10.恋の概念
都築 は他の人々と同様、そんなふたりを見守ることしかできなかった。
「まさか、本当にここでするの?」
結衣香は恥ずかしそうに手で顔を覆いながらも、ふたりから目を離せないでいる。
しかし、それも梓がシャツを脱ぎ出すところまでだった。本当にそれが始まると察すると、彼女はみことを連れて、その場から逃げ出した。それが合図となり、情事を見たくない人々が、その場から離れていく。
だが、多くの男たちはそこから動かなかった。都築はざっくりと、その人数を見積もった。数にして、30人弱といったところだった。
残った全員が、彼女と取引するとは限らない。逆に、その場を離れた男の中からも、彼女に珠を献上する者が現れるだろう。差し引きしても、梓が手にいれる珠の数は30個ほどになるかもしれない。都築はおおまかに、そう推測した。
ふと、一緒に移動する人々の中に、苦虫を噛み潰したような顔の蘇我田を発見する。
彼の演説は、梓の行為によって完全に霞んでしまった。都築は同情はしつつも、少し笑いが込み上げてくる。
「何、ニヤついてるの?」
そんな都築を見て、結衣香が冷たく言い放つ。
「今からでも、参加してくれば? 珠が無くても、見学くらいはできるでしょ?」
エロいことを想像していたわけではないのだが、何を言っても墓穴を掘ってしまいそうな気がする。結局、都築は何も言えず、結衣香に苦笑いを返すことしかできなかった。
しばらく歩くと、背後から男たちの歓声が聞こえてくる。どうやら、本当に行為が始まったらしい。
都築が振り向いて確認すると、梓を中心に男たちの円陣が出来ていた。それは梓にとって、格好のプレゼンの場なのかもしれない。隠れる場所が、ないからこそのショールーム。
一体どんな気持ちで、彼らは他人の行為を見ているのだろうか?
今の自分の姿が、周りからどのように見えているか、想像しないのだろうか?
既に死んでいるのなら、恥はかき捨てだとでも言うのだろうか?
喘ぎ声こそ聞こえないが、移動する人々の間に、気まずい雰囲気が流れていた。
「珠を先に譲って、後悔してるんでしょ?」
結衣香が顔を赤らめながら、そんなちょっかいを出してくる。無言でいることに、我慢できなくなったのかもしれない。
「人前でやる趣味はないよ」
少し冗談めかして返したのだが、どうやら言い方が悪かったらしい。結衣香から返ってきたのは、冷たい視線だった。
乙女心は難しいと、都築は軽く天を仰いだ。
しばらくして、反対側の壁際まで到着し、人々は思い思いに休憩し始めた。多くの人が、地面にへたり込んでいる。
ある程度の状況は理解したものの、これからどうするべきか、皆が途方に暮れていた。結衣香とみことも、その場に座りひと息ついている。
「さて、これからどうしようか?」
都築はそうたずねたが、結衣香からすぐに返事は返ってこなかった。みことは相変わらず、辺りをぼんやりと眺めている。
「私には……珠を集めるのは、無理だと思う」
少し思い悩んでいた結衣香は、自分の考えをそう切り出した。
「自分が選ばれるにふさわしいと言える自信も、何かを代償に珠を集める度胸も、私は持ってない。でも、だとしたら…….」
一呼吸おき、結衣香は都築の瞳を見ながら聞いた。
「私は……ゆっくりと死を待つしかないのかな?」
確かな死の実感はないものの、それに向き合わなければならない状況だった。そして、1/127という狭き門に、弱気になるのは仕方のないことなのかもしれない。
「やってみないと、分からないとは思うけど……」
都築はそう前置きしつつ、違った視点の話を始めた。
「別に、珠集め“だけ”を目的にしなくていいと思う」
思いがけない言葉に、結衣香は怪訝な顔で都築の顔を見る。
「他に、何があるの?」
都築は少し周りを見回し、他の人も聞いていることを意識しながら答え始めた。
「残された時間で、何をするかということさ。すでに死んでるから、言い方がおかしいけれど、余命の過ごし方を考えるってことかな。できることは、本当に限られているかもしれないけれど……」
都築は小さくなりつつあった声に、少し力を込めて言う。
「それでも、自分には意志が残されていて、行動することができる。であれば、何かやれることがある。物質的ではない、自分が本当に求める何かを……」
彼の声は、それほど大きくはなかった。しかし、誰もが沈黙する中で、その言葉はさざ波のように人々の胸の中に広がっていく。
行きたい場所へ行けるわけでもない。
食べたいものを食べられるわけでもない。
誰にでも会えるわけでもない。
それでも、まだ時間は残されている。
だとすれば、自分は何を望むのか――。
結衣香は目を閉じ、その言葉の意味をゆっくりと考えているようだった。
しばらくして、結衣香はぽつりとつぶやいた。
「私は……。私は、恋をしたい」
「恋?」
その少し意外な答えに、思わず彼女の顔を見た。結衣香はそんな都築を、妙に真剣な眼差しで見つめ返してくる。
結衣香の瞳に自分が映るのを見て、都築は少し鼓動が高鳴るのを感じた。
「都築くんは、長男?」
「ひとりっ子だけど……」
「誕生日は?」
「7月2日」
結衣香の突然の問いに、戸惑いながらも彼は答える。
「何か部活入ってる?」
「やってない」
「進路は?」
「医大を受けるつもりだけど……」
「お医者さんを目指してるの?」
驚いて目を丸くする結衣香に、彼は補足する。
「医療研究の道に、進みたいんだ」
「そうなんだ! 意外じゃないけど、そうなんだ……」
「さっきから、何の質問?」
都築は自分が品定めされていると感じたが、嫌な気分ではなかった。自分に興味を持ってくれているのなら、純粋に嬉しいと感じる。
「まずは、お互いを知るところから始めたいでしょ?」
結衣香にそう言われて、淡い期待をしてしまう自分がいた。
しかし――。
「向こうに残った人は、論外として。同年代が少ないのが痛いな……。この際、多少の年齢差は気にしない。大人の包容力っていうのも魅力だし、対象はできるだけ広げよう! 顔も……まあ重要なんだけど、イケメンいるかな?」
そんな結衣香の発言に、都築は怪訝な表情になる。
「一体、何の話?」
「恋するに値する人かどうか、まずは審査しないと!」
結衣香の言葉に、都築は絶句した。
「性格が良くて、趣味や話が合う人で、将来性もあって、できればイケメン! 理想は高いかもしれないけど、下げれば良いものでもないし。逆にそれくらいの人じゃないと、恋なんか出来ないし!」
恋とは、そんな査定を経てから、するものだっただろうか?
俄然やる気の表情で、結衣香が立ち上がった。
「この人数じゃ、候補は5人もいればいいほうかな……。とにかく、どんな人がいるか確認してこないと!」
そう言って、彼女は人々が集まるほうへ歩き出す。一瞬振り返って、結衣香はこちらに手を振った。
「また後で、話聞かせてね!」
彼女の言う恋と、自分の認識する恋は、同じものではないかもしれない。都築はそう思いながら、呆然と結衣香を見送るしかなかった。
都築たちから少し離れた場所で、その男は存在を消したいかのように、うずくまって座っていた。
紺色の作業着を着たその男は、ボサボサの髪に白髪が目立ち、実年齢よりもずっと老けて見える。
彼は密かに、都築たちの会話に聴き耳を立てていた。それなりに離れているので、会話のほとんどは聞き取ることができない。ただ、自分の存在がバレていないことだけは、その雰囲気から感じ取れた。
いや、普通に考えて、わかるはずがないのだ……。
彼らの存在を知ったのは、たまたま女の子の話を近くで聞いていたからだ。その内容が、自分の最後の記憶と一致した。単なる偶然と思いたかったが、否定すればするほど、間違いないと確信してしまう。
「どうして、こんなことになっちまったんだ……」
そう自問するが、理由は明白だった。単純に、無理をしすぎたのだ。前々から、体は限界を超えていた。だましだまし、なんとか必死に耐えてきたが、まさかこんな結果になろうとは――。
彼、四倉 智蔵の最後の記憶。
それは鳴り響くクラクションで目を覚まし、自分の運転しているトラックが、目の前に迫るバスにぶつかる瞬間の光景だった。
白服の少年は、梓を取り巻く輪から少し離れた場所に立ち、彼らの行為を静かに観察していた。
いつの時代も、男の欲望は物事を進める原動力になる。良くも悪くも、ではあるが……。
また、遠く離れた都築たちにも、同時に目を配っている。どんな小さな予兆も逃さぬよう、全方位に注意を向けていた。
彼の表情から、多くを読み取ることはできない。ただ静かに、時が経つのを待っているように見える。
まだ、運命の7日間は、始まったばかりだった……。




