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02.アラフォー男の恋愛事情

 水谷 修一はあぐらをかきながら顎を手で支え、ぼんやりと部屋の人々を見ていた。


 仕事でスーツを着ていた水谷だが、ジャケットは放り投げ、ネクタイを外してシャツのボタンを緩めている。ワックスで整えていた髪はボサボサに乱れ、白髪がうっすらと見え隠れしていた。若く見せようとしているが、目の下のクマが疲労と年齢を隠しきれていない。


 ふと、目の前を高校生らしき男女が通り過ぎていった。その女子高生の初々しさに惹かれ、自然に目が彼女の後を追う。


 ふたりは歩きながら、仲良さそうに会話していた。親しそうではあるが、まだ付き合っているようには見えない。その微妙な距離感を見ていると、自分の青春時代を思い起こして、水谷の心がざわついた。


 女の子と並んで登下校したことなどないのに、なぜかその甘酸っぱい感覚だけが呼び起こされる。意味もなく叫びたくなるのだが、この感情はどこから湧き出てくるのだろうか。


「とっとと告って、振られちまえ!」


 感情のやり場に困り、とりあえず彼はそう吐き捨てた。


 まだ若いつもりでいる水谷も、すでに41歳になっていた。それなりに女性経験もあるが、その思い出は素敵なものとは言いがたい。




 水谷が初めて女性と付き合ったのは、大学2年のときである。お相手の星野奈々美とは、それほど親しいわけではなかった。


「他に気になる男もいないし、今なら付き合ってあげてもいいよ?」


 たまたま飲み会の席で隣になり、彼氏と別れたという話を聞いていたところ、奈々美からそんな提案をされた。


 彼女は化粧が濃く派手なタイプで、水谷好みの清楚系とは真逆だった。しかし、アイラインで縁取られた目はぱっちりとしており、美人であることは間違いない。彼はその誘いに、喜んで乗った。


 彼女にとって水谷との交際は、暇つぶしくらいの感覚だったのかもしれない。いろんなところに連れ回されて、散々おごらされる羽目になる。


 付き合って2か月後の彼女の誕生日には、高価なプレゼントをねだられた。水谷はなけなしの貯金をはたいて、ブランドもののバッグをプレゼントする。


「彼女の誕生日プレゼント買ったから、今月は金欠だよ!」


 非常に痛い出費であったが、これも男女交際ならではの悩みだと、友人には少し誇らしげに語っていた。


 だが、その数日後には、奈々美と別れることになる。


「お試しも、そろそろ終わりかなと思って。付き合い続けるなら、やっぱりときめきがないと難しいでしょ?」


 プレゼントを渡した直後の話でムカつきはしたが、思っていたよりショックではなかった。元々、彼女のことを、そこまで好きではなかったのかもしれない。


 追いすがっても無駄だろうし、何よりそこまでの執着もなく、水谷はすんなりと別れを受け入れた。


 そして、初交際に自信をつけた水谷は、すぐさま次の彼女を探し始めた。次こそは自分好みの女性と付き合いたいと、気になっていた女性にアプローチする。


 だが、その意気込みは空回りし、学生のうちに新たな彼女を作ることはできなかった。




 次にお付き合いした女性は、会社の同僚だった。


 数えきれないほどのエントリーシートを送り、なんとか就活を乗り切った水谷は、そこそこの大きさの食料品メーカーに入社した。


 恋愛は社会人になってからが本番だと期待していたが、可愛い同期はすぐに先輩のお手付きとなる。素敵な女性ほどすでに結婚していき、社内にめぼしい女性は残っていなかった。


 会社の外で出会いを求めても、女性を紹介してくれる友人もおらず、出会い系アプリを使っても空振りが続く。


 前の彼女と別れてから、すでに5年以上が経過しており、同僚の恋愛話につきあうのも気が重くなっていた。欲情を持て余すこともあり、悶々とする水谷の目についたのは、同期の平石和子だった。


 彼女はとても地味な印象で、恋愛の対象とは認識していなかった。同僚たちがファッションや化粧に金をかけて垢抜けていく中、彼女だけは野暮ったさの残る学生のように見えた。


 しかし、顔立ちは地味ではあるが、決して不細工ではない。


「休日暇なら、とりあえず俺を誘えよ。付き合ってやるからさ」


 水谷は軽い気持ちで、彼女を口説いてみることにした。


「私なんかより、もっと可愛い子を口説けばいいのに……」


 和子は困った表情を浮かべつつも、口説いてくる水谷を突き放そうとはしなかった。歓迎されているわけではないが、嬉しくないわけでもなさそうだ。


 久しぶりの手応えを感じた水谷は、何度かふたりで飲みに行き、強引に交際を迫った。


「いい年なのに、何をもったいぶっているんだ? 尻込みして動かなかったら、あっという間に三十路だぞ。だったら、ダメ元で俺と付き合えよ」


 口説き文句としては最低だったが、彼女にも思うところがあったのかもしれない。


「そうだね……。想像とはちょっと違うけど、今が踏み出すチャンスなのかも」


 和子は苦笑しながらそう言って、水谷の目をまじまじと見返した。その真剣なまなざしにたじろぎつつも、水谷は彼女の手を握る。


 こうして、ふたりの交際は始まった。


 和子は引っ込み思案で大人しく、基本的に水谷を尊重してくれた。高価なプレゼントを要求されることもなく、ちょっとしたことでも素直に喜んでくれる。それは、女性に振り回されることが多かった水谷にとって、とても心地よいものだった。


 デートも、特別なことは何もしなかった。映画や美術館に行き、ちょっとした美味しいものを食べ、何を買うでもなく街を練り歩く。会話を盛り上げようと意識することもなく、リラックスして過ごすことができた。


 だが、水谷は和子の容姿には満足していなかった。彼女がいることは公言しつつも、社内はもちろん、友人にも和子を紹介するのを避けていた。


 自分なら、もっといい女と付き合える。


 同級生が美人の彼女と結婚するのを見て、その想いはさらに強くなる。奈々美と付き合っていた頃は、周りの男から羨望の眼差しを向けられた。そのときの高揚感を、まだ忘れられない自分がいる。


 和子の長所である気遣いも、付き合いが長くなると当然のものとなり、ありがたみが薄れていく。


 ずるずると付き合い続けると、このまま結婚する羽目になるのではないか。彼女の年齢が三十路に近付くと、水谷はそんなプレッシャーを感じるようになっていた。


 だから、彼女が29歳の誕生日を迎える前に、水谷から別れを告げた。和子は理由も聞かず、ただ悲しそうに、仕方ないねとつぶやいた。


 和子は泣かなかった。少なくとも、水谷の前では。




 フリーとなった水谷は、結婚相手を見つける意気込みで恋人探しを始めた。いくつものマッチングアプリに手を出し、写真写りのいい女性へ片っ端からアプローチをかける。


 だが、自分の年収が平凡に映るのか、マッチングが成功することはほとんどなかった。水谷にいいねを押してくれるのは、自分よりも年上の女性ばかりだった。マッチングに成功して会ってはみたものの、写真とはまったく違う容姿の女性が現れ、すぐさま逃げ帰ったこともある。


 望むような出会いがないまま、水谷はあっという間に40代となっていた。年齢が上がるにつれて、女性と出会う機会はさらに減っていく。


 そんな水谷がハマったのが、ガールズバーだった。キャバクラに行くほど金がなくても、手軽に若い女性と話せるのが楽しい。


 若い女性と話すことで、自分はまだイケると信じることができた。相手は接客でやっているだけだと分かっているが、そうでも思わないと希望が持てない。つまり、彼は日常生活では、若い女性にまったく相手にされなくなっていたのだ。


 好みのキャストの気を引くため店に通い、次第に酒量も増えていく。


「成果、せいかって、何でも右肩上がりに行くかってんだよ! 無理して働くことが前提の目標って、おかしくないか!?」


 その日も、機嫌の悪い上司にねちねちと嫌味を言われ、憂さ晴らしをするかのようにハイペースで飲んでいた。散々愚痴を聞かされたキャストの女の子は、もはや嫌な顔を隠そうともしなくなっている。彼女のそんな態度にも気づかず、本来の目的も忘れ、水谷はただ独りよがりに飲み続けた。


「お客さん! そろそろお帰りください」


 へべれけになった水谷に業を煮やしたのか、店員の男が退店を促してくる。


「客が飲みたいって言ってんだから、もっと飲ませろよ!」


 そう言いつつも、ガタイの良い店員に強く反抗はできなかった。おぼつかない足で出口に向かいつつ、女の子に別れの言葉を投げる。


「また来るから! お〜い、聞こえてる!?」


 相手をしてくれていた女性は、ため息混じりの視線だけ送ると、すぐさま次の客に愛想を振りまいていた。


「ふざけんなよ! オレがよぉ〜、どんだけ店に貢献していると思ってんだ!」


 先ほどのキャストの態度が気に食わず、水谷は悪態をつきながらフラフラと駅に向かっていた。自分ではまっすぐ歩いているつもりなのだが、体が左右に流れて人とぶつかりそうになる。


 地下鉄の駅に向かう長いエスカレーターは混んでいて、素直に並ぶ気にはなれなかった。隣にある階段へ進んで一歩降りると、足がもつれて体が宙に浮いた。


 ヤバい。


 慌てて受け身を取ろうとするが、脳からの信号が手足にうまく伝わらない。そのまま何もできずに、水谷は頭から階段に転げ落ちた。


「大丈夫ですか!?」


 白髪混じりの年配の男性が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。


「だいじょうぶ! 大丈夫……」


 水谷は反射的にそう答えるが、目が回って自分の状況がよく理解できなかった。恥ずかしさから、慌てて立ち上がろうとするが、よろめいて尻もちをついてしまう。


 頭を打ったらしく、ひどい頭痛がする。派手にぶつけたのか、手足に擦りむいた跡があった。幸いにも、出血はしていない。


 振り返って自分が落ちた階段を見ると、そこまで大した高さには見えなかった。


「救急車、呼びましょうか?」


 先ほどの男性が、心配そうに声をかけてくる。通りすがりの人々は、遠巻きにこちらを見ているが、誰も立ち止まろうとはしない。


「そんなの、いらないって!」


 水谷はふらつく体をなんとか起こして、足早にその場を去ろうとする。


「本当に、大丈夫ですか?」


 男の声には答えず、水谷は顔を隠すようにうつむきながら、ふらふらとその場を後にした。



 厄日とは、こういう日のことを言うのだろう。スーツのズボンが破れているのを発見し、水谷は大きなため息をついた。ひどい頭痛と、時折襲われる吐き気をこらえながら歩く。


 なんとか自宅までたどり着き、着替えもせずにそのままベッドに倒れ込む。何も考えずに、とにかく今は休みたい。


 ひどい頭痛でなかなか寝つけなかったが、しばらくすると体の痛みが急に薄れていった。水谷はもうろうとする意識の中で、やっと眠れることに安堵する。


 だが、水谷はそのまま二度と起き上がることはなかった。

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