05.1/127
相ケ瀬 結衣香は少年の言葉の意味を、理解できないでいた。まるで、出来の悪い手品を見せられた気分だった。
「みんな、同じ?」
自分もすでに、ゾンビの様な存在だというのだろうか?
呆然としていると、すぐ隣から『ぶちん』という、奇妙な音が聞こえてきた。何かと思い、そちらを向いて、結衣香は小さな悲鳴をあげる。
都築が手首から、大量の血を滴らせていた。
先ほど聞いた音が、彼が自ら手を食いちぎったものだと知り、背中に悪寒が走る。自分の両腕を抱き寄せ、身震いしながら文句を言おうとしたその瞬間、それが始まった。
都築の腕から滴った血が、ゆっくりと重力に逆らい、傷口に向かって這い上っていく。
噛み切った時に飛び散った血も、宙を漂い傷に吸い込まれてゆく。まるで、逆再生の動画を見ているかのようだ。
そして、少年の時と同じように、傷は跡形も無く消えてしまう。白昼夢を見ているかのような、現実感の無い光景だった。
「痛みは、きちんと感じる。でも、傷が癒えてしまえば、嘘みたいだ……」
自傷を試みた都築本人も、事実を受け入れられないといった様子だった。
結衣香は都築に近づき、恐る恐る傷があった場所を凝視する。しかし、どこから血が出ていたのか、もう全く分からなかった。
ふたりは困惑しながら目を合わせるが、結衣香は思い出したかのように、頬をふくらませて抗議した。
「試すにしても、他にやり方があるでしょう!」
都築と同じように、この異常な現象を試した人がいるようだ。周囲から、悲鳴のような驚きの声が聞こえて来る。
そして、状況を認識した人々は、少年の次の言葉を、固唾を飲んで待っていた。
「それでは、話を続けましょう」
少年は満足そうに、うなずきながら言った。
「皆さん、自分のポケットなどを確認してみてください。どこかに、小さな輝く珠があるはずです」
結衣香の制服の胸ポケットにも、小さな輝く珠が入っていた。都築とみことも、全く同じものを持っている様だ。結衣香は厳かに輝く珠を、光に透かす様に掲げて眺める。
「すごい綺麗」
思わず見惚れてしまう美しさだった。
少年の説明が続く。
「全員が、必ずひとつ持っているはずです。そして……」
彼は一呼吸置いた後、ひときわ大きな声で宣言する。
「この珠を100個集めた人は、生き返ることが出来ます」
全員がぽかんとして、その言葉の意味を図りかねていた。少年は人々の理解をうながすために、少し間を置いてから、その意味を補足する。
「ここにいる127人の中で、ただひとり。唯一、ひとりだけが、元の世界に戻れるということです」
理解できない事態が続く中、もたらされたひとつの希望は、さらなる混乱を招いた。
全員を差し置いて、自分だけが生き返る。そんなことを言われても、何をどうしたら良いか分からない。
「期間は7日間。168時間が経過したその瞬間までに、珠を100個集めてください」
少年の説明に、人々は戸惑うだけで反応は薄いが……。
「集められなかった人間がどうなるかは、想像にお任せします。天国に行くのか、地獄に落とされるのか、あるいは無に還るのか……。後悔のないように、選択することをお勧めします」
少年のこの一言で、周囲の空気が変わり始めた。信仰の無い者でも、地獄には根源的な恐怖を感じるらしい。人々のつぶやきが、徐々に熱を帯びたものになっていく。
「地獄って本当にあるの?」
「この空間が死後の世界というなら、存在してもおかしくないんじゃないか?」
「生き返るて、どうやって?」
「重症だった人が生き返ったら、またすぐに死ぬことにならないの?」
「病気が奇跡的に治った話って、珠を集めた人なのかな?」
「事故死の場合は? ちゃんと五体満足で、生き返るんでしょうね?」
「そもそも、この人数からひとりだけって少なすぎない?」
「死にたい人間なんていないんだから、選べるはず無いじゃないか!」
疑問と不満と不安が混じり合い、その集団意識の矛先が、徐々に少年へと向けられる。
人々の不満の声が爆発する直前、少年は右手を突き出して、冷ややかに釘を刺した。
「私をリンチにかけても問題ありませんが、迷惑行為が目に余るようであれば、罰を与えます。言動には、注意してください」
その忠告は、まさに少年につかみかかろうとしていた者たちを、思いとどまらせた。
しかし、全体の勢いは止まらない。少年をきっちり2メートルほど離れて取り囲み、人々は口々に不満をわめき始めた。
「生き返らせる人数を、増やす事は出来ないの?」
「家族が待っているんだ。そういう人間を優先してくれよ!」
「私、警察に捕まったことなんて無いし、地獄になんて落ちないわよね?」
それぞれが言いたい事をまくしたてるが、少年は目を閉じ、涼しい顔で受け流している。
命の結晶というべき珠を、100個集めると生き返ることができる。結衣香は、自分がそれを成し遂げるイメージを持てないでいた。
そもそも、どうすれば譲ってもらえるというのだろうか? 生への執着はもちろんあるが、それは他の人も同じだろう。
そして、自分の珠を人に譲る、という選択にも抵抗があった。
どうすれば、いいのだろうか?
結衣香が都築をチラリと見ると、彼は眉間にしわを寄せながら、少年を取り囲む人々を観察していた。その表情は、少し憂いを秘めているようにも感じる。
彼が何を考えているか知りたかったが、結衣香はそれを素直に聞くことが出来ずにいた。