裏山の秘密
二十一
佐久間の祖父である平蔵は、今年八十八歳で世
間的には米寿と言われる年齢だ。若い時分には、
山で猟師として猪や鹿などを獲り、猟の出来ない
時期には、炭焼き小屋で炭を作り生計を立てて暮
らして来た。そんな平蔵は、家族にも伝えて居な
い隠し事を持っていた。月に一回、必ず裏山に登
っていたのはその為だったのだが、最近膝を痛め
てしまい例の台風が来てからこっち二カ月程山に
登れていない。裏山に行けないこともそうなのだ
が、平蔵は日増しに心の中で膨れ上がって来る言
い知れぬ不安で押し潰されそうになっていた。そ
れで、孫の勇蔵に裏山に連れて行って貰うように
頼んだのである。
「助かるばい、爺さんの頼みば聞いてもろて」
平蔵を、背中に背負った疲れも見せず佐久間は
ただ黙々と山を登っている。その後ろから、村上
蘭が慣れない登山に息を随分と上がらせながら、
ついて来て居た。
「村上さん、大丈夫ですか」
佐久間は、気遣うように蘭に声を掛けた。
「はい、何とかでも平蔵さんはつい最近まで一人
でここを登ってたなんて驚きですね」
平蔵は、佐久間におんぶされたまま蘭の方を振
り向かずに答えた。
「おるは、若い時分から山ば駆け廻っとたけん、
あんた達とは鍛え方が違うたいね。ばってん、寄
る年波には勝てんで、今は情けんなかけど孫の背
中におぶわれとる」
三人が、目指している裏山には平蔵の話しから
古い祠が有るらしかったが、中々に険しい道であ
った。何しろ熊笹が、道の両端から覆いかぶさる
様に伸びて三人の行く手を阻んでいて、それを佐
久間が鎌を使って薙ぎ払いながら進んで行かなく
てはならなかった。普段は、平蔵が自分の通り道
くらいは刈り取って綺麗にしているのだが、二カ
月も、山に入って無い事もそうだが、夏の暑さが
熊笹の成長を早めて益々繁茂させていた。蘭達が
祠のある場所に辿りついたのは、朝九時頃に出発
してから約三時間後の昼前だった。
「爺さん、あの藪の先か?祠は」
佐久間が、背中の平蔵に聞いた。
「そぎゃん、そん藪くらば払った先たい」
体力自慢の、佐久間だったが流石に平蔵を背中
におぶっての登山は堪えたらしく、ホッとした気
持ちは否めなかった。それでも、竹藪を薙ぎ払っ
て力を振り絞り藪の中から広い場所に出たと思っ
たその時だった。
「うわ、何だこれ」
佐久間の後ろにいて、状況の解らない平蔵と蘭
がほとんど同時に言った。
「勇蔵?」
「どうしました、佐久間さん」
その光景を、三人は暫く唖然とした表情で見て
いた。暫くして、平蔵が震える声で言葉を漏らす
ように呟いた。
「祠が・・・なんも無かが」
平蔵が言葉も、出ないのも無理もなかった。祠
が有ったと思われる辺り一面に、崩落が起きて、
ゴッソリ抉られて居たのだった。変わり果てた裏
山の姿を見て、平蔵はガックリとしてその場に坐
り込んでしまった。その様子を見て、心配した佐
久間と蘭が声を掛けた。
「爺さん、大丈夫か」
「平蔵さん」
虚ろな眼で、一点を見つめていた平蔵が暫くし
て吐き捨てるように言葉を発した。
「大変なこつになったばい、封印が何もかも解か
れてしもうた。あやつが野に放たれてしもた」
そう言うと、平蔵は両手を前にして首を垂れる
といきなり念仏を唱えだした。佐久間は、その平
蔵の姿を見て少し驚いたが、それは自分の信仰し
ていた祠が無くなってしまった年寄りの悲しみ位
にしか思わなかった。しかし、蘭は違っていた。
この辺りに微かに残っている只ならぬ妖気がさっ
きから気になって居たのだ。今までの、経験から
どうにも悪霊としか感じられない妖気がこの裏山
から麓まで点々と続いている。この村で起きてい
る奇怪な事が、此処に繋がっているとしたら全て
の始まりは、此処に有った祠が土石流に押し流さ
れた時から始まったのじゃないか、そんな不穏な
ものを感じる村上蘭だった。