02.せいの重み
自分の体の中に、男のそれが吐き出されるのを感じた。相手の体がのしかかってきて、重くて身動きが取れない。荒い吐息と、様々な体液が混じり合った匂いで、抑えていた嫌悪感が再び蘇ってきた。
坂祢 梓は苛立ちを感じつつも、素敵だったと相手の耳元でささやいた。
3日目に入り取引を再開した梓だったが、2人と交渉が成立した時点で音を上げた。休憩を宣言して、壁際に体を下ろす。
男たちが遠巻きに自分を眺めているので、気が休まることはない。梓は自分の体を隠すように、ジャケットを羽織って目を閉じた。
男の欲望を受け止めるたび、体が重くなるような気がする。体の芯から溜まるそれは、単純な疲労というだけではない。相手から何か重たいものを、背負わされているような気分だった。
初日が9人、昨日が7人、そして今日が2人。現在集まった珠は、合計19個。
7日で100個だとすると、1日平均で14個は集めなければならない。どのようにすれば、そんなに集める事ができるのか? 改めて計算すると、これが無理筋のルールである気がしてならない。
それに、残る交渉相手の男も少なくなっていた。梓を取り巻く男の数は多いが、もう大半は交渉を終えており、まだ珠を持っている男は10人にも満たないだろう。彼ら以外の男たちにも営業をかけ、40には届かないにしても、できるだけ多くの珠を回収しておきたい。
梓は焦り、すぐにでも交渉を再開したいと思うのだが、体は鉛のように動かなかった。
しばらくすると、ひとりの女性がこちらにやって来た。
20歳ぐらいのその女性は、ボリュームのあるおかっぱ頭に、太い黒縁メガネをかけている。服装はグレーと白のボーダーシャツに黒いカーディガンを羽織っており、モノトーンでとても地味な印象だ。
彼女は緊張した面持ちで男たちの前に立ち、何かを言おうとしている。
「わ、私も募集するわ!」
彼女が何を言っているのかが分からず、男たちはぽかんとしている。彼女はもう一度、大きな声で言った。
「私も、珠をくれるならやらせてあげる!」
やっとその意味を理解して、男たちは苦笑いを浮かべた。若いとはいえ、顔立ち含めた女としての魅力は、梓と比べるべくもない。
「おいおい。誰か、やってやれよ!」
「むしろ、俺が珠を貰う方じゃね?」
そんな下品な笑いが、男たちからわき起こった。
彼女の顔がみるみる赤くなり、羞恥に歪んだ。梓の方を見て、悔しそうに唇を噛む。
「何よ! あんな、淫乱な女がいいわけ? わ、私、処女なんだから! それでも不満!?」
生への執着か、女としての対抗心か、彼女の主張はおかしな方向へと進む。
「あいつと違って、時間制限なんて無い。抱き放題なんだから!」
彼女も自分で何を言っているか、よく分かっていないのかもしれない。そんな彼女を見て、男たちは大爆笑している。
その状況に、彼女の顔は赤面を通り越して青ざめていった。両手でカーディガンの裾を握りしめ、彼女の肩が小さく震えている。そして、堪えきれずに、涙が頬を伝って流れていた。
その涙の訳は、見ている者には分からない。嘲笑する男たちへの憤怒なのか。または、錯乱した自分への羞恥なのか。それとも、もう死んでいることへの絶望なのか。
その時、輪の中からひとりの男性が立ち上がった。
その男は歩み寄ると、じっと彼女の顔を見つめている。彼の表情は真剣そのもので、彼女はその強い視線にたじろいでいた。
「な、なによ!」
少し間を置いて、男はポツリと彼女に言った。
「俺でもいいか?」
「え?」
「珠、君にあげてもいい」
自分で言い出したことなのに、実際に相手が現れると、彼女は激しく動揺し始めた。
「ほ、本気で言ってるの!? 私なんかより、美人の方がいいんじゃないの?」
どう対応すれば良いか分からないのか、そんなことを言う彼女に、男は真面目に聞いた。
「それは、君にも言えることだよ。俺なんかでいいか、考えてくれ……」
本当にするつもりがあるのか、彼女の意志が問われていた。
「物好きだな!」
「おいおい、処女好きなのか?」
周りから、下品なヤジが飛んだ。しかし、男は気にする様子もなく、じっと彼女の返答を待っている。
彼女は、まじまじと彼を見返す。男は20代後半で、白いシャツと黒のボトムといった、シンプルな服装だ。顔立ちは普通。美点は無いが、欠点らしきものも見当たらない。
彼女は長い葛藤の末、戸惑いながらも小さくうなずいた。
「ありがとう……」
男は、少しほっとした表情を見せる。そして、やさしく彼女の手を取った。
「い、いますぐ? ここで!?」
彼女は今更ながら、自分の提案したことのとんでもなさに、たじろいでいるようだった。完全に腰が引けてしまっている。
「いや。とりあえず、少し話さないか。静かなところに行こう」
そう言って、男は彼女の手を引いて歩き出した。彼女は少しホッとした表情で、戸惑いながらも先導する彼について行く。
カップル成立といったていで、周囲の男たちから冷やかしの声が浴びせられた。急に恥ずかしくなったのか、彼女は赤面を隠すように下を向いて去ってゆく。
そんな彼女たちの後ろ姿を、梓は壁際に座ったまま、怒りの形相で見つめていた。
柚浅 みことは、部屋の隅で膝を抱えて座っていた。
結衣香や都築に誘われて、たまに部屋の中を散歩することはある。しかし、その時以外は、膝を抱えた姿勢のまま、遠くをずっと眺めていた。
少し離れた先に、都築が立っているのが見える。彼は時折こちらを見ては、みことの安否を確認してくれている様だった。
しばらくすると、ひとりのおばあさんが、壁伝いにこちらにやって来る。都築もそれに気づいていたが、問題無いと判断したのか、戻って来る気配はない。
老婆はみことの前まで来ると、笑顔で声をかけてきた。
「暑くも寒くもなく、ここは過ごしやすい所ね」
みことは、小さくうなずいた。そんな素っ気ない反応に老婆は微笑み、みことの隣に腰を下ろす。
「お嬢ちゃん、何歳?」
7歳と、みことは小さく答える。
「じゃあ、もう小学生なのね……」
老婆はみことの顔をまじまじと見ると、目を細めて言った。
「私には娘がふたりいるのだけれど、孫のひとりが女の子で、来年小学生になるのよ!」
孫の顔を思い出したのか、老婆の顔がほころぶ。
「ランドセルは、何色にしたの? 今時は、いろんな色があるのねえ」
老婆はそう言って、一緒にランドセルを買いに行った思い出を語り始める。そして、しばらく雑談した後、無口なみことに顔を寄せてささやいた。
「じつはね、私お菓子持ってるの。あげるから、見えないように食べてね」
老婆はみことの手を取って、何かを握らせる。手を開いてみると、それはオブラートに包まれた、昔ながらのゼリー菓子だった。
そして、その包みと一緒に、輝く珠も渡されていたことに気づく。
みことは、怪訝な表情で老婆を見た。
「苦手って言う人もいるけど、私はこの杏味が好きなのよ」
老婆はそう言うと、もう一つの包みを取り出して、中身を素早く口の中に放り込んだ。口の中で、それをゆっくりと溶かして味わっている。
「これ……」
みことが珠を差し出すと、老婆がその手を珠ごと両手で握り込んだ。
「隠しておかなきゃだめよ。盗もうとする、怖い人がいるかもしれないから!」
みことは困った顔をするが、老婆に珠を返せない事を悟ると、諦めたようにそれをポケットに入れた。
「大事にしてね」
老婆は優しく微笑んでそう言うと、小さく手を振りながら去っていった。
残されたみことは、ただ困惑していた。
都築といい、先程の老婆といい、なぜ自分なんかに珠をくれるのだろうか?
「わたしは、このまま死んでもいいのに……」
みことは小さくそう言って、再び膝を抱えて遠くを見つめた。




