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14.二軒隣の男の子

 西森 孝太郎と知り合ったのは、この街に引っ越してきた、その日のことだった。


 4月から小学2年生になる結衣香は、大きなトラックから、引越し業者が荷物を下ろしていく様を眺めていた。隣で妹の和葉が、自分の荷物はまだかなと、うれしそうにつぶやく。


「絶対、邪魔しちゃダメだからね」


 まだ幼いふたりが危ないことをしないよう、母が後ろで見守っている。


 結衣香は、完成したばかりのモダンな白壁の家を見上げた。今日から住むその家は、中に入ると新築特有の木の香りがする。父が家族のために建ててくれたその家を、結衣香はとても誇らしく感じた。



 大きな冷蔵庫が下ろされるのを見守っていると、結衣香と同じくらいの男の子が、こちらにやってくるのが見えた。母親らしき女性が、後ろに付き添っている。


 引っ越し業者のロゴマークが入ったトラックを発見し、少年は大きな声を張り上げた。


「ママ、引っ越ししてる!」


「ほんとね」


 その女性は、すぐに結衣香たちの存在に気付き、あわてて挨拶する。


「こんにちは。引っ越してこられたんですよね? 私、二軒隣に住んでいる西森です」


 母親たちが自己紹介の挨拶をしているその横で、男の子がまじまじと結衣香を見て言った。


「何だ。女かよ」


「こら、孝太郎!」


 孝太郎と呼ばれた少年は、失礼だと母親に後頭部を叩かれる。


「ごめんなさい。この子、引っ越して来るのが男の子だったら、一緒に遊ぼうと思ってたらしくて……」


 少年の母親は、結衣香にそう言って謝った。当時の結衣香は髪が短く、ズボンを履いていたので、遠目では男の子に見えたのかもしれない。


「ちゃんと挨拶しなさい」


「叩くなよ! 西森 孝太郎です!!」


 孝太郎は黒いジャージパンツと、スポーツブランドのロゴが入ったTシャツを着ていた。スポーツ刈りの活発そうな少年で、聞くと通う学校も学年も、結衣香と同じらしい。


「男だったら、秘密基地に招待してやろうと思ったのに……」


 孝太郎は、少し残念そうにそうつぶやいた。


「秘密基地!? なにそれ?」


 それは、子供たちにとって魅惑的な言葉だった。隣にいる和葉も、目を輝かせてこちらを見る。


 結衣香は、孝太郎に問いかける。


「どこにあるの?」


 結衣香の質問に、孝太郎は自慢げに答えた。


「俺ん家の庭だよ」


「……それって、秘密じゃないじゃん」


 結衣香が冷静に突っ込むと、孝太郎はよく分からない言い訳をする。


「ひ、秘密じゃなくても、ちゃんと秘密基地なんだよ!」


「なにそれ。言い方おかしいよ!」


 しばらく子供っぽい言い合いが続くと、孝太郎がもうめんどくさいと、憤慨して言った。


「そんなこと言うなら、見せてやるから来いよ!」


「見たい! 見たい!!」


「かずはもみる!」


 そんな流れで、まだ引っ越しの最中だというのに、結衣香は母たちと一緒に西森家を訪問した。


 親子3代で住んでいるという西森家は、古い屋根瓦の趣のある家だった。そこそこの広さの庭の奥に、グリーンのひとり用テントが張られている。


 孝太郎に招き入れられて、結衣香がテントに入ると、和葉まで強引に押し入って来た。まだ幼いとはいえ、3人も入ると流石に窮屈だ。


 テントの中には、漫画雑誌や戦隊ロボットのおもちゃ、どんぐりを詰めた瓶やクッションが置かれている。


 孝太郎はランタンをつけて天井につるし、クッションに寝転んで漫画を読み始めた。しかし、読むのはポーズだけで、結衣香たちの反応をうかがっている。


「3人も入ると、狭いよ! もうひとつクッションないの?」


 結衣香はそう言いつつも、その窮屈さが何だか楽しかった。こっそりお菓子を食べながら、ここでお気に入りの漫画を読む。そう考えるだけで、少し心が躍る。


 和葉もどんぐりの入った瓶を、物珍しそうに見つめている。そんな姉妹の様子を見て、孝太郎も満足そうだった。


「いい、秘密基地だろ!」


「そうだね」


 結衣香は素直に認めたが、意地悪そうにひと言付け加える。


「秘密じゃないけどね」




 それから、結衣香はよく孝太郎と遊ぶようになった。


 猫を追いかけて、他人の家の庭をこっそり通り抜けたり、珍しい遊具を求めて近所の公園を渡り歩いた。


 引っ越しで転校することになった結衣香は、友達と別れて少なからず寂しい思いを抱えていた。しかし、孝太郎と友達になったことで、そんな寂しさはいつの間にか忘れていた。


 少し幼い和葉は、しきりにふたりの後をついてこようとする。しかし、すぐに置いていかれそうになり、涙目で叫んだ。


「まって……おいてかないで!」


「もう! 家で待ってって、言ったじゃん!」


 結衣香は姉として、いつも和葉の面倒を見るように求められた。だから、そんな妹のことを少し鬱陶しいと思うこともある。自由に遊び回りたいという欲求が、妹に少し冷たい態度を取らせていた。


「お姉ちゃんと、一緒に遊びたいんだろ。もう少し、ゆっくり行こうぜ!」


 そんな結衣香を諭すように、孝太郎が和葉の元に駆け寄った。孝太郎はひとりっ子なので、妹のような存在が出来て、嬉しかったのかもしれない。


 妹に優しく接する孝太郎を見て、結衣香は自分の態度を少し恥じた。



 母親同士が仲良くなったこともあり、西森家とは家族ぐるみの付き合いになった。


 毎年、春は両家族で一緒にお花見をした。


 桜が咲き乱れる公園で、大きなレジャーシートを敷き、母の作った自慢のお弁当をみんなで食べる。


 その後は、バドミントンやフリスビー、大縄跳びなどで、ヘトヘトになるまで遊ぶ。疲れたら3人並んでシートに寝転び、日向ぼっこしながら昼寝をした。


 夏は、近所の神社のお祭りに行った。


 動き辛いので、結衣香はずっと浴衣を着るのを嫌がっていた。しかし、孝太郎が和葉の浴衣を褒めるのを聞き、小学4年生の時、初めて浴衣を着ることにした。


「どう?  浴衣」


「……まあ、似合うんじゃない」


 孝太郎に茶化されると思ったが、そんなことはなかった。下駄で普段よりも歩くのが遅い結衣香たちに、彼は文句も言わず付き添ってくれている。


 結衣香は慣れない浴衣が恥ずかしく、普段よりもおとなしくなっていた。


 ふと、孝太郎に視線を向けると、何故か目を逸らされてしまう。なんだか、彼も照れている様子だった。妹の和葉だけが、いつものようにはしゃいでいる。


 妹の髪が綺麗に結い上げられているのを見て、自分も少し髪を伸ばしてみようかと考えた。



 秋は通りかかった石焼き芋屋を、お小遣いを握りしめて追いかけた。


 500円もあれば、2〜3本買えると思っていたのだが、1本すら買えない事に驚く。がっかりしている子供たちに、焼き芋屋のおじさんが、おまけして一番小さな芋を売ってくれた。


 買った焼き芋は、秘密基地で分け合って食べた。正直、大した量ではないので、当然物足りない。


 しかし、いまだにあの時食べた焼き芋が、人生で一番美味しかったと感じている。



 冬に雪が積もった時は、3人で必ず雪だるまを作り、雪合戦をした。


 孝太郎が投げた球を結衣香がひらりとかわすと、和葉の顔面に大当たりした。大泣きする和葉に平謝りした孝太郎は、その後ゆるい球しか投げることができず、姉妹から一方的に雪玉を投げつけられることになる。


 それらの出来事は、結衣香にとって、幼い頃のかけがいのない思い出となっていた。




 中学生になると、さすがに小学校の頃のように遊ぶ機会は少なくなった。それでも、登校する時は一緒になるので、毎日のように顔を合わせていた。


「もっと、背が伸びねえかな……」


 バスケ部に入り、レギュラーを目指して練習に励んでいる孝太郎が、そうつぶやいた。


「毎日、牛乳飲むしかないんじゃない?」


「あれって、迷信らしいぜ?」


 出会った頃は同じぐらいの背丈だったのに、今では結衣香が少し見上げるほど、孝太郎の背は伸びていた。随分と成長したなと、結衣香はたまに会う親戚のような感想を抱く。


「レギュラーになれそうなの?」


「どうだろうな……」


 孝太郎は自信なさそうな返事をするが、結衣香は彼の真面目に努力する性格を知っていたので、きっとなれると信じていた。



 ある日、まかされた委員会の仕事で、結衣香は放課後の体育館に訪れた。そして、シュート練習をしているバスケ部員の中に、孝太郎を発見する。


 普段の雰囲気とは違い、真剣な表情で黙々と練習する姿に、結衣香は思わず見入ってしまう。


 ふと、かなり離れた距離にも関わらず、孝太郎が結衣香の視線に気づいた。彼は一瞬だけ笑顔で小さく手を振ると、他の部員に気づかれないよう、すぐさま練習を再開する。


 自分だけに送られ、自分だけが気づいた合図。


 突然、積み重なっていた孝太郎への想いが、ダムが決壊するかのごとく溢れ出す。


 この時初めて、孝太郎のことが好きだと結衣香は自覚した。


 結衣香は恋など意識したことがなく、孝太郎への好意も、家族や同性に向けられるそれと、見分けがつかないでいた。


 しかし、自覚してしまった孝太郎への想いは、付き合いが長い分、とても大きく深いものだった。


 孝太郎の、隣にいたい。


 手をつないで、一緒に歩きたい。


 抱きしめて、彼の名前をささやきたい。


 だが、今の関係が壊れてしまう可能性があると考えると、結衣香にその想いを告げる勇気はなかった。



 中学を卒業すると、孝太郎とは高校が別々になってしまう。


 すぐ近所に住んでいるはずなのに、顔を合わせるチャンスが激減してしまった。登校する時が会える最大のチャンスなので、できる限りタイミングが合うように、結衣香は密かな努力をする。


 上手くタイミングが合えば、結衣香が乗るバス停で別れるまで、お互いの近況を報告し合うのが習慣となっていた。ふたりだけのその時間が、結衣香にとって一番幸せな瞬間となっていた。


 学校が別々となったことで、孝太郎の交友関係が分からず不安になるが、彼が誰かと付き合う気配はない。


 何も言わなくても、お互いの好意が通じ合っているからだと、結衣香はそう信じていた。


 しかし、それは結衣香の一方的な願望でしかなかった。

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