05.ひとかけらの晩餐
太一は物々交換した彼女のことが気になり、その姿を目で追っていた。
あの飴は、すぐに食べてしまうのだろうか?
彼女の姿を見つけると、3人の子供たちに、交換した飴を配っているところだった。親しさから見るに、子供たちとは以前からの顔見知りなのかもしれない。
彼女が物々交換を申し出たのは、チョコを3人で分け合うのが難しかったからだろう。
最初に飴を5個ほしいと言ったのは交渉術の一環で、本当の希望は4個だったのではないか? 全員分を手にいれるつもりで、それが叶わないのであれば、自分の分はすぐに諦めた。
太一はそう推測して、自分のことしか考えていなかったことを、少し恥ずかしいと感じる。
「いちご、美味しい!」
「わたし、メロン!」
子供達が、嬉しそうに飴をなめ始めた。
「よかったね」
彼女は、そんな子供達の頭を優しくなでている。
その表情には、うっすらと自責の念がにじんでいた。経緯は分からないが、この部屋にいるのだから、何かしらの後悔があるのだろう。
「いいなぁ……」
飴をなめて歓喜している声を聞いて、他の子供たちが集まってきた。5歳から10歳くらいの子供たち数人が、飴をなめる様子を羨ましそうに眺めている。
ショートヘアの彼女は、困った顔をしていた。不憫に思っても、彼女にはどうすることもできないのだ。
ふと、彼女の目がこちらを泳ぎ、太一の視線と重なり合った。彼は逃げるように顔をそむけると、ぎゅっと目を閉じた。
気にするな! 生き返りたいのなら、他人のことなんか無視しろ!
彼はそう心の中で念じたが、先程の彼女の悲しげな表情が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。
すると、ひとりの男の子が、我慢できなくなった様子で、太一の元にやってきた。
「飴ちょうだい!」
その子はそう言って、あっさりと自分の珠を差し出した。太一はその屈託のない行動に驚き、思わず言わなくていいことを口にする。
「お前、分かってるのか? その珠は、貴重なんだ! これがあると、生き返れるかもしれないんだぞ!?」
そう言われても、男の子は不思議そうに首を傾げている。
「え〜、でも飴ほしい! 桃がいい! 交換して!!」
「ダメだ! お前にはまだ早い!」
そんなよく分からない理由で、太一はその申し出を断った。幼い子供と珠を交換することに、後ろめたさを感じたのだ。
「え〜、何で!? 交換してくれるって、言ったじゃん!」
その男の子は、少し泣きそうな顔で地団駄を踏んでいる。
自分は、何を躊躇しているのだろうか?
相手が交換したいと言っているのだから、望みどおりにしてやればいいのだ。どうせ、こんな子が珠を集め切ることはできないだろう。ならば、自分が有効に使わせてもらえばいい。
太一は何度も自分にそう言い聞かせるのだが、一度感じた罪悪感を打ち消すことができない。
「ちょうだい! ちょうだい! 交換して!!」
男の子が騒いで、太一の足にしがみついてくる。
「あー! もう、しょうがねえな!」
太一がそう言うと、男の子が目を輝かせて彼の顔を見た。その嬉しそうな顔を見て、太一は深いため息をつく。
「珠はいいから……。ひとつやる」
諦めの表情で、渋々とピンクの小袋をその子に手渡した。
「ほんと! いいの!?」
男の子はすぐに包を開けて、嬉しそうに飴をなめ始めた。それを見ていた子供たちが、太一の元に一斉に駆け寄って来る。
「わたしにも、ちょうだい!」
「ほしい! いちごほしい!」
こうなっては、もう収拾がつかなかった。子供たちにまとわり付かれ、身動きが取れない太一は、さらに大きなため息をつく。
「分かったから! やるから!! そんなに、引っ張らないでくれ……」
太一は空になった飴の袋を、ウエストポーチにしまった。さっさと処分したいところだが、チリひとつないこの部屋に捨てるのは気後れしたのだ。
結局、飴は全て子供たちにあげてしまった。
こんなはずではなかったが、もう後の祭りだ。自分の甘さに、ため息しか出てこない。
ふと見ると、物々交換したショートヘアの彼女が、喜ぶ子供たちを見て微笑んでいた。先ほどの悲壮感が消えた笑顔を見て、これで良かったのかもしれないと思った。
そう、何度も自分に言い聞かせる。
おやつとして鞄に忍ばせていた飴から、珠との物々交換を思いついた。それで珠を100個集めるのは無理筋でも、自分の持てる手段としては、それが1番望みが高いと考えていた。
だが、その微かな可能性は消え、残る数日を絶望と共に過ごさなければならない。
太一はひとりになりたくて、人気の少ない壁際近くにやってきた。
ふと、先に座っていた幼い少女と目が合う。飴をねだりにきた子供たちの中には、見なかった顔だ。
「飴は、もうないぞ」
彼は少し離れた場所に腰を下ろしながら、ぶっきらぼうにそう言った。
「いらないよ!」
少女はそう答えるが、何か言いたそうにこちらを見ている。
「飴、嫌いだったのか?」
「そんなことないよ!」
太一の問いを力強く否定し、少女は少し怒ったように言った。
「だって、知らない人から、お菓子をもらっちゃダメなんだから!」
太一は、その返答を聞いて脱力してしまう。
言っていることは、よく分かる。しかし、実際にはなかった危険を恐れて、彼女は欲しかった飴を手に入れ損ねたのだろう。親もいないようだし、そんな言いつけなど無視して、貰いに来れば良かったのだ。
そう思ったものの、太一は何も言えず黙り込む。何をどう言っても、仕方ないことだらけだった……。
子供たちから、飴をひとつ返してもらおうかとも考えたが、その交渉はこの上なく面倒そうだった。そして、まだ交換した四角いチョコが、残っていることを思い出す。
しかし、それは自分にとっても最後の楽しみと言えた。飴は全て差し出したのだから、このくらいは自分で食べてもバチは当たらないだろう。
チラリと少女の顔をうかがうと、喜ぶ子供たちの姿を寂しそうに見つめている。その表情を見て、太一は全身の力が抜け落ちるのを感じた。
結局、俺は他人のことを気にしすぎて、いつも損するばかりだ……。
自分の好意は、無視される。
いくら他人に与えても、見返りが返ってくることはないのだ。太一は物心ついた頃からそう感じて、勝手にふてくされていた。
しかし、それは自分の態度や、言い方に原因があったのではないか? この土壇場で冷静に振り返ると、それがこと事実のように思えてくる。
空回りばかりだった自分の人生を振り返り、心が虚しさで満たされていく。
もう、どうでもいい……。
太一はポケットからチョコを取り出し、少女に差し出した。
「これ、やるよ」
少女の顔が一瞬輝いたが、すぐ頭を振ってそれを拒否しようとする。
「知らない人に、もらっちゃダメなの!」
太一は面倒くさそうな顔をしたが、部屋の中心を見つめながら静かに語り始めた。
「俺の名前は、吉田 太一。22歳で、食品工場で働いてたんだ。全身が白く覆われて、外からは目しか見えない服を着て、毎日同じ作業の繰り返し。最初はこんな仕事、すぐ辞めてやると思ってたけど、気付けばもう3年か……」
すぐに辞めると考えていたから、人間関係もほとんど築かなかった。親しく話す相手がいなかった毎日を、今は少し後悔している。
「趣味はネット。休みの日も、基本引き篭もり。出身は静岡。上京してから地元には戻ったことないけど、一度くらいは帰っておくべきだったかな……。あと、血液型はB型」
自己紹介と言っても、何を話せば良いのか分からなかった。とりとめなく、言うだけ言って、太一は少女に質問した。
「君の名前は?」
「やなせ、はる。七歳!」
「漢字は、季節の春?」
「違うよ。晴れるに、瑠璃色の瑠!」
「難しい字だな……。学校楽しい?」
「楽しいよ!」
「若くていいね……」
夢いっぱいでと言いかけて、太一は言い淀む。夢など、ここではもう残酷な言葉でしかないのだ。未来はもう、閉ざされたも同然なのだから……。
「これで、君と僕は友達だ!」
「え?」
太一の言葉に、少女はびっくりしてポカンとしている。話が早すぎると思うのは、当然だ。
「そうなの?」
「学校では、どうだった? 自己紹介して、お互いのことを知ったら、それはもうお友達だろ?」
「そう……なのかな?」
「そうなんだ!」
そして、太一は先ほどのチョコを、もう一度少女に差し出した。
「お近づきの印に、やるよ」
「でも……」
少女は、まだ躊躇している。親の教えと、自分の欲望の間で揺れているようだ。
「こういう時は、もらわないと逆に失礼なんだぞ。社会にはそういう、よくわからないルールがあるんだ!」
太一にそう言われ、晴瑠はようやく差し出されたチョコを受け取った。だが、すぐには食べずに、そのチョコをまじまじと見つめている。
「なんだ?」
少女の反応を見て、太一は怪訝な顔で聞いた。
「これ、ひとつしかないの?」
「そうだよ! もう、それしかないぞ!」
太一は少し苛立ちながらそう言うが、少女の返答は予想外のものだった。
「お兄ちゃんの分は?」
少女の気遣いに、太一は驚いた。晴瑠は親の言いつけをしっかり守り、他人を思いやれる、とてもいい子なのだろう。
「俺は……別にいいんだよ。早く食べろよ!」
「半分こするね!」
その返答に、太一は慌てて止めようとする。
「いいって! ただでさえ、小さいんだから!」
晴瑠の手の中でかすかな音がすると、少女は困った表情を浮かべていた。太一がのぞき込むと、チョコが明らかに、大きさが違う割れ方をしている。
どうしようかと悩んでいる晴瑠の手の中から、太一は小さなかけらを取って口に入れた。それを見て、晴瑠は嬉しそうに、大きい方のチョコを口に含む。
「おいしいね!」
晴瑠の笑顔がはじけ、本当に嬉しそうに微笑んだ。
太一はその笑顔を見ながら、少し驚いていた。
記憶に残るどんな食事よりも、こんな安いチョコが美味しいと感じている自分に……。
おそらく、普通に食べていたら、こんな風に味わうことは出来なかっただろう。こんな最後の食事も悪くない。むしろ、これ以上ない晩餐なのかもしれない。
先ほど感じた喪失感が消え去り、胸が温かい何かで満たされていく。そして、太一は自分の膝に顔をうずめた。
それを見た少女は、不思議そうに言った。
「どうしたの?」
太一が小さく震えていることに気付き、晴瑠は心配そうに問いかける。
「どこか痛いの?」
太一は震える声を必死に堪えながら、小さくささやいた。
「……いしい、だけ……」
間近でその声を聞いた晴瑠は、驚いて聞き返す。
「美味しかったから、泣いてるの!?」
空気を読まず、晴瑠は大声でそう言った。
「変なのぉ!」
心配して損したと言った感じで、晴瑠は太一の丸まった背中に手を置いた。そして、そんな太一の姿がツボに入ったのか、少女は楽しそうに笑うのだった。




