14.やつあたりな人生
清の極道物語は、大いに盛り上がっていた。
俊介と小林は、目を輝かせて彼の話に聞き入っている。
借金の追い立てから、女装して逃げようとした大男を、街中追いかけ回した話。
暴力的な旦那から逃げてきた人妻ホステスを、自分の家にかくまって誘惑された話。
偶然居合わせてしまった襲撃で、車の影にずっと隠れて、何も出来なかった情けない話。
頭の悪い話し方ではあるのだが、清の自分を上に立てない物言いは、聞いていて心地良いものがある。
横で聞きつつ、これもひとつの才能なのかもしれないと、輿田は感じていた。
同時に輿田も、その頃の記憶に想いを馳せる。
自分が逮捕された、立木組の襲撃事件。
それは、血湧き肉躍るような物語ではない。つまらない話と、くだらない結末があるだけだった……。
近藤から依頼された立木組の襲撃は、ターゲットの行動情報も伝えられていたので、あとは実行するだけだった。
清は付いてくる気らしいが、こんなことに付き合わせるつもりはない。当日は鉢合わないよう、彼にはそれらしい用事を言いつけていた。
襲撃の結果がどうであれ、しばらくは娑婆ともお別れだろう。今のうちにやりたいことを考えるのだが、何も思いつかない。改めて、自分の人生の貧しさに気付く。
ふと、通りかかったグラウンドから、少年たちの掛け声が聞こえてきた。地元の野球チームの練習だろうか。つたないながらも、小学生たちが懸命に汗を流している。輿田は足を止めて、しばらくその光景を眺めていた。
もし、自分が普通の人生を歩んでいたのなら、あのくらいの子供がいてもおかしくない。
結婚する機会は、あったのだと思う。しかし、ヤクザ家業しか知らない自分が、家庭を持つなど無理だと思い、最後の一歩を踏み出せなかった。
想いに耽っている間に練習は終わり、グラウンドから少年たちの姿は消えていた。輿田もその場を離れようと歩き出すと、野球道具を背負った中年の男とすれ違う。
「……桔平?」
横を通り過ぎた瞬間に、男がそうつぶやく。驚いて輿田は振りかえり、目の前の男に中学時代の相方の面影を見いだした。
「お前……ナリか?」
突然の再会に、お互いにかける言葉を見出せないまま、しばらく動けなかった。
古い雑居ビルにある、レトロな雰囲気の居酒屋は混み合っていた。
壁一面に貼られたお品書きは変色し、吊り下げられた赤ちょうちんは傷や汚れが目立つ。少し汚らしい印象だが、値段の割には味が良く、人気がある店らしい。
輿田と成田は、串焼きの盛り合わせをつまみに、冷えたビールを飲み交わしていた。
「それにしても、おまえ……」
輿田が面白いものを見る目で、成田を眺めた。
「頭を見るな! 腹に視線を移すな!」
ナリの生え際はおでこから大幅に後退し、体型はより丸みをおびていた。立派なオヤジになった成田を見て、自分も年老いたことを痛感する。
「あの時は、大変だったぜ。丸高の奴らが、何度も学校に押し寄せてきたからな……」
成田が当時を思い出しながら、ため息まじりにそう言った。輿田にとって、それは苦い思い出だ。
「みんな、俺を恨んでただろうな……」
「そんなことねえよ。むしろ、お前は被害者だろ!」
それでも、そのきっかけを作ったのは自分だと、輿田はずっと自責の念にかられていた。
「それに、丸高の番長がバイク事故で死んじまって、すぐにほとぼりが冷めたしな……」
輿田はすぐに組の保護下に入ったので、丸高との対立は避けられた。だからこそ組織から抜け出すことが出来ずに、ダラダラとここまで来てしまったのだが。
輿田はそんな話より、ナリの近況を聞きたかった。
「少年野球、面白いか?」
輿田がそう聞くと、成田は顔を輝かせて言った。
「面白えよ! 丁寧に教えれば良いって訳じゃねえから、もどかしくて仕方ないけどな……。でも、子供の成長はすごいぜ!」
ナリは建設会社に就職し、そこで知り合った女性と結婚したそうだ。今では、ふたりの男の子がいるらしい。
「息子を地元のチームに入ったら、監督がもう引退するって話でさ。代わりに、俺がやることになっちまってさ」
すぐに周りと打ち解けることが出来て、責任感が強い彼らしいと輿田は思う。
成田の振る舞いは昔のままで、ヤクザ者の自分とも気兼ねなく接してくれている。輿田には、それがとても有難かった。
他の部員たちがどうしているのか、ひと昔前のプロ野球についてなど、とりとめなく話していると、時間はあっという間に過ぎてゆく。
話は尽きないが、明日は平日ということもあり、ふたりは2時間ほどで店を出た。
タクシーを拾うために、輿田たちは夜の街を歩きながら話し続けた。成田の語る日常は、輿田にとっては得がたいものばかりだった。
「毎日が楽しそうで、羨ましいこった」
そんな言葉が、つい輿田の口からこぼれ出てしまう。
「面白おかしく、盛ってるだけさ。実際は、大変なことだらけさ……」
成田の言葉に、生活の苦労が少しだけにじみ出た。このご時世、家族を養っていくのは、どこも大変なのだろう。
それでも、かすかな羨望の思いが、輿田の中で渦巻いていた。
急に黙り込んだ輿田に向かって、成田が頭をかきながらボソリと言った。
「俺は……才能あふれる、お前が羨ましかった。お前となら、本気で甲子園を……」
その言葉のは小さくなり、最後は夜の喧騒に消えていく。輿田は何も答えず、ふたりは無言のまま歩き続けた。
「俺は、もう少し飲んでいくわ」
輿田はそう言って、拾ったタクシーを成田に譲る。
「すまんな。また、改めて飲もうな!」
ナリはそう言いながら、タクシーの後部座席に大きな体を押し込んだ。
「……そうだな」
輿田の微妙な反応に、成田は気付かない。
ドアが閉まり、手を振る成田がガラスの反射で見えなくなる。そのまま、タクシーは夜の街へ消えていった。
輿田は楽しい酒の余韻が、急激に冷めていくのを感じた。もう一度、こんなふうに友人と飲める日は来るのだろうか?
輿田はしばらくの間、寂れた繁華街の一角で、ひとりたたずんでいた。
その翌日が、襲撃の決行日だった。
小さなビルの関係者用通路を抜け道にすると、目立たずに、標的のマンション前に出ることができた。
立木組の幹部が、女と一緒にマンションから出てくる。ひとりでないのは誤算だが、ここまで来て引き下がるつもりはない。
輿田は相手のすぐ目の前まで、すんなりと接近することに成功した。無言で銃を向けると、女は悲鳴をあげながら逃げ出した。標的は恐怖で顔を引きつらせながら、その場に尻餅をつく。
「な、なんだお前は! や、やめろ!!」
外すことのない間合い――。
しかし、輿田の心は高揚するどころか、虚しさに満たされていた。
輿田にとって、標的も、抗争も、組織さえも、すべてがどうでもいい、取るに足らない事柄だった。そこに、命をやり取りするような価値など、あるはずがない。
「ばかばかしいにも、程がある……」
輿田がそうつぶやくと、相手が鬼の形相でこちらを睨んできた。そして、輿田はつまらなそうに、拳銃の引き金を引いた――。
住宅街に響く、銃撃音。
その銃弾は、ターゲットを無視して後ろのマンションの壁で弾け飛んだ。
そして、恐怖で頭を抱える標的を残して、輿田は素早くその場から立ち去った。
その後、輿田は東南アジアに高飛びを目論むが、ろくな準備もしていなかったので、翌日にあっさりと逮捕されてしまう。
裁判では人が住むマンションに向かっての発砲が危険視され、罪は軽くはならなかった。
その結果、7年もの貴重な時間を、刑務所の中で過ごすことになるのだった。
清の話が終わり、3人は感想を含めた雑談を始めていた。
ジャージのヤクザに、スーツのサラリーマンに小学生。なんとも奇妙な組み合わせだが、立場など気にせず、話は大いに盛り上がっている。
こいつも、とんだとばっちりだったな……。
そんな光景を見つめながら、輿田は清を道連れにしてしまったことを、申し訳なく感じていた。自分と一緒でなければ、彼が命を落とすこともなかっただろう。
昔の上司のことなど、放っておけば良かったのだ。しかし、出所した輿田を彼は律儀に迎えにきた。組に戻るつもりはないと言う輿田に、昔と同じように付き従ってきたのだ。
そして、逮捕前から少し変わってしまった街並みを眺めていたところを、突然後ろから襲撃された。
清から用心にと渡されていた銃も、手に取る暇がない、一瞬の出来事だった。
立木組の報復で間違いないだろうが、7年越しで仕返しを受けるなど、考えてもいなかった。
だが、標的だった幹部は組長となり、ずっと輿田のことを恨んでいるらしかった。清が銃を持ってきたのも、立木組のきな臭い噂を心配してのことだった。
襲撃の時の屈辱と、輿田の逸話が恐れとなり、報復という暴挙にでたのだろうか? あるいは、功を焦った部下の暴走なのかもしれない。
どちらにせよ、暴力に溺れた男の末路にふさわしいと言えば、その通りだと思った。
輿田はぼんやりと、極道映画の話題で盛り上がる3人を眺めながら、自分の人生をそう結論づける。
「本当に、くだらねえ人生だったな……」
輿田はおもむろに立ち上がると、少年に何かを差し出した。
「これ、やるよ」
何をもらえるのかと、俊介は嬉しそうに手を差し出した。しかし、渡されたのが、うっすらと輝く珠だと気付いて仰天する。
それを見て、清も慌てふためいて言った。
「何やってんすか!? まだ諦めるのは、早いっすよ!」
そんな清に、輿田は涼しい顔で言った。
「もう引退だ。お前も、俺にかまわず好きにしろ」
「そんな……」
清は諦めきれないといった顔で、すがるように輿田を見る。
「アニキは、もっと生きたいと思わないんすか?」
輿田は苦笑しながら、すっきりとした表情で答えた。
「俺はそれなりに生きた。現実に帰るにしても、いい加減な人生を送り過ぎたのさ」
輿田の言葉を、清はうつむきながら聞いている。
「本当に生き返ることができるなら、もっと真っ当な奴に任せた方がいい……」
輿田の決意の硬さ感じてか、清はしばらくの間、うなだれて動かなかった。
「しゃあないっすね! じゃあ、俺も好きにします!!」
突然、清はそう言うと、困惑している俊介の掌に自分の珠を置いた。触れ合った二つの珠は、ほのかに光り輝いて融合する。
「お前……」
輿田が驚いて清の顔を見ると、彼は少し照れ臭そうに言った。
「もともと、俺にヤクザなんて向いてなかったんすよ……。俺も、一緒に引退っす!」
この不器用な男が、なんの後ろ盾もなく極道の世界で生きるのは、さぞ大変だったことだろう。そして、すべてを諦めた自分は、彼の決断をどうこう言える立場にない。
だから、輿田が彼にかけられる言葉はひとつしかなかった。
「清!」
顔を上げた相棒に、輿田は優しく声をかけた。
「ありがとうな」
「……っす」
敬愛する上司にそう言われ、清はうつむき、必死に泣くのを耐えているようだった。そんなやりとりを、俊介と小林は少し寂しげに見ている。
「みんな、引退しちゃうんですね……」
小林もそう言ってうつむいていたが、顔をパッと上げて言った。
「じゃあ、私も!」
そう言って、小林も俊介の掌に自分の珠を乗せた。止める間もなく、その珠も重なり合って融合してしまう。
「なんで、お前が乗っかってくんだよ!」
感動の余韻を邪魔されたかのように、清が涙をぬぐいながら小林に食ってかかる。俊介は展開についていけず、ただ茫然としていた。
皆が怪訝な顔で小林を見ると、彼は胸を張って言う。
「一般人だからって、ちゃんとした人生を歩んでいるとは限らないんですよ!」
「偉そうに、なんてこと言うんだよ!」
清はそう突っ込みつつも、小林の言い分に怒る気が失せてしまったようだった。
「私も引退です。いや、引退させてください!」
「しらねえよ!」
輿田はことの成り行きに苦笑しながら、二人のやりとりを見て思った。
小林の人生とは、一体どんなものだったのだろう? あとで、聞いてみるのも面白いかもしれない。
戸惑っている俊介に、輿田が声をかける。
「馬鹿な大人からのプレゼントさ。いいからもらっとけ!」
清と小林も、それに同意した。
「そうだ、そうだ!」
「もう、戻せないですしね」
俊介は困惑していたが、少し恥ずかしそうにうなずく。
「全部、集められるかな……。無駄にしちゃったらごめんね」
そう言って、俊介は貰った珠に自分の珠を重ね合わせた。4つが融合した球は、より美しい光を放ち始める。その光景を見て、全員が嬉しそうに顔を合わせて笑うのだった。




