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妖光  作者: 村上蘭
18/45

一つの帰結


  十七




   この時代に、武士の一分と言う言葉が有ったの

  

  かは定かでは無いが、今の貞朝の心境は正にそれ


  であったろう。建屋の中なので、よく聞き取れな


  かったが男二人の叫び合う声が、聞こえて来たか


  と思ったら、いきなり抜き身の刀を持って一人足


  早に出て来たのは貞朝であった。源氏の武者も、


  追いかける様に直ぐ出て来たが、その身体に褌だ


  けの殆ど裸の様な姿だった。外に出ると、二人の


  侍は対峙して刀を構えたまま睨み合っていたが、


  武者が口を開いた。




  「ほう、月明かりの下で見るとお主相当の老いぼ


  れではないか、武術の心得は少しある様だがその


  程度の腕では残念ながら拙者を斬るのは叶わぬ事


  よの」武者から、言われるまでもなく離れの中で


  剣を合わせた時、これはとても勝てそうも無いと


  は貞朝自身が一番思っていた。




  「そんな事は、初めから解って居る。剣を振るっ


  て居たのはもう随分昔の事だからの、しかしなが


  らお主はわしの娘を手籠めにして辱めた。武士と


  しても父親としても此れを、見過ごす訳には参ら


  んのでな例え負けると解っていてもな」




   その顔に、余裕と皮肉な笑みを浮かべながら武


  者は言った。




  「お主の娘であったか、言葉使いが百姓には思え


  なかったので不思議に思ったが、それで腑に落ち


  たわだが未通娘にしては中々腰使いが良かったぞ


  拙者の尻の下でヒィヒィよがっておったからの」




   貞朝は、敵ながら侮れん男だと考えていた。圧


  倒的な腕の差と体力が、有るにも関わらず父親が


  聞いたら怒り心頭になるような事を言い相手の平


  静を削ぎ、あくまでも自分に有利に持って行こう


  とする計算を感じていた。こやつ、ハッタリを噛


  ますだけの男では無いなと解ると益々絶望感が湧


  いてくる貞朝で有った。勝てる見込みが有るとす


  るなら、武者の身体にしたたか呑んだ酒が、残っ


  ており足が少々もつれる所ぐらいだった。




  「では、そろそろ片を付けさせて貰おうかな」




   武者はそう言うと、間合いを詰め乍らジワリと


  近づいて来た。村長の家の庭は、逃げ回れるほど


  の広さは無く貞朝は、たちまち銀杏の木の根元近


  くまで追い詰められていた。後が無いと解って覚


  悟を決めた貞朝は、剣を構えると渾身の気合と共


  に武者に斬り掛かって行った。貞朝の刀は、武者


  の肩を狙って打ちこんで行ったのだが、難なく外


  され武者はその刀を巻き込む様に跳ね退けるとそ


  の斬りつけた力を利用して剣を上方に跳ね上げて


  いた。




  「あっ」と、貞朝が叫ぶと同時に剣は手を離れ空


  中に舞い上がり前のめりに、倒れ込んだ貞朝の眼


  の前にものの見事に突き刺さった。貞朝は、顔を


  上げられずにいた完敗である。娘の仇を取るどこ


  ろか此のまま、むざむざ殺されてしまえば清乃に


  対して申し訳が無いという事と口惜しさで胸を掻


  きむしられる思いであった。




  「負けた、後は首を撥ねるなりどうとでもせい」




   貞朝は覚悟を決めて、相手が首を撥ねるのを


  待っていた。が、武者は一向に斬りつけて来な


  かった不審に思い顔を上げると武者は、持って


  いる剣をダラリと下げ仁王立ちしていた。見る


  とその左わき腹から血のりがベットリ付いた槍


  の穂先が胃の腑の辺りからニョキッと突き出し


  て居たのである。




  「父上、刀を取ってとどめを刺してくだされ」




   清乃の叫び声が、辺りに響き渡っていた。


  その手には、従者達が持ってた槍がしっかり


  と握られており貞朝はその声でハッと我に返


  った。




  「清乃、そなた・・・」




   貞朝が、残っている力を振り絞って地面に


  突きたっていた刀を掴んだと同時だった。武


  者が突き立てられた槍を、左の後ろ手で掴む


  と右手の刀で槍をしっかと持っている清乃目


  がけて薙ぎ払った。刀は清乃の顔の一寸先を


  掠め、すんでに斬られはしなかったものの清


  乃は一瞬たじろぎ槍を持つ手を離してしまい


  弾みで地面に尻餅を突いてしまった。




  「この、売女が!」




   武者は、腹に突き立った槍共々振り返ると


  怒りの形相で、清乃に罵声を浴びせた。渾身


  の力で、刀を振り上げ恐怖で身動きの取れな


  い清乃を、斬りつけようとした時だった。




  「グッ」




   武者の口から、呻きが洩れた。己の脇腹を


  見るとそこには槍が深々と突き刺さっていた。


  その槍をこれでもかと突き刺していたのは伊


  作であった。




  「清乃さまは、そんな女じゃなか清乃さまを


  罵っとはやめんかー」 




   そう叫ぶと、伊作は握りしめた槍に力を込


  め更に突き立てていた。右の脇腹に刺さった


  槍を、手で掴むとここに至り初めて村上三郎


  頼時は思っていた。まさか、幾多の戦場で修


  羅場をくぐり抜けて来たこの俺が、こんな南


  の辺境の地で、女や百姓ましてや老いぼれに


  負けて死ぬ事になるとは、神仏は何を考えて


  この様な事をするのだ。血の気が失せて、意


  識が朦朧となった村上三郎頼時が、何かの気


  配を感じて振り返ると其処には、今はもう息


  を整え冷静な顔の貞朝が刀を八双に構えて立


  って居た。瞬間、袈裟懸けに斬り下ろすと武


  者の首が胴体を離れ地面に落ちていくのが


  見えた。




  「父上!」  




  「清乃・・・」




   父娘の悲痛な声が、響き渡ると同時に辺り


  が次第に漆黒に包まれて行き、遠くで誰かが


  呼ぶ声が聞こえていた。




  「村上さん」




  「蘭ちゃん聞こえる」




  「しっかりして下さい」




   朦朧とした意識が、徐々に戻り覚醒する感


  覚が指先まで届いて、やっと現実世界に帰っ


  たんだと村上蘭は思った。気付くと自分の周


  りには、心配そうに覗き込んで呉れている人


  達が居た。















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