悪霊の思惑
三十
村上蘭が、母親の難解な言葉の意味を考えあ
ぐねていたその朝、球磨村役場に一本の通報電
話が入った。
「おはようございます。球磨村役場です」
電話を受けたのは、中川景子だった。
「はい?柴立姫神社がどうかしたんですか」
その一報が、入ったのは就業開始の8時30分
から間もなくの事で、中川景子から電話を変わ
った産業振興課の職員である遠崎賢治は、話の
内容から取るものも取り敢えず中川景子を伴っ
て柴立姫神社に向かった。神社の祠の前まで来
た時、遠崎が急ブレーキを踏んだ。いきなりだ
ったので、横に乗っていた中川景子が少しキレ
気味に言った。
「遠崎さん!」
「景子ちゃん、あれ見てみろ」
遠崎が、マジ声で言った。二人は、急いで車
を降り祠の前のあり得ない光景を見た。木製鳥
居の、二本有る内の右脚真ん中位で無残に切断
され重みに左脚一本で耐え切れなくなったのだ
ろうか、鳥居は情けない様で傾いてしまってい
た。遠崎は、中川景子に警察に連絡するよう命
じ、自身は鳥居の切断面を丹念に見ていた。
「何を使ったら、こんな風に切れるんだ?」
遠崎が、そう思うのも無理は無かった。何し
ろ、鳥居の脚の直径はどう見ても20cm位有って
普通に考えたらチェーンソーで、切らないと無
理な大きさだからだ。その疑問は、15分程して
来た派出署の警察官も同じだったみたいで、パ
トカーを駐車させて現場の状況を見ると遠崎と
同じ様なことを呟いた。
「鋭利な、刃物を使ったのだろうがもしも日本
刀で切ったのならとても人間技とは思えんな」
警察官が、そう言ったのには訳があった。切
断面は、斜めに真っ直ぐに切られて居た。自身
剣道の、素養もある警察官は居合抜きの経験が
有りこれまでに真剣で巻き藁を斬ったことはあ
るが、それさえも一つ間違えれば日本刀が折れ
たり破損したりする事があるからだ。しかし、
今眼の前に見えているのは丸太をまるで巻き藁
でも切ったかのように見事に切断していたから
である。
「お巡りさんも、そう思われますか日本刀とか
では絶対無理ですよね」
警察官は、もう一度切られた鳥居を見ると遠
崎に言った。
「遠崎さん、ここの管理は役場でやってるんで
すかね。そうだったら、役場の方から被害届を
出して貰えんですか、その後捜査に入りますん
で関連性は薄いと思われますが、昨日は佐久間
本家から日本刀の盗難届が出されておるのです
よ。全く、この村はどうなっとるんですかな今
まで事件なんて無縁だと思っていたのに立て続
けに盗難と被害届が出されるとは」
寝耳に水の事で遠崎は驚いていた。ずっと、
心配していた失踪した佐久間につながる話が出
てきたからである。あの、頑丈な佐久間がそう
簡単にくたばるとは思ってはいない遠崎だった
が、それでも佐久間がいなくなってから数日が
経つというのにいまだに消息は解らず焦燥の日
々を送っていたからだ。遠崎は、一旦役場に戻
り上司に柴立姫神社の被害報告をした。その後
村上蘭に電話を掛けた。
「はい、村上です」
村上蘭と遠崎は、佐久間の捜索時にどんな些
細な情報でもお互いに連絡し合おうと約束して
いたのだ。
「そうですか、柴立姫神社でそんな事があった
のですね」
お昼過ぎに、遠崎はもう一度神社に行くと言
う事なので、そこで落ち合う約束をして蘭は電
話を切った。蘭が、現場に着いた時には既に遠
崎は一人ポツネンと立って待っていた。
「これですか、いや百聞は一見に如かず実際見
ると凄まじい切り口ですね」
「でしょう、お巡りさんも驚いていましたよ」
二人は、結局30分くらい神社を見て回ったが
新しく手掛かりになるものは無く、遠崎は役場
へ蘭の方は佐久間の捜索が続いている球磨川の
現場へと向かった。そして、その日の夕方少し
だけ薄闇がかかった一勝地の村に建っている蘭
と麻美たちが住んでいる家にも夕暮れが包み込
もうとして居た。明日は、麻美に由香それに真
美の三人がこの地を離れる日だ。例の佐久間の
事が、有るのであまり派手にはできないがせめ
て料理ぐらいはと小夜子叔母が腕を振るって呉
れていた。後から、叔父叔母も蘭が帰って来る
時間に合わせて合流する手筈になっていて、し
めやかなお別れ会を行う予定になっていた。
「蘭さん、遅いね」
由佳が、柱の時計を見ながら言った時に玄関
のチャイムが鳴った。
「あ、蘭さん帰って来たかな」
麻美は、そう言うと何時もの様に玄関に迎え
に行った。真美と由香が、聞き耳を立てている
と麻美が玄関を開ける音が聞こえてきた。
「え、あなたは・・・」
そんな、麻美の声が聞こえて来た直後に玄関
の方からガッシャーンと言う花瓶が落ちて割れ
た様な音が聞こえた。ビックリして、由香と真
美の二人が急いで玄関に行ってみると麻美の姿
は其処には無く、割れた花瓶からこぼれた水が
あたり一面を濡らし踏みつぶされた向日葵の花
弁が、無残に散らばっているのが見えていた。




