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12. 堪忍袋の緒は切れた

 5回の表。


 フォアボールから出塁していたランナーが、二塁へ盗塁を決めた。それを簡単に許してしまった成田が、悔しそうに顔を歪めている。


 続くバッターにもボールが先行し、苦しい展開が続いていた。ここぞとばかり、ヤンキーたちがわめいている。


「まともにストライクも取れへんのか!」


「才能無えから、辞めちまえ!」


 そんな言葉に続いて、ゲラゲラと笑い声が聞こえてきた。


 一体、何がそんなに面白いのだろうか?


 桔平の中に、今まで溜め込んでいた怒りが、マグマが吹き出るかのように込み上げてきた。


 それは、誰かに向けられたものでは無く、自分が置かれた状況に対しての腹立たしさだった。


「俺は、こんなところで終わらねえ!」


 煮え立つ怒りをそのままに、桔平は渾身のストレートを投げつけた。駆け引きなど無視して、力のままに球を投げ続ける。


 相変わらずボールが先行するが、打者は手を出すこともできず、見逃しの三振でワンアウトを奪った。


 桔平の力任せの投球に成田は驚いていたが、すぐに腹をくくったようだ。サインも出さず、球をそらさないことだけに集中してミットを構えている。


 続く打者からも三振を奪い、桔平の憤怒の投球は続く。次の打者も、簡単にツーストライクと追い込んだ。


 チームメイトの誰もが、この回もなんとか乗り切ることができる、と希望を感じ始めたその時――。


 桔平の投げたボールは、成田が構えたミットから左に大きくそれて、打者の太ももに突き刺さった。バッターは悶絶して、その場に崩れ落ちる。


 それを見て、柴谷たちが大爆笑し始めた。


「デッドボール!!!」


「いいぞ! 乱闘だあ!!」


 その後も、桔平の投球は定まらず、度重なるフォアボールにエラーも重なり、西中は一挙3点を失ったのだった。



 ベンチに、重苦しい空気が漂っていた。


 桔平はタオルで顔を隠して腰を下ろし、少しでも体力を回復しようと、呼吸を整えている。


 桔平の奮闘に応えようと、成田は必死でチームを鼓舞していた。


「ここが、勝負どころだからな! 相手投手も疲れてる。粘り続ければ、チャンスはあるぞ!」


 3点を失ったが、正直それでよく持ちこたえたといった印象だった。


 桔平はコントロールに苦しみながらも、決して甘い球は投げなかった。エラーにも文句を言わず、失点しても折れずに、何とか3つのアウトをもぎ取ったのだ。


「泥臭くいけよ!」


「何としてでも塁に出るぞ!」


 桔平の粘りに胸を打たれたのは、成田だけではなかったようだ。チームに今までの緊張した様子は消え、エースを助けられない不甲斐無さを恥じ、気合いの入った表情で声を出している。


「どんなヤジを飛ばされようが、知ったことか!」


「粘って、粘って、後ろにつなげろ!」


「あんな奴ら、喜ばせてたまるか!」


 そんなチームメイトを見て、桔平は疲れた体の芯から、力が滲み出て来るのを感じた。心の中の雑音が消え、失いかけていた気力が蘇る。


 こんな所で、終わるわけには行かない。桔平は立ち上がり、部員たちに訴えた。


「もう1点もやらん! だから、何としてでも点を取ってくれ!」


 桔平の想いに応え、ベンチに気合いの入った掛け声が響いた。






〇〇地区 中学校総合体育大会 第一回戦

東四中学校 対 崎谷西中学校


 試合が動いたのは5回表。フォアボールとデッドボールでランナーを貯めた東四中が、3点を先制。その裏、崎谷西中は初のヒットを出すものの、無得点に終わる。


 しかし、西中はそれ以降を粘り強く無失点に抑えると、7回裏に四安打で東四中から1点を取り返す。続く8回表で1点を失うものの、その裏ですぐさま1点を取り返す好ゲーム。


 最終回、西中はワンアウト、ランナー二三塁のピンチを迎えるものの、連続三振で最後の攻撃に希望を繋ぐ。


 しかし、その後はあえなく三者凡退。東四中学校が2回戦に進み、崎谷西中は予選敗退となった。






 試合から帰ってきた桔平は、玄関前に荷物を放り出し、そのまま目的もなく歩き始める。


 試合に負けた。


 自分の力を証明し、這い上がるチャンスはもうない。


 スポーツ推薦が取れないのであれば、普通に高校受験をする必要がある。しかし、それなりの強豪校に入るには、学力的にも金銭的にも、難しいと言わざるを得ない。


 ユニフォームも着替えずに、疲れた体を引きずりながら、住み慣れた町を彷徨い歩いた。最近は通らなくなった道を進み、昔遊んだ空き地や神社を見ると、懐かしさと同時に、どうしようもない寂しさが込み上げてくる。


 国道を横切り、古い住宅街の一角を歩いていると、見覚えのある人影を見つけて桔平は足を止めた。


 柴谷とパンチパーマが、何やら立ち話をしている。そういえば、柴谷の家はこの辺りにあったはずだ。


 関わりたくもないので、すぐに立ち去ろうとしたが、様子がおかしいのが気になった。パンチパーマが原付バイクにまたがりながら、柴谷を何やら問い詰めている。


「おいおい。いつまで待たせるつもりだ?」


「すいません。もう少し待てください。後輩が、使えないもんで……」


「知るかそんなもん!」


 パンチパーマが原チャリを降りて、柴谷に詰め寄る。


「そうだな……。先月分も合わせて、10万持ってこい。期日は1週間!」


「な!? 払えませんよ。そんな金!」


 そこまで聞けば、確認する必要もなかった。柴谷は、丸高の奴らにカモられているのだ。


 渡す金をかき集めるため、カツアゲにも手を染めたのだろう。そんな状況なのに、自分の虚栄心を満たそうと、彼らの威を借りていたのだ。


 そのやり方のどうしようもなさに、哀れという感情しか湧いてこない。


「お?」


 話を立ち聞きしていた桔平に、パンチパーマがこちらに気付いた。見られたくないところだったのか、柴谷はあからさまに狼狽している。


 パンチパーマは面白そうに、桔平に近寄ってきた。


「おい、おい! ユニフォーム姿で、何でこんな所にいるんだ? 負け犬くん!」


 その言葉に、桔平の表情がスッと消えた。やはり、無視して立ち去るべきだったと、深く後悔する。


「今日の試合、楽しかったぜ! 逆転勝ちするんじゃないかと、ハラハラしたわ!!」


 馴れ馴れしく、桔平の肩に手を乗せて顔を近づけて来る。


「まあ、だからこそ負けっぷりは痛快だったわ! 男のくせに、ボロボロ泣きやがってよぉ!!」


 桔平は表情を変えず、彼の目を見て呟いた。


「お前……」


「あ? なんか、文句あるんか?」


 パンチパーマが、笑顔を一転して凄んで来る。桔平は、少し眉をひそめながら言った。


「口が臭え」


 パンチパーマがその言葉を理解する前に、桔平の頭突きが彼の鼻筋にヒットした。彼は言葉にならない声を出しながら、後ろによろめく。


 吹き出した鼻血を抑えながら、こちらを睨みつけてきたその顔に、桔平が拳を叩き込んだ。それをもろに喰らったパンチパーマは、地面に大の字で倒れ込む。


「て、てめえ。俺を誰だと思って……ただで済むと……」


 桔平は無言のまま、呻くパンチパーマの顔を思いっきり蹴り上げた。力なく再び地面に倒れた彼を、桔平は容赦無く、何度も何度も蹴りを入れる。


 柴谷はその光景を、ただ息を飲んで見守っていた。


 あの強面のパンチパーマが、すすり泣きながら力なく突っ伏し、許しを乞うている。だが、桔平は興味無さそうに、何の反応も示さない。


 その彼を踏みつけていた足を下ろして、桔平は柴谷に向かって歩き始める。


 柴谷が後退りながら、茫然とつぶやいた。


「し、知らねえぞ……。お前、本当に殺されるぞ」


 その言葉を平然と無視して、桔平は言った。


「どうする?」


「な、なにがだよ?」


 質問の意図が分からず、柴谷は少し上ずった声でたずねた。


「俺が気に食わないんだろ? 直接来いよ」


 感情の感じられない桔平の態度に、柴谷は顔を恐怖で引きつらせた。もうすでに、反抗する気は失ってしまったようだ。


 柴谷は逃げようときびすを返すが、桔平が素早くその背中に蹴りを入れた。柴谷は勢いよくつんのめり、強かに体を地面に打ち付ける。


「立て!」


 桔平の冷ややかな命令に、柴谷はよろよろと立ち上がった。すでに、目には涙を浮かべている。


 そして、へつらいながら、すがるように桔平に言った。


「ゆ、許して……」


 その情けない姿に、桔平の怒りが頂点に達した。


「覚悟もなく、しゃしゃり出るんじゃねえよ! ボケが!!」


 桔平は柴谷の顔面に、渾身の右ストレートを打ち込んだ。






 桔平がパンチパーマを殴り倒した噂は、すぐに地域の不良たちに広まった。中学生に負けたとなっては、丸高のメンツが潰れると考えてか、桔平を必死に探し回っているらしい。西中周辺には、目の色を変えたヤンキーたちが押し寄せてきた。


 事態を聞きつけた、顧問の杉浦の対応は素早かった。まずは、桔平の母と連絡を取り、しばらくは身を隠すように説得する。


 その日の夕方には、不良たちが桔平の家に押し寄せてきた。投石でガラスを割るなどの騒ぎになるが、桔平の母は家を離れていて無事だった。


 桔平は家に帰っておらず、ふらりと学校の近所に現れたところを、成田に発見された。丸高のヤンキーたちに捕まりそうになるが、間一髪で杉浦の車で逃れることができた。


 そして、杉浦は悩んだ末に知人のツテを頼り、その地区のヤクザに桔平の保護を頼むことにした。


 野球好きの組長はそれを快諾し、桔平はそこに身を寄せることになるのだった。

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