苛立ちの使者
十五
平家は、文治元年(1185)壇ノ浦現在の山口
県下関の関門海峡の戦いで滅亡の憂き目にあっ
た。だが、その影で難を逃れ全国に散らばった者
達が居た。世に言う、平家の落人伝説の始まりで
ある。貞朝父娘も、そう言った人々の中の一員に
過ぎなかったのだが、中でも日向国椎葉山(現在
の宮崎県椎葉村)に隠れ住んでいる者たちの噂が
広まり源氏の棟梁である源頼朝は平家追討の為、
屋島の合戦のおり平家方が船上で掲げた扇の的を
矢で射落としその名を天下に知らしめた那須与一
宗高にその命を下した。が、与一はその時分に病
を患っていた為その代りに与一の弟である那須大
八郎宗久が、討伐軍の大将として派遣される次第
となった。半年後、鎌倉の頼朝の所に大八郎から
平家の残党はことごとく殲滅したとの文が届いた
のだが、当の大八郎とその兵達は待てど暮らせど
鎌倉に戻って来ない。流石に、業を煮やした頼朝
は、一人の武者を呼び寄せてある命令を下した。
「のう、他でも無い実はお主にやって貰いたい事
が有るのだが」
頼朝は、癖である口髭を指でなぞる様な仕草を
見せながらその武者に言った。
「は、鎌倉殿のご命令と有れば此の村上三郎頼
時どの様な戦さ場でも、馳せ参じる所存でござ
います」
頼朝が、呼んだ此の村上三郎頼時なる武者は
歴戦の強者である事は間違いは無かったのだが、
素行が宜しくなく大酒を食らって村の娘を手籠
めにしたり罪のない者をなで斬りにしたりと評
判が、すこぶる悪い男であった。しかし、戦に
置いては比類なき働きを見せていたので頼朝も
その辺りは眼を伏せて使っていたのだが、あま
りに目に余る振舞いの為、最近まで謹慎させて
いたので有る。
「お主も、聞き及んでいると思うが今日呼んだの
は他でも無い那須大八郎宗久の事だ」
村上三郎頼時は、兄の与一とは旧知の中で知っ
ていたが弟の大八郎の事については、余り知らな
かった。大八郎が平家追討の大将に任ぜられた時
大いに憤慨した事は覚えている。勲功の有る、自
分を差し置いて頼朝様は何故あんな若造を大将に
するのかと己の悪行はさて置き憤った事を思い出
していた。さては、大八郎の奴何か仕出かしたか
と、村上三郎頼時は心の中でほくそ笑んでいた。
「役目が、終わったと言うのに那須大八郎が日向
の国から戻って来ぬのじゃ、そこでお主にこの頼
朝の文を大八郎に届けて貰いたい。これ以上戻っ
て来なければ謀反の意これ有りという事で大軍を
差し向ける旨が書いてある。もし、これでも帰ら
ぬと言うならそれ相応の覚悟で頼朝も望むがと伝
えてくれぬか」
その言葉からは、いつも冷淡な頼朝らしから
ぬ物言いを三郎頼時は感じていた。多分、兄の
那須与一に対する配慮に違いないと思ったが、
それも腹の立つ材料の一つではあった。そうは
言っても、謹慎の身をやっと解かれた自分に選
択の余地は無かった。しかし、ここで大八郎と
配下の兵を連れて帰ることが出来れば、那須与
一に借りを作れるし頼朝様の覚えも良いものに
なる筈と考えた三郎頼時であったが、郎党二人
を連れて旅を続けている間に腹の中に納めきれ
ない不満は募る一方であった。
「おい、今日はいつにも増して御大将のご機嫌悪
そうじゃねえか」
春まだ浅い、球磨川沿岸の細い道を馬に乗った
武士それに槍と荷物を担いでいる従者二人の者達
が人吉街道を歩んでいた。
「そりゃ、そうだろ世話になってた地頭の屋敷追
ん出されたんだからな」
「おい、あんまり大きい声出すな御大将の耳に聞
こえるぞ」
此の三人の主従は、頼朝の文を携えた村上三郎
頼時達であった。ただし、頼朝の命とは言え那須
大八郎の帰還を促す目的の旅は、秘密裏の事で鎌
倉にいる武士達の大半はまだ誰も知らされて無か
った。那須大八郎宗久の今回の行動は、下手をし
たら未だ固まって居ない鎌倉幕府の威信を脅かす
もので、それ故に頼朝としては出来るだけ穏便に
済ませ大八郎及びその兵達を鎌倉に戻したいと言
う意向が働いていた。それ故に、もし村上三郎頼
時が失敗して命を落とす様な事が有っても、鎌倉
は預かり知らぬ事で別の誰かが又その任を帯びて
行く事になるだけであった。それだけに、この役
目は相当に重いとは解っている村上三郎頼時では
有ったが、色々な不満のはけ口が自然酒と女に向
って言った。
「どうやら、八代の地頭の娘に酒の相手をさせ酔
った勢いで、ちょっかいを出したのが地頭にばれ
て本当は、もう二、三日居る所が追い出されたん
だと」
二人の、従者は御大将に聞こえぬ小声で話して
いたが、急に前を行く馬が止まったので慌てて口
を押えた。馬上の村上三郎頼時は、烏帽子を載せ
た頭を振り向かせて二人を睨みながらいら立ちを
露わにした顔で告げた。
「おい、目当ての村には後どの位で着くのだ」
自分達の軽口を、聞かれたのかとビクビクして
居た従者は、そうでは無いと解るとホッとした顔
をして答えた。
「へえ、道のりの半分位は来ましたんで昼過ぎに
は村に着けるんじゃねえかと・・・」
村上三郎頼時は、睨んだ眼はそのままに顔を前
に戻すと又馬を歩かせた。三郎頼時の、素行の悪
さで出立が早まった事が貞朝父娘の運命を変えて
しまう事になる訳だが、父娘はまだ知る由もなか
った。只、その時は刻一刻と迫っているのだけは
確かな事だった。