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01.恋を上書いて

 相ケあいがせ 結衣香ゆいかは横たわりながら、遠く離れた床と壁との地平を、ぼんやりと眺めていた。


 境界は溶けて、視界は白でおおわれている。虚無しか感じないその光景に現実味はなく、まるで怖くない悪夢を見ているかのような感覚だった。


 この部屋について、最初に都築と話したことを思い出す。


『実は、この部屋は宇宙船! 部屋の外は、もう宇宙! 地球はすでに滅んでいて、人が住める新しい星に向かってるのだった!』


 この部屋がノアの箱舟であるならば、つがいとしてのパートナーを探すことが大切のように思える。


 その方が、死んだと考えるよりもロマンがある。


 その方が、まだ未来に希望がある。


 しかし、そんな妄想に浸ってばかりはいられない……。



 新しい、恋をしたい。



 だから、この部屋にいる男性を見て回った。それは、まるでお洒落な小物を探しているかのような感覚だったかもしれない。しかし、そこにトキメキはなかった。


 そもそも、そんな間違った感覚で、恋愛対象を探す方がおかしいのだ。それは、自分でも十分わかっている……。


 それでも、この胸のモヤモヤを消し去りたい。恋という、情熱的な感情で上書きしてしまいたい。


 そうしなければ、終わりも、始まりも、きちんと受け入れることができないのだから。


 結衣香はそう思いながら、胸から湧き出る感情に身を焦がし、体を丸くしながら小さく悶えた。






 この部屋に来て、3日目が経過した。


 今日も蘇我田が懲りずに、人々に向かって演説を始めている。


 しかし、その様子は以前と様変わりしていた。居酒屋店長の佐々木を含めた数人が討論に加わり、それを聞いている観衆が、彼らの周りを取り囲んでいる。


 その議論の様子を、都筑つづき 浩輔こうすけは遠巻きに見守っていた。


「少なくとも、年齢で区切りは付けるべきだ! 生き返ってすぐおっ死ぬ老人を選ぶなど、費用対効果が悪すぎる!」


 蘇我田の発言は、相変わらず過激に聞こえる。しかし、誰もがその言葉を冷静に受け止めて、きちんとした議論に発展させようとしていた。


「それは、姥捨て山の発想だ」


「今も昔も、考えることは変わらないな……」


 男たちがため息をついたところで、話を聞いていた初老の男性が発言する。


「私は足切りされる側の人間ですけど、それも仕方ないと思ってますよ。この年まで生きられたし、なにより生き残るのであれば、幼い子どもの方がいいと思います」


 潔い意見に周囲はうなずくが、小林はまだ納得できない様子だった。


「だけど、今だからこそ、もう少し違った決め方はできませんか? これだけ時代が進んでいるのに、昔話と同じレベルだとは思いたくはない」


 小林のフワッとした意見に、蘇我田が苛立って怒鳴る。


「じゃあ、どうするんですか!? 具体案は?」


 何も答えられない小林を見て、蘇我田が吐き捨てるように言った。


「相変わらず、ノープランで話しますね! 黙って聞いてた方が、いいんじゃないですか?」


 ひるんでいる小林に、隣の男性からフォローが入る。


「まあまあ、気持ちは分かります。それに、何気ない発言から、いいアイデアが生まれるかもしれませんし……」


 自分の想いを察してもらえたからか、小林は嬉しそうに男の言葉にうなずいた。


 蘇我田は馴れ合いを嫌うかのように、舌打ちしつつ話を進める。


「もうひとつ、幼ければ良いというのも違うでしょう! 自分の意見を言えない子供の将来など、判断できるものじゃない。どんな素養があるか分からないのに選ぶというのは、ギャンブルでしかない!」


「そこは、無限の可能性があると言って欲しいけど……」


 先ほどの男性が苦笑しながらそう言うが、蘇我田は畳み掛けるように言う。


「やはり、ある程度才能を証明できて、将来性を兼ね備えた、15から35歳の中から選ぶのが妥当だ!」


 蘇我田の分かりやすい誘導に、周りは呆れ顔になる。


「だから、自分を選べって言うんだろ?」


「それは、分かったって……」


 蘇我田の主張が、自分に都合が良い結論ありきで語られているのは、誰の目にも明らかだった。周囲から冷ややかな視線を向けられても、蘇我田はめげずに続ける。


「もちろん、俺は有力候補だ。しかし、決して自分贔屓びいき では無い! 現実的に、そうであるべきだと言ってるんだ!」


 過激な正論も、意味のない主張も、結論が出ないまま活発な議論が続いていた。


「高学歴でも使えない人間を、俺は何人も知ってるぞ」


「学歴って、記憶力に偏りすぎた評価じゃないのかな?」


「重要なのは、社会に出て何をしたかだろ?」


「金が稼げれば偉いんですか? 社会的な貢献をしている人の方が、私は尊敬できる」


 議論する必要のない話や、何を言っているかよくわからない意見も出てきて、話がまとまる気配は一向にない。それでも、人々は熱心に語り合っている。


 蘇我田に反論するのは、もう自分の役目では無いのかもしれない。そう感じた都築は、しばらくしてその場を後にした。



 都築はそのまま部屋をぐるりと周り、人々の様子を観察しながら歩く。名前は知らないまでも、人々の顔もだいぶ覚えてきた。


 この部屋で初めて出会った人が多いはずだが、打ち解けた雰囲気で雑談する姿が多く見られる。ここでできることといえば、人とのコミュニケーションくらいなのだから、当然なのかもしれない。


 前方を見ると、壁際で結衣香が男性と楽しげに談笑しているのが見えた。


 相手は紺のカーディガンを着込んだ、30代くらいの落ち着いた雰囲気の男だった。少し中性的な顔立ちは、女性にもウケが良さそうだ。


 都築に気付いた結衣香は、微笑みながらこちらに手を振ってくる。都築は目配せしながらうなずいて、そのまま前を通り過ぎた。結衣香は少し怪訝な顔をしたが、すぐに男性との会話を再開する。


 ずいぶんと、素っ気ない態度だったろうか?


 軽く手を振るくらいすれば良かったのだが、それができなかった理由を、都築は考えないようにした。



 都築が渋い顔で歩き続けていると、前方から部屋をずっと歩いている老人がやって来た。どうやら、彼の歩くコース上を進んでいたようだ。


 老人と目があった都築は、道を開けつつ挨拶する。


「こんにちは」


 その老人は、ふうと一息ついて立ち止まり、都築に話しかけてきた。


「いや、すいませんね。同じところを、ぐるぐると」


 前々から老人の行動が気になっていた都築は、質問を投げてみる。


「なぜ、ずっと歩き続けているんですか?」


「ああ。見ている方は、不思議ですかね……」


 部屋をぐるりと眺めながら、その老人は静かに答えた。


「ここに来る前、私はずっと病院のベッドで寝たきりだったんですよ」


 悲壮感を感じさせない軽い口調だったが、その言葉には何とも言えない重みがあった。


「自分の足で歩くなんて、何年ぶりになるか。だからね、歩かないともったいなくて」


 都築は、すぐに返すべき言葉が見つからない。


「本当に、体が自由に動かせるというのは、素晴らしい……」


 老人の実感のこもった言葉に、都築は素直に賛同の言葉を返した。


「そう……ですね。わかります」


 老人は都築の顔をじっと見つめると、優しく微笑んだ。たったひと言交わしただけだが、何かを感じ取ったのかもしれない。


 軽く会釈して、老人はまた歩き出す。一歩一歩、自分の体が動くのを確認するかのような歩みだった。



 都築は老人を見送りながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 すると突然、背中をポンと叩かれる。


「ねえ! さっき、無視したでしょ? ひどいな!」


 結衣香がいつの間にかやって来て、先程の都築の態度に抗議した。

「無視はしてないだろ。邪魔したら悪いと思ってさ……」


 都築は、少し苦しい弁明をする。


「じゃま? 柊木さんのこと?」


 結衣香は機嫌を損ねている様子は無く、少し愉快そうに都築に言った。


「柊木さんはね、恋愛対象が男なんだって!」


 予想外の言葉に、都築は面食らって結衣香を見返す。


「都築君のこと、ステキって言ってたよ! 紹介して欲しいって言われたんだけど、どうする?」


 そう言うと、結衣香は意地悪そうに都築の顔をのぞき込む。


「丁重に……お断りしておいて」


  都築は、そう返すのが精一杯だった。


「ふふ。わかった!」


 結衣香は悪戯っぽい表情で、微笑む。


「いろいろな経験談聞けて、すごく面白かった!」


 よほど楽しかったのか、結衣香はとても満足そうだった。その話の内容が気になり、都築は質問する。


「どんな話?」


「教えて欲しい? でも、本人から聞いた方が面白いと思うよ?」


「概要だけいいから、教えてよ」


「え〜。どうしよっかな……」


 結衣香はじらすような態度を取るが、チラチラとこちらの様子をうかがってくる。


「実は、言いたくて仕方ないんだろ?」


「へへ、分かっちゃった?」


 都築の指摘に、結衣香は小さく舌を出して笑った。






 楽しげに話す都築たちを、遠くからひとりの男が見つめていた。


 いい男がいれば、すぐに乗り換える尻軽女。その男は、結衣香をそういう女だと思い込んでいた。


「イケメンとばかり話しやがって、あのクソ女が!」


 そして、自分は早々に切り捨てられた。結衣香に好意を感じていたからこそ、裏返った感情は憎しみとなっていく。


 前日に結衣香と話していたネットカフェの男は、暗く濁った瞳で、ずっと彼女のことをにらみ続けていた。

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