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08.重なり合うかたち

 聡一郎との交際は、至って普通だった。


 話が上手くて笑わせてくれるだとか、素敵なお店を知っていてエスコートが上手だとか、意外に床上手だとか、特筆するほどの魅力は今のところない。


 だが、言葉数は少ないが気遣いがあり、全てにおいてそつがなく、十分に及第点といった印象だった。


「それって、何か物足りないってこと?」


 彼についての素直な感想を伝えると、涼子がそう聞き返してきた。


 聡一郎と付き合い始めて、1ヶ月ほどが経過したある日。大学から帰る途中、よく使うカフェでの出来事だった。


「そりゃ、あなたが付き合ってきた優良美麗な人間と比べたら、聡一郎が気の毒よ……」


 梓の言葉を聞いた涼子は、聡一郎に同情的な反応を示す。


 だが、梓が重要視するのは、彼の長所についてではなかった。


「不満じゃないの。むしろ、ポイント高いかもしれない」


「どういうこと?」


 相反するような梓の言葉に、涼子は戸惑いの表情を浮かべる。


「だいたい1ヶ月も付き合えば、相手のダメな部分が何かしら見えてくるんだけど、聡一郎くんにはそれがないの。これって、けっこう凄いことじゃない?」


 どんなに人がうらやむ長所があろうと、相手の欠点が許容できないことが多かった。そんな梓にとって、ダメな部分が見当たらない聡一郎は、かなりの好印象なのだ。


「素早く人を見抜く目には、自信があるの。聡一郎くんって、実は掘り出し物なのかも」


 梓は少し熱く語るが、涼子にはピンときていない様子だった。


「評価ポイントは良く分からないけど、まあ聡一郎はいい奴よ」


 涼子はそう言うと、ふっと表情が和らいだ。


「とりあえず、上手くいきそうなら良かった。私としても、自分が気に入った人間同士が仲良くなるのは、喜ばしいことだし」


 そう言って涼子が微笑むと、梓は少しホッとした。親友と言っていい涼子には、ずっと心配をかけて申し訳ないと思っていたのだ。


「ただ……」


 涼子が、意地の悪そうな笑みを浮かべて付け加えた。


「梓は聡一郎を普通と言ったけど、それは彼のことを知らない証拠よ」


「どういうこと?」


 涼子の方が聡一郎との付き合いは長いので、自分が知らない一面を知っているのは当然かもしれない。そして、それを面白くないと感じている自分がいる。もしかしたら、この感情は嫉妬というものなのだろうか。


「尖ってるあなたと上手く組み合わさるには、相手もそれなりに尖ってる必要があるってことだからね」


 そう言った涼子は、本当に面白そうに笑った。




 その日は、聡一郎の家で夕食を食べる予定になっていた。


 大学から数駅離れ、駅から徒歩15分の小さなアパートメントは、古くはあったが小汚い印象は無い。


 彼の家に入ると、聡一郎は小さなキッチンで、黙々と料理をしていた。


「何作ってるの?」


 梓が聡一郎の手元を覗き込むと、水を切った野菜をボウルに入れ、手際よくマヨネーズからドレッシングらしきものを作っている。


「シーザーサラダ。お任せでいいと言われたから、メニューは適当だよ」


「ありがとう。お腹すいた!」


 そして、部屋の小さなローテーブルに、聡一郎が作った料理が並んだ。


 今日のメイン料理は鶏もも肉のトマト煮で、上に軽くクリームチーズが乗せられている。サラダとスープも小綺麗に盛られ、家庭で作った料理とは思えない出来栄えだった。さらに、冷蔵庫には手作りのチーズケーキが用意されているらしい。


「どうぞ」


「いただきます!」


 梓は手を合わせて、彼が作った料理を口に運ぶ。


「すごく、おいしい!」


 トマトソースで甘く煮込まれた鶏肉は、少し酸味のあるクリームチーズと合わせると、とても美味しかった。


 彼の家には何回か泊まりに来たことがあり、簡単な料理は作ってもらったことがある。美味しかったし、それなりの腕前だとは思っていた。


 だが、本気でもてなす為に並べられた料理は、梓の想像以上のクオリティだった。


「もしかして、料理人になりたいの?」


 そんな感想が、自然と梓の口から漏れる。


「そんなつもりはないです。自分が好きなものを、自分好みの味で食べたいと思ってるだけなので」


 聡一郎はさらりと言うが、ここまで料理が上手くなるのは、簡単なことでは無いだろう。梓は食べられれば何でもいいというタイプなので、その努力には感心するばかりだ。


「料理はレシピ通りに作れば、たいていおいしいですよ。それに、愛情も込めているので」


 聡一郎は感情の無い声で言ったが、その表情は微かに微笑んでいた。それを見て、梓の箸の動きが一瞬止まる。


 涼子が言っていた、私が知らない聡一郎の一面とは、この事なのだろうか?


 聡一郎の手料理を、涼子も食べたことがあるのかもしれない。そう思うと、梓の心にもやっとしたものが渦巻いてくる。


 それは、梓にとって新鮮な感覚だった。



「お腹いっぱい! 美味しかった……」


 梓が料理を食べ終えると、聡一郎がコーヒーを入れて差し出した。


「ありがとう」


 それを飲んで一息つくと、梓はなんとも言えない満ち足りた気分になる。


「聡一郎はさ、どうして私と付き合おうと思ったの?」


 初対面の女との付き合うという提案を、聡一郎はどんな気持ちで受け入れたのか。前から気になっていた疑問が、梓の口からこぼれた。


 聡一郎はまじまじと梓を見ると、飲んでいたコーヒーをテーブルに置いて言った。


「願ったり、叶ったりでした。もともと、こちらから交際を申し込むつもりだったので」


「そうなの!?」


 驚きで、梓の声が一段高くなる。


 興味本位で梓に会いに来たと思っていたのだが、口説く気満々だったとは予想外だった。


「……えっと。そもそも、どうして私と付き合いたいと思ったの?」


 梓は、少し動揺しながらたずねた。


「涼子さんに男癖の悪い友達がいるとは、前々から聞いていました。実際に梓さんを見たのは半年くらい前で、3号館のエントランスで男を引っぱたいているところでした」


 そう言われて、梓は忘れていたそのシーンを思い出す。



 当時、演劇サークルで出会った男と付き合い始めたのだが、一週間もせずに別れることを決めた。


 ダメかもしれないと思いつつ付き合ってみたら、ほんとにダメ男だったのだ。何事も試してみるという精神が、完全に裏目に出た結果だった。


「いい加減、付きまとわないで!」


 何度もそう言ったのだが、男は事あるごとに梓の前に立ち塞がった。


「別れるなんて、早すぎるだろう! もっと、お互いのことを知ってから考えようぜ!」


 男はそう言いつつ、梓の腕を取って自分に引き寄せる。そして、その腕を振り払おうとする梓の耳元で、彼はささやいた。


「少なくとも、1回はヤってみようぜ。あっちの相性も、試してみないとさ……」


 その言葉を聞いて、梓は本気でキレることにした。


 男の腕をねじる様にして振り払うと、男の頬を勢いよく引っ叩く。男は小さなうめき声をあげて、その場に尻餅をついた。


 梓はその股ぐらに勢いよく足を踏み下ろすと、とても爽やかな笑顔で言い放つ。


「ふざけたこと言ってると、踏みつぶすわよ?」


 間一髪で大事な部分を踏み潰されることを逃れた男は、梓に狂気を感じたのが、すごすごと去っていったのだった。



「見てたの……」


 それなりに人通りがあったので、変に目立ってしまったとは思っていた。だが、それを聡一郎に見られていたとは思わなかった。


「すぐ目の前での出来事だったので、けっこう衝撃的でした」


「お、男を張り倒す姿に、惚れたって事?」


 まさかと思うが、聡一郎にそういう性癖があるとなると困ってしまう。


「確かに印象深かったですけど、惚れた理由は、単純に顔が好みだったからです」


 梓の心配をさらりと否定し、聡一郎はそう言った。


「え? それが理由?」


 何かしらのキッカケがあると思っていたのだが、普通すぎる理由に、梓は拍子抜けしてしまう。


「人を好きになる理由なんて、だいたいそんなものじゃないですか?」


 確かに、聡一郎の言う通りなのかも知れない。だが、何か特別なものを期待していたのか、少しがっかりしている自分がいる。


「それで、涼子に私を紹介しろと頼んだの?」


「そうです。機会を伺っていたのですが、すぐに新しい彼氏が出来たと言われ、なかなかタイミングが合いませんでした……」


 梓の声は多少沈んでいたが、聡一郎は気にするそぶりもなく話し続ける。


「やっとチャンスが巡ってきたと思ったら、もっと慎重に男を選ぶべきという話をしていたので、慌てて否定しました」


「え? ちょっと、待って……」


 もっと積極的に、たくさんの人と付き合うべきだと聡一郎は言っていた。梓のやり方は間違っていないと、肯定してくれたのが印象的だったのだが……。


「あの言葉って、自分が私と付き合いたいから言ってたわけ!?」


「そうです。結果、付き合えてラッキーでした」


「そんな、自分本位な意見だったの!? 私、感心しながら聞いていたのに!」


「あんなにうまくいくとは、思いませんでした。まあ、結果良ければ、全て良しと言うことで」


 あっけらかんと言う聡一郎の言葉に、梓は全身の力が抜けてしまう。そして、梓はお腹を抱えて笑い始めた。


「まさか、そんな下心満載で、あれほど真剣に話してたの!? あっはっはは――」


 梓はしばらく笑い転げていたが、それが収まると向かいに座っていた聡一郎ににじりよる。そして、座っている彼の足にまたがった。


「それで、私と付き合った感想は?」


 間近で聡一郎の顔を見ながら、梓は聞いた。


「答えの代わりに、ひとつ提案があります」


「なあに?」


 答えをはぐらかされた気がして、梓は怪訝そうに聞いた。


「梓さんの就職が決まったら、籍を入れませんか?」


「え?」


 これまた予想していなかった言葉に、梓は聡一郎の顔をまじまじと見返した。


「社会人になったら、梓さんは仕事人間になると思うんです。だから、すれ違いを避けるために、一緒に住んだほうがいいと思います。結婚にまつわる面倒なことは、学生の間にやった方が融通が効きますし。なにより、結婚指輪は男避けになるので、同僚などから口説かれる面倒が減るメリットがあります」


 彼が急に饒舌になったのは、もしかしたら照れているからかもしれない。梓はそんなことを思いつつ、聡一郎をまじまじと見つめた。彼は少し緊張した面持ちで、梓の返答を待っている。


「そうね。じゃあ、今週末にうちの両親に会いに行きましょう」


 次のデート先でも決めるかの様に、梓は気軽に言った。


「急ですね。というか、いいんですか?」


「きちんと言葉で聞きたいのであれば、あなたもちゃんと言って!」


 梓がそう言うと、聡一郎は姿勢を正して梓の瞳を見つめた。


「僕と結婚してください」


 梓は満面の笑みを浮かべると、返答の代わりに熱いキスを返した。


 その後、早々に就職を決めた梓は、坂祢 聡一郎と学生結婚をする。梓の行動に周囲は驚くが、それから彼女をビッチと呼ぶ者は減り、次第にその話題は忘れ去られていったのだった。

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