、道路では手を繋いでね」


 瑠璃の甲高い声に、みことが大人ぶった声でそう答える。ふたりのやりとりは、いつかママと交わした会話を再現しているようだった。


「ちゃんと、水筒を持って行きなさい! のど乾くでしょ」


 みことがテーブルの上で人形をトコトコ歩かせていると、体格のいい女の子が近づいてきた。


「それ、かして!!」


 そう言って、女の子はみことの手から人形をひったくる。


「あ!」


 みことが面食らっていると、瑠璃がその女の子に抗議した。


「ちょっと! とらないでよ! みことちゃんが、遊んでたでしょ!」


「これ、わたしのだから。かってに遊ばないで!」


 女の子は、当然のようにそう主張した。しかし、おもちゃは園のものであり、誰かのものではない。


「あなたのじゃないでしょ! みんなのでしょ!」


 その子は瑠璃の手にしている人形に気付くと、その人形も奪おうと手を伸ばしてくる。


「それもかして!」


 彼女はふたりの使っていた人形を、独り占めしたいらしい。


「だから、あなたのじゃないでしょ! せんせい!!」


 その手を避けながら、瑠璃は大きな声で叫んだ。その声を聞きつけた年配の先生が、こちらにやってくる。


「ちょっと、どうしたの?」


 人形を奪った女の子の顔を見ると、大体の事情を察して小さくため息をつく。その女の子、大石 季里子はトラブルメーカーとして知られているのだ。


 季里子は、派手なピンクの服で全身を統一していた。その装いは、彼女の強いこだわりと主張を表しているような気がする。4月生まれで体が大きく、園内で彼女に逆らえる子どもはいなかった。


「みんなで、仲良く遊びましょうね」


 先生がそう声をかけるが、季里子は人形を持ったままそっぽを向いてしまう。人形を返す意思は、まったくないようだ。


「もう。ごめんね、季里子さんにゆずってもらっていい?」


 先生はすぐに説得をあきらめ、みことたちに譲るようお願いした。聞き分けの良い子にお願いする方が、事態を早く収拾できると考えたのだろう。


「え〜! 私たちが先に遊んでたのに!」


 瑠璃が不満を言うその向こうで、季里子がニヤリと笑っているのが見えた。


「もういいよ。他ので遊ぼう」


 みことは腹が立ったが、それ以上に季里子と関わりたくないと感じていた。


「そうね……。遊ぶ時間、なくなっちゃう!」


 瑠璃が同意してくれたことにホッとしていると、みことは視線を感じて振り向いた。すぐそばに男の子が立っており、季里子のことを何とも言えない表情で見つめている。


 土谷 蓮は普段あまり人と関わらないため、印象が薄い男の子だった。そんな蓮が、小さく呟くのをみことは聞いた。


「かわいそうなやつ」


「え?」


 みことと蓮の視線が一瞬交わるが、彼は何も言わずに行ってしまう。


 誰の何が、かわいそうだと言うのだろう? その言葉の意味がわからず、みことは首を傾げた。




「ほんと、むかつく! 先生も何も言ってくれないし……」


 瑠璃は先ほどのやりとりが、まだ納得いかないようだった。おもちゃ箱を物色しながら、ぶつぶつと文句を言っている。


 みことは声をかける言葉が思いつかず、無言のままおもちゃ箱を探っていた。すると、見覚えのあるおもちゃを発見する。


「あ、これとおなじの持ってる!」


 それは、先日100円ショップで買ったドライヤーだった。最近はそればかりで遊んでいたため、細かな形状までよく覚えている。以前にも手に取ったことはあったが、同じものだとは気付かなかったのだ。


「あー、それ100円ショップのやつでしょ?」


「そうそう」


 みことが弾んだ声で語ろうとした矢先、それを瑠璃の言葉が遮った。


「それ、安っぽいよねー。形もなんかダサいし」


「え?」


 おもちゃ箱を探る手を止めた瑠璃は、ふいに顔を上げると、笑顔でみことに話しかけてくる。


「そう言えばね、この前ママにドライヤーのおもちゃを買ってもらったんだ! 本物みたいな大きさで、ボタンを押すと光るんだよ!」


「光るの??」


 みことはドライヤーがどのように光るのか想像できなかったが、とにかくすごいということは伝わってきた。


「ヘアアイロンだって付いてるんだから!」


「誕生日に買ってもらったの?」


 みことの何気ない質問に、瑠璃が答える。


「違うよ。いい子にしてるからって買ってくれたの! いいでしょ」


 瑠璃は、無邪気に笑いながら自慢話を続けていた。彼女は日頃から、買ってもらった服やおもちゃを自慢してくる。みことはそれを、素直に羨ましいと思っていた。


 だがこのときは、自分のお気に入りのおもちゃを馬鹿にされ、もやもやとした感情が胸の内で渦巻いていた。悪意はないと分かっていても、彼女の言葉に笑顔で返すことが出来ない。


 みことは無言で、手の中のプラスチックのおもちゃを握りしめた。

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