19.最悪な結末と、子供の頃の夢
蘇我田は、詠流のいる大学へと急いだ。これと言った策はないが、対面であれば、いくらでも詠流を丸め込めると考えていた。
やっと夏の暑さが落ち着き、遅い秋が訪れようとしている。秋晴れの日差しを受けながら、足早に大学の敷地内に入ると、前方に久美子の姿を発見した。
「久美子!!」
声をかけた蘇我田に気づくと、久美子は呑気に手を振ってきた。そんな彼女に駆け寄り、蘇我田は大声で怒鳴る。
「詠流に、余計なこと言いやがって!」
「な、なんのこと!?」
久美子は戸惑っていたが、蘇我田の怒りの理由を理解すると、彼女は弁解を始めた。
「だって、大ごとになっちゃったから、誰かに相談したくて……。内緒にしなきゃ、ダメだった?」
そんなことも分からないのかと、蘇我田の苛立ちは頂点に達した。
「お前と関わると、ろくなことがない! 足ばかり引っ張りやがって、このさげまんが!」
蘇我田の暴言に、さすがの久美子も憤る。
「ひどい! 私だって一生懸命……」
「お前が、何の役に立つって言うんだ!」
もはや何も考えずに、蘇我田は久美子を罵倒する。
「何の才能もないくせに、見栄ばかり張りやがって。有力者に媚を売りまくる、お前のような女が一番ムカつくんだ!」
久美子の目が見開いて、蘇我田の顔を見た。そして、驚きと悲しみが混在した表情が消えると、その瞳に軽蔑の色が宿る。
彼女は、ひとつため息をつきながら言った。
「八つ当たりは、やめてよね……」
それは、普段の久美子からは想像できない、冷ややかな声だった。
「全部、あなたがまいた種でしょ。あなたの強引なやり方に、みんながついて来れなくなったんじゃない」
「何だと!?」
「ちょっと優しくしたら、つけあがっちゃってさ。実際に付き合ってみたら、こんな自己中の、勘違い野郎だったなんて……」
久美子の態度の急変に、さすがの蘇我田もたじろいた。そして、彼女の言葉が、的確に蘇我田の急所をえぐる。
「ゆかりちゃんにフラれた腹いせに、和馬くんを追い出さなければ、こんなことにはならなかったんじゃない? ほんと、器の小さい男……」
その言葉に、蘇我田はキレた。湧き上がる怒りをそのままに、久美子の顔に向けて、手の甲を思い切り振り払う。
ごっという鈍い音と共に、彼女は軽い悲鳴をあげた。
「ひっ、信じられない……」
彼女の鼻から、血が滴り落ちていた。両手で抑えようとするが、手のひらからこぼれた血が、彼女の白い服を赤く染めてゆく。
手応えはたいしたことがなかったが、打ちどころが悪かったのだろう。彼女の服が鮮血だらけになるのを見て、蘇我田は慌てて声をかけた。
「お、おい。大丈夫か!?」
蘇我田が近づこうとすると、久美子は恐怖に引きつった表情で後ずさる。
「いや! 近寄らないで! 誰か、助けて!!」
「ま、待て……」
「殴られた! これは犯罪よ!! 誰か!!」
久美子は錯乱したかの様に、金切り声で叫んだ。人通りは少ないが、その声に気付いた人々が、こちらの様子をうかがっている。
「どうしたんだ?」
「変質者!?」
通行人たちが集まり、遠巻きに蘇我田たちを取り囲み始めた。さらに、警備員らしい制服の男が、こちらに駆け寄ってくるのが見える。
蘇我田は怒りで熱くなった身体が、急速に冷めてゆくのを感じた。何か弁解しようにも、女性に暴力を振るった事実は変わらないのだ。この場を切り抜ける方法が、何も思い浮かばない。
蘇我田は久美子との距離を取ると、その場から全速力で走り出した。遠くで久美子が叫んでいるが、蘇我田にそれを聞き取る余裕はなかった。
蘇我田は懸命に走りながら、自分の置かれた現状を考えていた。
これは、事件になるのだろうか?
血が出たと言っても、しょせんは鼻血だ。大した怪我ではないと思いつつも、血で染まった彼女の服が、脳裏から離れない。
俺は、犯罪者になるのか?
女性に暴力を振るった事実は、変えようがない。実際に逮捕されるかどうかは、被害者である久美子の訴え次第になるだろう。
逮捕されたら、どんな事態が待っているのか?
蘇我田には、ベルテックス創始者としての知名度がある。本来なら大したことがない事件でも、ニュースに取り上げられる可能性があるだろう。取材で自慢げに答えている映像が、犯罪者の姿として世に流れてしまうかもしれない。
そうなった時、ベルテックスはどうなるのか?
蘇我田を運営から外せという意見が、大勢を占めるだろう。辞めないと言ったところで、世間がそれを許さないかもしれない。
自分の将来は、どうなってしまうのだろうか?
この状況で、明るい未来を見通せるはずもなかった。
息を切らしながら蘇我田が大通りに出ると、遠くに和馬とゆかりの姿を発見した。蘇我田は咄嗟に、路上に駐車されていたバンの後ろに身を隠す。
仲良く並んで歩くふたりに嫉妬を感じつつも、今彼らに会うわけにはいかない。
車にへばりつきながら、窓越しに和馬たちをのぞき見る。まだ距離があったので、彼らはこちらに気付いていない。蘇我田は彼らの死角になる様に、車の後ろから車道に向かって走り出した。
前を向いた瞬間、蘇我田の前方に黒い影が現れた。
気づくと、世界が回っていた。
正しくは、蘇我田が回転しながら、宙を舞っているのだ。
バンの影から突然飛び出した蘇我田を、向かってきた対向車に避ける術はなかった。蘇我田は衝撃と共に大きく吹き飛ばされ、スローモーションで回る世界を、不思議な感覚で見ていた。
アスファルトの地面、雲ひとつない青空、自分を突き飛ばした黒いSUV、等間隔で植えられた街路樹が、ゆっくりと目の前を通り過ぎてゆく。
俺が死んだら、どうなるだろう?
圧縮された時の中で、蘇我田はそんなことを考えていた。
詠流ひとりで、ベルテックスを維持、発展させることができるだろうか?
俺がいなければ、和馬はベルテックスに戻ってきてくれるだろうか?
こんな俺が死んでも、ゆかりは泣いてくれるだろうか?
蘇我田の体が、強く地面に叩きつけられた。そして、痛いと感じる間もなく、蘇我田の視界が黒く染まってゆく。と同時に、背筋が凍るほどの絶望が体を駆け巡った。
そして、蘇我田の意識は、完全に闇の中に沈んだ。
これが、蘇我田がこの白い部屋に来るまでの顛末である。
花蓮を殴った後、彼女から引きずり離された蘇我田は、放心した様に動かなかった。地面に横たわったまま、何もない天井を見続けている。
蘇我田の周囲に人影はなく、時折通りすがる人間からは、蔑んだ視線が向けられていた。珠を譲ってもらうことが前提のこのルールにおいて、もう蘇我田が選ばれることはあり得ない。誰もが、そう思っていることだろう。
自分は何を間違えたのか?
蘇我田はぼんやりと、そんなことを考え続けていた。
童貞を捨てたくて、久美子を抱こうとしたのが過ちだったのか?
和馬に嫉妬し、運営から追い出したのが失敗だったのか?
いつの間にか、本気でゆかりに恋をしたのが不幸だったのか?
詠流と出会い、ベルテックスを作る夢など、見るべきではなかったのか?
自分をバカにする人間を、見返したい。もっと、自分を称賛して欲しい。心の奥底で、蘇我田はずっとそう思い続けていた。
なぜ、自分はそんな考えに、囚われてしまったのか?
蘇我田の意識は幼い頃までさかのぼり、ひとつの記憶に行き当たる。
保育園に通っていた幼い日、蘇我田は戦隊ヒーローが大好きだった。
原色カラーに身を包んだ、5人のヒーローたち。彼らは毎年入れ替わるのだが、蘇我田は何であろうとレッドが好きだった。リーダーとして仲間たちを引っ張ってゆく、真の主人公に憧れていた。
「俺は、レッドみたいなヒーローになる!」
蘇我田はそう願っていたが、現実はそうならなかった。
友達と戦隊ごっこをしようにも、仲良しグループに蘇我田が入る隙はなかった。かといって、自分で仲間を集めようにも、彼の元には友達が集まらない。
敵役になる代わりに、交代でヒーローにして欲しいと頼んだこともある。しかし、回ってくる役は、良くてピンクかイエローだった。運動が苦手な蘇我田は、友達から舐められていたのかもしれない。
さらに、蘇我田は主張が激しく、友達と折り合いをつけるのが下手だった。それを自覚し、成長に合わせて調整していけばよかったのだが、蘇我田は自分をレッドにしてくれない友達を憎んだ。
そして、そんな態度が、蘇我田の孤立を深めるのだった。
蘇我田の鬱屈した劣等感を救ったのは、勉強だった。学年が上がるにつれて、勉強ができる蘇我田は、一目置かれる様になる。
勉強であれば、今まで自分を見下してきた連中を、見返すことができる。現代においては、学歴こそが重要で、それにより収入や地位が決まってくるのだ。蘇我田は、それが自分を認めさせる手段だと考えた。
そうして、いつの間にか、目的と手段が入れ替わっていたのかもしれない。
「俺は、ヒーローになりたかったんだ……」
そうつぶやいた蘇我田の瞳から、一筋の涙がこぼれた。
今更ながら思い出す。子供の頃の夢見た、本当の夢を。
今の自分は、まるで小物のゲス野郎だ。のし上がるために手段を選ばず、女性に暴力を振るい、挙句の果てに勝手に死んだ。
蘇我田の人生はあまりにも惨めで、後悔に溢れている。
「このままじゃ、終われない……」
蘇我田の言葉は、誰にも聞かれること無く、そのまま宙にかき消えた。




