01.白い隔離施設
蘇我田 真司は大の字で寝そべりながら、真っ白な天井を見つめていた。
純白でシミひとつないこの部屋は、あまりにも無機質で温もりがない。何もない部屋に閉じ込められると、人は72時間で精神が崩壊するという。そんな人体実験が行われるのにぴったりな部屋だと、蘇我田は思った。
ここにいる人々が発狂しないのは、孤独ではないからだろう。しかし、全員が生き残るためのライバルで、にこやかに談笑するような間柄でもない。それなのに馴れ合っているやつらを見ると、蘇我田は無性に腹が立った。
ここは病棟で全員が精神を病んでいて、隔離されているのではないか。ふと思いついた妄想に、かなりのリアリティを感じてしまう。
冗談じゃない!
たとえ、他の奴らが狂っていたとしても、自分だけは正常だ。この部屋から出るのにふさわしいのは、他の誰でもない。
生き残るべきは、この俺だ!
蘇我田は寝転んだまま天井に手を伸ばし、何かを掴み取ろうとするかのように、その手を強く握り込んだ。
この部屋に来て、4日目の朝を迎えた。
状況に大きな変化はなく、珠を集めるための新しい手段を、誰もが思いつかないでいる。そんな膠着状態が、人々に穏やかな時間をもたらしていた。
梓の淫らな交渉事が途切れているのも、周囲が落ち着いている一因かもしれない。彼女の周りに男が取り巻く状況は変わらないが、そのほとんどが交渉済みなのだろう。
騒がしいといえば、蘇我田の演説が聞こえてくることくらいだ。それでも、情事の声が聞こえて来るよりはるかにましだ。
「気づくと、もう折り返しか。なんか、自分が死んでるなんて、忘れちゃいそう……」
都築の隣で、結衣香がしみじみとそう言った。
のんびりとした空気が漂っているが、タイムリミットは確実に近づきつつある。これから起こる事態を想像し、都築は気が重くなった。
しかし、結衣香の不安を煽るつもりはないので、それを言葉には出さない。
「それで、良いんだよ。張り詰めていても、疲れるだけだしね」
都築の意見に結衣香はうなずくが、何とも言えないもどかしさを、感じているようだった。
「それにしても、残された時間で何をするかって、なかなか難しいしな……」
結衣香は、男たちの物色をもうやめたらしい。もういい男はいないと、諦めてしまったのだろうか?
しかし、彼女の表情に悲観的なものはない。むしろ、何か吹っ切れたような印象すら感じる。
とりあえず、結衣香が危険に巻き込まれる可能性は減っただろう。都築は、それをいい変化だと思うことにした。
都築たちのすぐ近くで、幼い子どもが笑いながら駆け回っている。
子どもたちは飴を持っていたパーカーの男、太一のもとに集まっていた。お菓子をあげた事で、彼は子どもから絶大な支持を得たようだ。
「たいち! たかいたかいして〜。もう1回だけ!」
「ふざけんな! さっきも、1回だけって言ってたろ!」
うんざりした顔をしながらも、結局は律儀に付き合うのだから、彼も人がいい。
チョコを持っていたショートカットの女性も、保育士のように子どもたちと接している。彼の周りは、まるで幼稚園かのようだった。
そんな子どもたちの様子を、結衣香は微笑みながら眺めている。
「みんな、元気だね!」
子どもたちは、どこまでも無邪気だ。見知らぬ子ともすぐさま仲良くなり、遊ぶ道具もないのに、楽しそうに部屋中を駆け回っている。
「あの奔放さには、正直救われるよ」
都築は、結衣香にしみじみとそう返した。
全ての人間がそうではないだろうが、子どもたちの笑顔を見ていると、どんな不安も和らぐ気がする。特に高齢の人ほど、目を細めながら子どもたちの様子を眺めていた。
「あの子たちは、今の状況がわかってないのかな?」
悩みのない人間が、羨ましい。結衣香の言葉には、そんな意味が含まれている気がする。
「なんとなく理解していたとしても、ああなんじゃないかな?」
都築がそう言うと、結衣香は嬉しそうに同意する。
「うん。そうかもね」
子どもたちの感受性を、侮ってはならない。そして、彼らは自分たちにできることを、精一杯やっているのだから、その行動は圧倒的に正しい。
しかし、子どもたちも1/127の中にカウントされている。珠の奪い合いから、決して逃れることはできないだろう。
前向きな発言をしながらも、都築は思考がネガティブになっていくのを感じていた。
部屋の隅で座っているみことに、結衣香が手を振りながら声をかけた。
「みことちゃん! みんなと一緒に、遊ぼうよ!」
しかし、みことは無表情のまま首を横に振る。何を誘っても、少女はずっと壁際で無関心を貫いていた。
そんなみことを、結衣香はずっと気に病んでいるようだ。少女の元へ行き、努めて明るい声で、もう一度誘いかける。
「何かやりたいことない?」
みことは虚に視線を漂わせると、ぽつりと結衣香に向かってつぶやいた。
「早く、終わりにしてほしい……」
その主語がわからず、結衣香は問い返す。
「え? 何を?」
みことは無表情のまま、それに応える。
「ここのこと。もう、終わりにしたい……」
それは当然、この白い部屋での生活を指している。その否定は、早く消えてなくなりたいと言っているのと同義だ。
結衣香はなんと答えたらいいかわからず、曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
みことから少し離れた場で、結衣香は沈痛な表情でつぶやいた。
「みことちゃんは、死にたいと思ってるのかな……」
みことの反応に、結衣香はかなりショックを受けているようだった。
「あの子が、何らかの絶望を抱えているのは間違いないと思う」
都築は、冷静にそう答える。
「だからといって、本当に死にたいと思っているとは限らない。いろんな感情に翻弄されて、自分の本当の感情が、わからなくなっているのかもしれない」
都築の言葉に、結衣香は眉をひそめた。
「なんか、みことちゃんのこと、よく知っているみたいに言うね……」
結衣香の指摘通り、全てをわかったつもりで語るのは危険かもしれない。それでも、みことの瞳を見ていると、都築は昔の自分を重ね合わせてしまうのだった。
都築は、自嘲の笑みを浮かべて言った。
「少しきつい言葉になるけど……辛気臭い顔をされるとイラつくんだよね。たぶん、同族嫌悪みたいなものかな」
思いがけない言葉に、結衣香は目を丸くする。
「それって……」
結衣香が問いかけようとしたその時、みことに近づく人影があった。ふたりは様子をうかがうため、目配せしながらみことのもとに向かう。
「こんにちは」
みことに声をかけたのは、梓に対抗して体を売ると公言した、おかっぱ頭の女性だった。そのすぐ後ろには、彼女の交渉に応じた男性が立っている。
「急に声をかけてごめんなさい。これ、貴方にあげようと思って」
そう言うと、彼女は光り輝く珠を差し出した。
「ふたり分。私たちには、もう必要がないから」
そう言って、彼女は男の方を振り向いて微笑んだ。男性も、穏やかな表情でうなずいている。
あの出来事からは想像できないほど、ふたりは幸せそうな雰囲気を醸し出していた。その相思相愛ぶりに、様子を見ていた結衣香も目を丸くする。
ふたりの間に、本当の愛が芽生えたというのだろうか?
体を合わせるということは、手っ取り早くお互いを知る切っ掛けになるのかもしれない。そして、この特殊な状況が、吊り橋効果のような作用を生んだとは言えないだろうか。
それは、一時な錯覚の危険性があるかもしれない。しかし、それで幸せなら、悪いことなど何もないのかもしれない。
声をかけられたみことは、困惑した表情を浮かべていた。それは、都築が珠を譲った時と同じものだ。
「どうして、わたしに……」
みことのつぶやきに、その女性は少し考えながら答える。
「そうね……。私、あなたみたいな、きれいなストレートヘアが憧れだったの。理由は、そんなものかな」
後ろに控えていた男性も、続けて理由を話す。
「彼女が望む人なら誰でもいいと思ったけど、選ばれたのが君で良かった気がする。理由は……どんな大人になるか、見てみたいと感じたからかな」
その返答を聞いても、みことの困惑が消える事はなかった。返すべき言葉が見つからない少女に、女性は優しく微笑んだ。
「もし、本当にいらないと思ったら、他の人にあげてもいい。でも、私はあなたにあげたいと思ったの」
ふたりの視線が、まっすぐにみことの瞳を見据えている。その視線に耐えかねたように、みことは自分の珠を差し出した。
「ありがとう」
なぜか、珠をあげる側の女性が礼を言い、自分たちの珠を少女のてのひらに置いた。少女の掌で融合した珠が、穏やかな光を放つ。
その光景を見ていた都築が、結衣香に向かってつぶやいた。
「受け取ったね」
「え?」
「珠を受け取った。本当にいらないなら、突き返せばいいのに」
「そうだね……。確かに、そうだね!」
みことの中にも、生きたいという想いがあるのではないか。都築の言葉に納得したのか、結衣香の表情が少し晴れたようだ。
「それにしても、みことは人気だな……」
この少女に、少しずつ珠が集まり始めている。梓の次に珠を持つのは、おそらくこの少女なのだ。
「他人事みたいに……。都築君が、最初に珠をあげたのがきっかけでしょ?」
みことは、最初に珠を手に入れた人間だ。それは、この部屋にいる全員が認識していた。今更ながら、それでみことへの注目度が上がっていたことに気づく。
「都築君てさ、自分は関係ないと思ってるかもしれないけど、かなり周りに影響を及ぼしてると思うよ? わりと、首を突っ込む方だし!」
結衣香の指摘に、都築は妙な気恥ずかしさを覚え、頭をかいた。




