母の執念
四十三
人間が、地上に出現した遥か昔もっとずっと
以前、まだ哺乳動物と言われていた頃から母性
は有っただろうか、知性が人間に備わるのには
何千年いや何万年の時間を要する訳で、そうな
ら母性の根源は言葉通り本能かも知れない。
「晃都、今夜はもう遅いから泊って行けよ」
帰り支度を、始めた山中晃都に友人の東がそ
う声を掛けたが、晃都はそんな友達にすまなさ
そうな顔で答えた。
「いや、今日は帰る。明日、家の手伝いを親父
と約束したけんな」
山中晃都が、熊本市内の友人の東の所に行っ
たのには訳があった。実は、二日前に熊本県に
大地震が発生したのだ。阿蘇市の、晃都の地域
も結構揺れたが友人の東が住む熊本市から南東
部にかけては相当の被害が出たことを、ニュー
スで見た。しかも、断水状態が続いているのを
知って車に積めるだけの水を載せて早速駆け付
けたという事だった。
「そうか、そういう事なら仕方が無いか。そう
言えば、晃都が持って来てくれた飲料水な親父
もお袋もえらい喜んどったぞ。今すぐは、無理
だけど落ち着いたら約束してた映画絶対に見に
行こうな」
「解った、じゃあ帰るけん」
手を、軽く振り笑顔で東は見送った。晃都の
乗るレッドの車体は数秒後には闇に包み込まれ
る様に見えなくなっていた。ヘッドライトの、
明かりが晃都の車の前方を照らしてはいるが阿
蘇市に続いている国道325号線は、阿蘇大橋
付近になると周りに人家が全く無くヘッドライ
トの光だけが頼りの真っ暗闇だった。
「この調子で、走れば二時頃には家かな」
晃都は、社内のデジタル時計を一瞬見て前方
に目を転じるとヘッドライトに照らされた阿蘇
大橋が見えてきた。時刻は、午前1時10分を切っ
て11分になろうとしていた。晃都の車は、阿蘇
大橋に滑り込むように入って行った。そして、
時計の針は午前1時15分を指した。
「後から、役場に行くけど一緒に行く?」
村上蘭が、姉の晶に聞くと洗面所で歯を磨い
ていた晶は、腕を突き出し親指を立てオッケー
のサインを出した。明日は、東京に戻ると言う
朝に何をする事も無い蘭が何気にテレビのスイ
ッチを入れると女性リポーターが喋っていた。
「甚大な、被害を出した熊本地震ですが阿蘇で
も阿蘇大橋の崩落という事が起きました。その
阿蘇大橋崩落に、巻き込まれ亡くなられた方が
いらっしゃいます。阿蘇市在住の、大学生の山
中晃都さんです。今日は行方不明になった晃都
さんの困難極まる捜索とその発見まで4ヶ月も
の間、県の捜索中止にもめげず最後まで諦めず
晃都さん発見にこぎつけた家族とその知人達の
記録を、再現ビデオと共に放送いたします」
晶は、洗面所から戻るとインスタントコーヒ
ーの瓶を取ると蘭の隣に座って言った。
「コーヒー淹れるけど飲む?」
「あ、うん」
コーヒーの香りが、キッチンに漂いそれを啜
りながら二人はテレビを見ていた。放送は、県
の捜索が2次災害を恐れて早々と打ち切られ、
それでも諦めきれない晃都の家族が知人達と共
に探し続けている再現ビデオが流れていた。
「土砂と岩、濁流の川が混在する川岸にロープ
を使い苦労して降り懸命に捜索する家族それに
大勢の知人たちがいた。だが、すでに4ヶ月も
の間手掛かりも無く時間だけが過ぎ、流石に全
員の疲労はピークに達していた。その日、母親
の志穂も夕方近くになり額の汗を拭うと岩場に
背中を預けて、束の間の休憩を取っていたその
時だった
「母さん・・・」
志穂が、その声の方を見ると晃都が笑顔でこ
ちらを見て手を振っていた。
「晃都!」
と、叫んだ所で目が覚めた。志穂は、疲労で
いつの間にか転寝をしてしまって居た。
「夢・・・」
その瞬間、志穂の頭に電撃の様にある考えが
浮かんだ。
「今のは、晃都からのメッセージで、この辺り
に必ずいて私に助けを求めたに違いない」
母親は、直ぐさま行動に移した。その附近の
岩の下を、覗き込む様に息子の車の痕跡を探し
始めて30分ほど経った時だった。
「あれは・・・」
志穂が、見たその岩の下に見覚えの有る赤い
色が見えた。直ぐさま、近寄り拾い上げてみる
と何の部品かは、解らないが志穂の眼から見て
も車の部品だという事は判別出来た。
「有ったー!」
叫びに近い声に、其処にいる全員が志穂の居
る方を見た
「この、家族は凄いな・・・」
何気に、蘭の顔を晶が覗き込むとその眼が潤
んでいるのに気付いた。
「何、あんた泣いてるの?」
蘭は、少し照れ隠しのように横を向いた。
「いや、このいつ崩れて2次災害が出るか解ら
ない危険な場所で諦めずに息子を探している母
親達の姿を見てたら、今度の事で僕を助けてく
れた母さんの事を思い出しちゃって・・・」
番組は、終盤に入り4ヶ月もの長い時間が掛
かったが、知人達の協力もあり晃都の車の一部
が見つかったのだ。県の担当者に、その部品を
見せた所直ちに捜索再開の確約が取れた。そし
て、再開したその翌日には晃都の車は発見され
る事になる。晃都は、随分と時間が掛かったが
漸く我が家に帰れる事になった訳である。リポ
ーターが、締めくくりの言葉を言って番組は終
了した。
「女は弱し、されど母は強しね」
姉の晶も、そう言いながら眼が潤んでる様に
見えた。
「じゃあ、そろそろ出かけようか」
二人が、乗ったEV日産リーフは役場の駐車
場に続く急な上り坂を難なく上って行った。上
がりきった所で、蘭達は思いがけない人に出会
う事になる。




