↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【9/5完結】「煉獄のパールライト」哀しき死者たちのネクロスゲーム  作者: 志津川 雄治
2日目

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/95

10. 言葉の傷跡

 その日の練習が終わり、桔兵が疲れと空腹に耐えながら家のドアを開けると、母の鋭い悲鳴が聞こえてきた。何事かと居間に入ると、父の足元で母が頬を押さえて倒れていた。


「何してんねん!」


 父は帰ってきた桔兵を見て、舌打ちした。父の顔は赤く、かなり酒が回っているようだった。倒れた母の手には、金の入った封筒が握られていた。


「このお金は、今月の家賃なんよ。払わへんと、追い出されるわ!」


「うるさいわ! 金ないんやったら、体売ってでも稼いできいや!」


「ほ、ほんまに言うてるん?」


 あまりの言葉に、母の顔から血の気が引いた。父も言いすぎたかと一瞬黙ったが、母の持つ封筒に目が行くと、再び奪おうと手を伸ばした。


「やめえや!」


 桔兵が止めようと父の肩をつかむと、振り返りざまに左頬を思いっきり殴られた。とっさのことで踏ん張ることができず、よろめいて背中から床に倒れ込んだ。よく見ると、床にはテーブルから落ちて割れたコップや皿が飛び散っており、危うく大けがをするところだった。桔兵はその状況に青ざめ、怒りが一気に込み上げた。


「痛いやんけ! 怪我したらどないすんねん。大会、近いんやぞ!」


「知るか、ボケが!」


 父はそんな桔兵を、見下ろして吐き捨てた。そして、下卑た笑いを浮かべながら、続けて言った。


「お前、あれか。頑張って、プロになろうとか思とんのか?」


 意外な言葉に、桔兵は怪訝な顔で父を見上げた。


「やったらなんやねん?」


 父は、乾いた笑いを部屋中に響かせた。


「ムリ、無理やて! お前なんかが、プロになんてなれるわけない。不可能に決まっとるやろ! アホらしい!」


 その言葉に、桔兵の中で何かがキレた。笑っていた父の横顔を、思いっきりぶん殴る。父はよろめいて壁に激突し、怒りの声を張り上げた。


「痛いやんけ、ワレ!」


 そこから、親子で取っ組み合いの喧嘩になった。


「俺が、何のために努力してると思とんねん!」


 桔兵は、怒りを拳に込めて殴った。ハードな練習で鍛えられた肉体は、酔った父をすぐに圧倒し始めた。腹に、続けて顔にパンチを叩き込むと、父はうめきながら力なく尻もちをつく。


「っつ! 親を……殴るとは、この親不孝者が……」


 父は息を切らしながら、桔兵を見上げてつぶやいた。


「……ただで済むと、思とんのか?」


「あぁ!?」


 桔兵が殴りかかるように右拳をあげると、父は慌てて身を小さくし、顔をかばうように腕を突き出した。その手の隙間から、怯えた父の瞳がのぞいて見える。


 いつの間に、父はこんなに小さくなってしまったのだろうか。尻もちをついて丸くなる父を見下ろし、桔兵は怒りが急速にしぼんでいくのを感じた。


 振り上げていた拳を、桔兵は静かに下ろした。彼が何も言わず立ち尽くすのを見て、父は恐る恐る立ち上がり、逃げるように家を出ていった。


「母ちゃん。大丈夫か?」


 そう言って母に、濡らしたタオルを手渡した。


「ありがとな。あんたこそ、大丈夫?」


「鍛えてるからな」


 桔兵は、さらりと答えた。


「あ、あんた強うなったねえ……」


 息子の成長を実感したとしても、決して喜べるような出来事ではない。母の表情は感情がごちゃ混ぜで、微笑んでいるのか、泣いているのかよく分からなかった。


「あの人も、これで少しは懲りてくれたらええんやけど……」


 桔兵は何も言わず、立ち上がる母を支えた。父のやったことは許せないし、殴ったことを謝るつもりもない。それでも、明日になれば、またいつもの日常に戻る。桔兵はそう信じていた。


 しかし、それから父が、家に帰ってくることはなかった。




「その顔、どないしたん。まさか、柴谷の奴に!?」


 翌日、桔兵の腫れた顔を見て、成田が慌てて聞いてきた。


「ちゃうわ!  親父と……マジで取っ組み合いになったんや」


 深刻に受け取られないよう、桔兵は詳細を伏せて説明する。


「はは。マジか!」


 成田は思わず爆笑するが、すぐ真剣な表情になって聞いた。


「ほんまに、どこも痛めてへんよな? 変に隠したりすんなよ」


「ああ。大丈夫や」


 その日は、他の部員や杉浦にも顔の腫れを追及され、何度も同じ説明をするのが面倒だった。しかし、親子喧嘩など珍しくもないのか、あまり込み入ったことは聞かれなかった。


 放課後になり、桔兵は成田とキャッチボールで肩慣らしを始める。しばらくすると、また柴谷がグラウンドの片隅に現れて、ヤジを入れ始めた。


「今日もご苦労やのう。勉強できへん奴は、ボール追うぐらいしか能がないんやろうな!」


 今日は1年コンビはおらず、ひとりで来ているらしい。こちらは何の反応もしないのに、ダラダラと何かをわめいている。成田は小声で毒づいた。


「お前の方が、間違いのうアホやろ!」


 柴谷のヤジにも、随分慣れてきてしまった。遠巻きにわめくだけなので、部員たちも気にせず練習を続けていた。


「それにしても、あいつは何がしたいんやろうな?」


 柴谷が何をしたいのか、誰にも分からなかった。


「やっぱ、お前にかまってほしいんかな?」


 桔兵が柴谷と幼なじみと知ってか、成田はそんなことを言った。


「気色悪いこと言うな」


 桔兵の言い方は、この上なく冷たかった。しばらく考えていた成田が、ボソリとつぶやいた。


「それとも、羨ましいんかな。何かに熱中して、頑張ってる奴らがさ……」


 桔兵も同意見だったが、その言い方はもっと容赦がなかった。


「自分が底辺やってのは、あいつが一番ようわかってるやろ。同じとこまで落ちて来てほしいから、他人の足引っ張ってんのや。ええ迷惑やで!」


 そんな話をしながら練習を続けていると、いつの間にか柴谷は姿を消していた。


 その日以降、柴谷がヤジに来ることはなかった。部員たちは安堵していたが、桔兵だけは、これで終わるとは思っていなかった。




 練習が終わった桔兵は、20時過ぎに自宅に到着した。父がいなくなってから、怒鳴り声が聞こえてくることはなくなった。だが、部屋に入ることを、少し躊躇している自分がいた。


「ただいま」


 キッチンに入ると、夕食の準備を終えた母が、椅子に座りぼんやりとしていた。少し遅れて桔兵に気付くと、力なく立ち上がりコンロへと向かった。


「ええね。遅くまで好きなことばっかりしてて、羨ましいわ……」


 母はそう言って、味噌汁の入った鍋を温め始めた。習慣になっているその行為とは裏腹に、言葉の隅々に混じる皮肉が、桔兵を責めていた。


 あの日から、母は戻らない父のことばかり心配していた。あんな父でも、母は帰ってきてほしいと思っているのだ。


 そして、父の行方を探していた母は、昔付き合っていた女の元に転がり込んでいると、古い知り合いから聞き出していた。ショックを受けた母は、露骨に不機嫌になり、桔兵に対しても険悪な態度を取るようになっていた。


「あんたは、野球ばっかで常識知らんのよ。早う社会に出て、働きなさいよ」


「うるさいな。俺にも考えがあるんや……」


 父の裏切りで、母も余裕を失っていた。ひとりでは背負いきれないものを、苛立ちと共に桔兵へぶつけているのだろう。


「そもそも、高校に行く金なんてありはせえへんわ」


「言われんでも、分かってる!」


 桔兵が一番気にしていることを、母は容赦なく突いてきた。それでも、彼は怒鳴り返すようなことはしなかった。父のように、暴力を振るうなどはもってのほかだ。


 だが、そんな日々のやりとりが、桔兵の苛立ちを蓄積させていった。




 いよいよ、大会が3日後に迫っていた。


 桔兵たちは、いつものように部室で着替え、放課後の練習に向かう準備をしていた。練習も徐々に軽いメニューとなり、大会直前の高揚感が部全体に満ちていた。


「トーナメント表よう見たらさ、初戦勝ったら、結構楽な組み合わせやんな!」


「そうそう! ヤバそうなのが、逆の山に固まってるからな」


「最近、東四中もそこまで強いっちゅう印象ないし。けっこう、イケるんちゃう?」


 厳しい練習に耐えてきた自信と、大一番へのプレッシャーが、彼らの強気な発言となって現れていた。成田も話の流れに乗って、威勢よく言った。


「つまり、俺のくじ運がよかったっちゅうことやろ! 今年こそ、地区大会突破やで!」


「いけるいける!」


 そんな部員たちに、桔兵が突然怒鳴った。


「そんな、簡単ちゃうぞ!」


 一瞬、場の空気が凍りつく。


「俺が完封しても、点取らへんことには勝てへんのやぞ!」


 成田も急に怒り出した桔兵に驚いていたが、すぐに場を和ませようと、軽口をたたいた。


「まかせろって! 俺が打ちまくったるわ!」


「相手は東四中やぞ。ほんまに、1点でも取れるんやろうな?」


 桔兵の問い詰めるような物言いに、成田も戸惑い口ごもった。


「そりゃ、努力はするけどな……」


「努力やのうて、結果が必要なんや!」


 桔兵は乱暴にドアを開け、部室から出て行った。残された部員たちは、言葉なくその場に立ち尽くしていた。



 部室を出て数歩のところで、桔兵は立ち止まった。


 自分の態度が、完全な八つ当たりだと分かっていた。部室の扉を振り返り、今すぐ謝るべきか、その場で立ち止まった。大会を控えたこの時期に、波風を立てるわけにはいかないのだ。


 すると、中から部員たちの会話が漏れ聞こえてきた。


「なんや、あれ?」


 さすがに、部員たちも桔兵の態度に憤慨している様子だった。


「なんかこの頃、機嫌悪いよな? いつも、眉間にしわ寄せててな」


「大会近づいて、プレッシャー感じてるとか?」


 桔兵に聞かれているとは知らず、遠慮のない言葉が続いた。


「今度の大会で活躍して、推薦取りたいんやろ?」


「桔兵の学力で行けるとこなんて、たかが知れてるしな。俺らには、関係ない話やけど……」


 そこまで聞くと、桔兵は何も言わずグラウンドに向かって走り始めた。


 ひとりで黙々とアップを始めるが、なぜだか体が重かった。練習は調整程度にもかかわらず、疲労が抜けていない。


 しかし、泣き言を言っている暇はない。部員たちにも言ったように、何としてでも結果が必要なのだ。気合を入れるため、桔兵は走りながら自分の両頬を強く叩いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。