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05.どれだけ人に出会えても

 都築はみことと、どのようにコミュニケーションを取ればよいか悩んでいた。


 ふたりで定位置となった壁際に座り、ただ時が過ぎるのを待っている。大きな波乱もなく、3日目も終わりが近づこうとしていた。


「普段は、どんなことして遊んでる? 何するのが、一番楽しい?」


 都築は、みことと何度目かの対話を試みた。


「……お絵かき」


 話しかけると答えてはくれるのだが、それ以上の反応は返ってこない。みことから話しかけてくることなど、本当に稀だった。


「どんな絵を描くの? マジックがあったから、それでお絵かきしようか?」


「……やらない」

 

 どんな遊びの誘いも、興味なさそうに断られてしまう。やめろと言われても遊び回るお年頃なのに、みことは一日中座ったまま、ひたすらじっとしているのだった。


 残された貴重な時間なのだから、もっと有意義に使って欲しい。都築はそう思うのだが、何を言ってもみことの反応は薄かった。


 みことの父親であれば、彼女と上手に遊べるのだろうか? 都築はそんなことを考えながら、聞いてみた。


「お父さんとは、どんなことして遊ぶの?」


 そこに、なにか対話の糸口があるかもしれないと考えたのだ。


 しかし……。


「パパ、いない」


 予想外の返答に、都築は言葉に詰まってしまう。


「そ、そうか……」


 とっさに、上手いフォローの言葉が出てこない。


 離婚か、死別か。それ以上は何も聞けず、確かめることはできなかった。


 会話を引き出すためとはいえ、少女のプライベートに踏み込んだことを、都築は少し後悔していた。


 そもそも、生前の人間関係を、聞くべきでないのかもしれない。誰の話をしても、もう会えない可能性が高いのだから……。


 みことの態度は人見知りではなく、何かが理由で心を閉ざしているように感じた。それは、都築にはどうしようもできないことなのかもしれない。


 それでも、何とかできないものかと、都築は思い悩むのだった。




 出かけていた結衣香が、疲れた様子で都築の隣に座った。


「あ〜あ。もう、いい男は残ってないな……」


 部屋中を探し回ったようだが、結局お眼鏡にかなう男はいなかったらしい。


「顔にこだわらなければ、意外に素敵な人がいるかもよ?」


 都築は無理して探す必要はないと思いつつも、そんなつまらない忠告をした。すると、結衣香は心外といった表情で、都築を見返した。


「私、そんなにイケメンにこだわってないよ!」


 しかし、彼女は言い終えてから、少し考え込むような表情になる。


「いや、ちょっと違うな……」


 彼女は真剣な顔で、考えをまとめるように言葉を続けた。


「やっぱり、顔が好みじゃないと、好きになるのは難しいかもしれない……。でも、顔だけじゃ物足りない。優しさや、頼り甲斐とかと同じぐらい大切で、みんな平等に重要視してるよ!」


 結衣香はそう言って、真っ直ぐな瞳を都築に向けてくる。


 欲張りという訳でもなく、本気で、余すことなく検討して、彼女は恋すべき男性を探しているのだ。都築は、その姿勢を誠実だとすら感じた。


「でもさ、一目惚れじゃないけどさ……」


 結衣香は目を細めながら、何かを思い出すかのように言う。


「好きになる人って、最初から何か感じるものがない? 容姿だけじゃなく、滲み出る雰囲気? 人間性? 話す前から、相性の良さが分かるというか……」


 そう言う結衣香の頬が、微かに赤みを帯びているように見えた。一体、誰のことを想って言った言葉なのだろうか?


 結衣香の意見に賛同しつつも、都築は自分の胸中に、複雑な感情が渦巻くのを感じていた。


 結衣香は照れ隠しでもするかのように、天を仰ぐ。


「一体、何人の中から選べば、本当に好きな人って見つかるのかな? 100人で足りなければ、千人? それとも、1万人?」


 結衣香の愚痴のような疑問に、都築は昔読んだひとつの記事を思い出した。


「人生で出会う人数は、約3万人という説があったかな」


「そうなの? あまりピンと来ないけど……」


「人生を80年として、1日にひとりと知り合う想定の話だけど……」


 出会える人は、3万人。

 近しい関係になるのが、3千人。

 仲良くなれるのが、300人。

 友だちになれるのが、30人。

 親友と呼べるのが、3人。


 という説だった。


 しかし、結衣香はその試算に、納得できない表情をしている。


「1年で、365人? ……そんなに出会うかな?」


「同性込みだし、出会っただけで印象が薄い人も含めてということかな。まあ、あくまで仮定だけど」


 これは、フェルミ推定と呼ばれる思考方法だ。単なる数遊びに過ぎないかもしれないが、都築はスマホの計算機アプリで、さらに細かい数字を出していく。


「仮に30までに結婚したとする。近しい関係になるのが1年で約37.5人とすると、1125人。そのうちの半分が異性で、適齢年齢が3割だと仮定すると、約168人」


「168人!? そこから選ぶって、結構少ない気が……」


 結衣香は提示された人数に驚きつつも、それをどの様に解釈すれば良いのか、いまいちピンとこないようだった。


 そして、困ったような笑顔で都築に言った。


「でも、本当に計算するとは思わなかった!」


「あくまで、数字遊びだよ」


 自分で言っておいて、都築もその数字には懐疑的だった。


「その中から、ひとりしか付き合わない人もいれば、20人、30人と交際する人もいるだろう。付き合う基準、好きになる確率は、本当に人それぞれだろうね」


 その言葉に、結衣香はジト目で都築をにらむ。


「他人はどうか知らないけど、私は運命のひとりと出会いたいの!」


 結衣香の純情な主張は、好ましいと思う。しかし、ひとりだけというのは、さすがにお姫様思考が過ぎると、都築は感じていた。


「大恋愛なんてしなくても、結婚して一緒に生活を続けられるのなら、幸せなことだと思うけど」


 しかし、その意見に結衣香は反発する。


「確かに、そうかもしれないよ。妥協で付き合い始めても、幸せになる人もいるかもしれない。でもそれは結果であって、最初から望むものじゃないでしょう!」


 結衣香は、都築に切実に訴える。


「過程や状況なんて関係なく、胸の中から湧き上がる、その人が好きっていう確かな感情。そう感じる人じゃないと、困るの!」


 都築は彼女の必死さと、困るという言葉の意味が気になった。しかし、それを問う間も無く、結衣香が都築に質問する。


「都築君だって、付き合うなら心の底からそう思える人が良いでしょう!?」


 誰もが、妥協して相手を選びたいなどとは思わない。そんな割り切りをするには、自分たちはまだ若く、可能性を信じているのだ。結衣香の言うことは当然だと、都築もそう思う。


 そして、結衣香が少し緊張した面持ちで聞いてきた。


「都築君は……そう思える人がいないの?」


 そう問われても、都築は思い浮かぶ顔は無い。異性と付き合うことへの関心が薄い、と言えば多少は聞こえはいいが、単に恋愛に臆病なのだ。


 少し考え込んでいる都築に、結衣香は重ねて問う。


「気になる子ぐらい、いたんじゃないの?」


 もちろん、好意を持った女性がいなかった訳ではない。しかし、将来のことを考えると、自分から積極的にアプローチをする気にはなれなかった。


「今は、いないかな……」


 都築はそんな曖昧な返答をしたが、結衣香はその答えでは満足してくれない。


「誰かと……付き合ったことはないの?」


 その質問に、都築は少し嫌な顔をした。


 それは、童貞かどうかを聞かれているのに等しい。お年頃関係なく、誰かにそんな質問をすべきではないと、本気で忠告しようかと考えた。


 しかし、結衣香は遠慮がちながらも、答えを待ち構えている。


 都築は気恥ずかしさを覚えつつも、この状況で見栄を張る意味も無いと思い、正直に白状することにした。


「無いよ」


 都築は出来る限りの冷静を装い、そう答える。


「そうなんだ……」


 そんな気も知らず、結衣香はなんだか嬉しそうに微笑んだ。しかし、都築の微妙な顔に気が付くと、すまなそうな顔をした。


「あのね……」


 結衣香はちょっと恥ずかしそうに、抱えた膝に頬を乗せながらつぶやく。


「言っておくけど、私もないからね……」


 突然の告白に、都築が驚いて結衣香の顔を見た。視線が一瞬交錯するが、お互いにどんな反応をすればよいか分からず、すぐさま視線を外してしまう。


 しばらく、気まずい沈黙が続く。



「じゃあさ、都築君の初恋の人はどんな人だったの?」


 結衣香は照れを誤魔化すかのように、少し早口でそうたずねてきた。答えにくい質問を、ぐいぐいと聞いてくると思いつつも、都築は素直に答えた。


「小さい頃は周りが大人ばっかりだったから、年上の人だったな」


 遠い目をしながら答える都築に、結衣香は身を乗り出して聞いた。


「定番の保育士さんとか?」


「いや、看護師さん」


「へ〜。なんかやらしい」


「初恋の話だぞ。人の思い出を何だと思ってるんだ!」


 眉間に皺を寄せながら、都築は結衣香に抗議する。結衣香はペロリと舌を出しつつ、話の先を促した。


「大人の女性が、好きなんだ?」


「歳は離れてたけど、大人っぽいって印象じゃなかったな。おっちょこちょいな人だったよ。でも、包容力みたいなものは、感じたかな……」


 都築は昔に想いを馳せていたが、こちらを見る結衣香の顔が、にやけていることに気付く。普通なら口にしないことを、ぺらぺらと喋りすぎた気がする。


「ふ〜ん。どんな人だろ? 見てみたいな!」


「他人の初恋相手なんか見て、どうするんだよ?」


「いいじゃん! 興味あるよ!」


 結衣香の野次馬根性に、流石に都築も呆れてしまう。


「今はどうしてるんだろうね?」


「結婚して、男の子を2人育ててるよ」


 結衣香は、それを知っている都築に驚いた。


「調べたんだ!?」


「病院で、たまに会うんだよ」


「会いに行ってるんじゃなくて?」


 結衣香が、意地悪そうに笑う。都築は自分の恋愛事情を追求されるのに、耐えられなくなってきた。


 都築は話をそらそうと、結衣香に話題を振る。


「そういう、君の初恋はどうなんだ? 相手は、どんな人?」


 その言葉に、楽しげだった結衣香の表情が硬直する。


 何かに思い悩んでいると感じていたが、まさに初恋が原因だったらしい。再び踏んでしまった地雷に、先程の反省が活かされていないと、都築は心の中で悔やんだ。


 そして、表情を失っている結衣香から目を逸らし、都築は何事もなかったように言葉を続ける。


「まあ、思い出は記憶に留めておいた方が、いいかもね……」


 都築はそう言って、話の流れを打ち切った。


「ごめん……」


 結衣香は小さくそう言うと、下を向いたまま黙り込んでしまう。






 結衣香は、自分の言動を後悔していた。


 相手に初恋の話を聞けば、自分に同じ質問をされても、なんら不思議はない……。浮かれて、余計なことを聞きすぎてしまったのだ。


 都築はすぐに察して、会話を切り上げてくれた。自分の反応が、それだけはっきりと顔に出ていたかと思うと、恥ずかしかった。


 それに、あれだけ質問しまくったのに、自分のことを聞かれたら口を閉ざすなど、ずるいことこの上ない。


 しかし、今でもそのことを考えると、自分の中にどす黒い感情が渦巻いてしまう。それを、隠さず都築に告白するには、まだ抵抗があった。


 結衣香は自分の初恋に、想いを馳せる。それは、家族と友人を巻き込んだ、彼女の葛藤の物語だった。

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