表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/79

05.ひとかけらの晩餐

 太一たいちは物々交換した彼女のことが気になり、その姿を目で追っていた。


 あの飴は、すぐに食べてしまうのだろうか?


 彼女の姿を見つけると、3人の子供たちに、交換した飴を配っているところだった。親しさから見るに、子供たちとは以前からの顔見知りなのかもしれない。


 彼女が物々交換を申し出たのは、チョコを3人で分け合うのが難しかったからだろう。


 最初に飴を5個ほしいと言ったのは交渉術の一環で、本当の希望は4個だったのではないか? 全員分を手にいれるつもりで、それが叶わないのであれば、自分の分はすぐに諦めた。


 太一はそう推測して、自分のことしか考えていなかったことを、少し恥ずかしいと感じる。


「いちご、美味しい!」


「わたし、メロン!」


 子供達が、嬉しそうに飴をなめ始めた。


「よかったね」


 彼女は、そんな子供達の頭を優しくなでている。


 その表情には、うっすらと自責の念がにじんでいた。経緯は分からないが、この部屋にいるのだから、何かしらの後悔があるのだろう。


「いいなぁ……」


 飴をなめて歓喜している声を聞いて、他の子供たちが集まってきた。5歳から10歳くらいの子供たち数人が、飴をなめる様子を羨ましそうに眺めている。


 ショートヘアの彼女は、困った顔をしていた。不憫に思っても、彼女にはどうすることもできないのだ。


 ふと、彼女の目がこちらを泳ぎ、太一の視線と重なり合った。彼は逃げるように顔をそむけると、ぎゅっと目を閉じた。


 気にするな! 生き返りたいのなら、他人のことなんか無視しろ!


 彼はそう心の中で念じたが、先程の彼女の悲しげな表情が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。


 すると、ひとりの男の子が、我慢できなくなった様子で、太一の元にやってきた。


「飴ちょうだい!」


 その子はそう言って、あっさりと自分の珠を差し出した。太一はその屈託のない行動に驚き、思わず言わなくていいことを口にする。


「お前、分かってるのか? その珠は、貴重なんだ! これがあると、生き返れるかもしれないんだぞ!?」


 そう言われても、男の子は不思議そうに首を傾げている。


「え〜、でも飴ほしい! 桃がいい! 交換して!!」


「ダメだ! お前にはまだ早い!」


 そんなよく分からない理由で、太一はその申し出を断った。幼い子供と珠を交換することに、後ろめたさを感じたのだ。


「え〜、何で!? 交換してくれるって、言ったじゃん!」


 その男の子は、少し泣きそうな顔で地団駄を踏んでいる。


 自分は、何を躊躇ちゅうちょしているのだろうか?


 相手が交換したいと言っているのだから、望みどおりにしてやればいいのだ。どうせ、こんな子が珠を集め切ることはできないだろう。ならば、自分が有効に使わせてもらえばいい。


 太一は何度も自分にそう言い聞かせるのだが、一度感じた罪悪感を打ち消すことができない。


「ちょうだい! ちょうだい! 交換して!!」


 男の子が騒いで、太一の足にしがみついてくる。


「あー! もう、しょうがねえな!」


 太一がそう言うと、男の子が目を輝かせて彼の顔を見た。その嬉しそうな顔を見て、太一は深いため息をつく。


「珠はいいから……。ひとつやる」


 諦めの表情で、渋々とピンクの小袋をその子に手渡した。


「ほんと! いいの!?」


 男の子はすぐに包を開けて、嬉しそうに飴をなめ始めた。それを見ていた子供たちが、太一の元に一斉に駆け寄って来る。


「わたしにも、ちょうだい!」


「ほしい! いちごほしい!」


 こうなっては、もう収拾がつかなかった。子供たちにまとわり付かれ、身動きが取れない太一は、さらに大きなため息をつく。


「分かったから! やるから!! そんなに、引っ張らないでくれ……」




 太一は空になった飴の袋を、ウエストポーチにしまった。さっさと処分したいところだが、チリひとつないこの部屋に捨てるのは気後れしたのだ。


 結局、飴は全て子供たちにあげてしまった。


 こんなはずではなかったが、もう後の祭りだ。自分の甘さに、ため息しか出てこない。


 ふと見ると、物々交換したショートヘアの彼女が、喜ぶ子供たちを見て微笑んでいた。先ほどの悲壮感が消えた笑顔を見て、これで良かったのかもしれないと思った。


 そう、何度も自分に言い聞かせる。


 おやつとして鞄に忍ばせていた飴から、珠との物々交換を思いついた。それで珠を100個集めるのは無理筋でも、自分の持てる手段としては、それが1番望みが高いと考えていた。


 だが、その微かな可能性は消え、残る数日を絶望と共に過ごさなければならない。



 太一はひとりになりたくて、人気の少ない壁際近くにやってきた。


 ふと、先に座っていた幼い少女と目が合う。飴をねだりにきた子供たちの中には、見なかった顔だ。


「飴は、もうないぞ」


 彼は少し離れた場所に腰を下ろしながら、ぶっきらぼうにそう言った。


「いらないよ!」


 少女はそう答えるが、何か言いたそうにこちらを見ている。


「飴、嫌いだったのか?」


「そんなことないよ!」


 太一の問いを力強く否定し、少女は少し怒ったように言った。


「だって、知らない人から、お菓子をもらっちゃダメなんだから!」


 太一は、その返答を聞いて脱力してしまう。


 言っていることは、よく分かる。しかし、実際にはなかった危険を恐れて、彼女は欲しかった飴を手に入れ損ねたのだろう。親もいないようだし、そんな言いつけなど無視して、貰いに来れば良かったのだ。


 そう思ったものの、太一は何も言えず黙り込む。何をどう言っても、仕方ないことだらけだった……。


 子供たちから、飴をひとつ返してもらおうかとも考えたが、その交渉はこの上なく面倒そうだった。そして、まだ交換した四角いチョコが、残っていることを思い出す。


 しかし、それは自分にとっても最後の楽しみと言えた。飴は全て差し出したのだから、このくらいは自分で食べてもバチは当たらないだろう。


 チラリと少女の顔をうかがうと、喜ぶ子供たちの姿を寂しそうに見つめている。その表情を見て、太一は全身の力が抜け落ちるのを感じた。


 結局、俺は他人のことを気にしすぎて、いつも損するばかりだ……。


 自分の好意は、無視される。


 いくら他人に与えても、見返りが返ってくることはないのだ。太一は物心ついた頃からそう感じて、勝手にふてくされていた。


 しかし、それは自分の態度や、言い方に原因があったのではないか? この土壇場で冷静に振り返ると、それがこと事実のように思えてくる。


 空回りばかりだった自分の人生を振り返り、心が虚しさで満たされていく。


 もう、どうでもいい……。


 太一はポケットからチョコを取り出し、少女に差し出した。


「これ、やるよ」


 少女の顔が一瞬輝いたが、すぐ頭を振ってそれを拒否しようとする。


「知らない人に、もらっちゃダメなの!」


 太一は面倒くさそうな顔をしたが、部屋の中心を見つめながら静かに語り始めた。


「俺の名前は、吉田 太一。22歳で、食品工場で働いてたんだ。全身が白く覆われて、外からは目しか見えない服を着て、毎日同じ作業の繰り返し。最初はこんな仕事、すぐ辞めてやると思ってたけど、気付けばもう3年か……」


 すぐに辞めると考えていたから、人間関係もほとんど築かなかった。親しく話す相手がいなかった毎日を、今は少し後悔している。


「趣味はネット。休みの日も、基本引き篭もり。出身は静岡。上京してから地元には戻ったことないけど、一度くらいは帰っておくべきだったかな……。あと、血液型はB型」


 自己紹介と言っても、何を話せば良いのか分からなかった。とりとめなく、言うだけ言って、太一は少女に質問した。


「君の名前は?」


「やなせ、はる。七歳!」


「漢字は、季節の春?」


「違うよ。晴れるに、瑠璃色の瑠!」


「難しい字だな……。学校楽しい?」


「楽しいよ!」


「若くていいね……」


 夢いっぱいでと言いかけて、太一は言い淀む。夢など、ここではもう残酷な言葉でしかないのだ。未来はもう、閉ざされたも同然なのだから……。


「これで、君と僕は友達だ!」


「え?」


 太一の言葉に、少女はびっくりしてポカンとしている。話が早すぎると思うのは、当然だ。


「そうなの?」


「学校では、どうだった? 自己紹介して、お互いのことを知ったら、それはもうお友達だろ?」


「そう……なのかな?」


「そうなんだ!」


 そして、太一は先ほどのチョコを、もう一度少女に差し出した。


「お近づきの印に、やるよ」


「でも……」


 少女は、まだ躊躇している。親の教えと、自分の欲望の間で揺れているようだ。


「こういう時は、もらわないと逆に失礼なんだぞ。社会にはそういう、よくわからないルールがあるんだ!」


 太一にそう言われ、晴瑠はようやく差し出されたチョコを受け取った。だが、すぐには食べずに、そのチョコをまじまじと見つめている。


「なんだ?」


 少女の反応を見て、太一は怪訝な顔で聞いた。


「これ、ひとつしかないの?」


「そうだよ! もう、それしかないぞ!」


 太一は少し苛立ちながらそう言うが、少女の返答は予想外のものだった。


「お兄ちゃんの分は?」


 少女の気遣いに、太一は驚いた。晴瑠は親の言いつけをしっかり守り、他人を思いやれる、とてもいい子なのだろう。


「俺は……別にいいんだよ。早く食べろよ!」


「半分こするね!」


 その返答に、太一は慌てて止めようとする。


「いいって! ただでさえ、小さいんだから!」


 晴瑠の手の中でかすかな音がすると、少女は困った表情を浮かべていた。太一がのぞき込むと、チョコが明らかに、大きさが違う割れ方をしている。


 どうしようかと悩んでいる晴瑠の手の中から、太一は小さなかけらを取って口に入れた。それを見て、晴瑠は嬉しそうに、大きい方のチョコを口に含む。


「おいしいね!」


 晴瑠の笑顔がはじけ、本当に嬉しそうに微笑んだ。


 太一はその笑顔を見ながら、少し驚いていた。


 記憶に残るどんな食事よりも、こんな安いチョコが美味しいと感じている自分に……。


 おそらく、普通に食べていたら、こんな風に味わうことは出来なかっただろう。こんな最後の食事も悪くない。むしろ、これ以上ない晩餐なのかもしれない。


 先ほど感じた喪失感が消え去り、胸が温かい何かで満たされていく。そして、太一は自分の膝に顔をうずめた。


 それを見た少女は、不思議そうに言った。


「どうしたの?」


 太一が小さく震えていることに気付き、晴瑠は心配そうに問いかける。


「どこか痛いの?」


 太一は震える声を必死に堪えながら、小さくささやいた。


「……いしい、だけ……」


 間近でその声を聞いた晴瑠は、驚いて聞き返す。


「美味しかったから、泣いてるの!?」


 空気を読まず、晴瑠は大声でそう言った。


「変なのぉ!」


 心配して損したと言った感じで、晴瑠は太一の丸まった背中に手を置いた。そして、そんな太一の姿がツボに入ったのか、少女は楽しそうに笑うのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ