いにしえの真実
十
「ここは、一体何処なんだ」
村上蘭は、今意識だけの存在になって空中を彷徨
っていた。眼下には、荒々しい流れを見せている川
があった。
「あれは、球磨川か?でも球磨川にしては川幅も大
きいし何より流れが速すぎる」
暫くあたりの、風景を眺めていると川添いの幅の
狭い道を歩いて来る二人連れが見えた。難儀な道を
歩いて来たのだろう疲れが溜まっているのか、足を
引きずるように歩く初老の男とまだ若い女だった。
「父上、お疲れではございませんか」
父上と呼ばれた男は、腰に刀を差している所を見
ると武士の様である。
「ああ、何のこれしきと思うたが些か足にきてしも
うた様じゃ」
娘はまだ、若いので父よりは元気そうに見えたが
流石に一日中歩いた疲労の色は隠せなかった。
「父上、あの先の木陰になっている石の上で休みま
せぬか」
父親を、石の上に坐らせると熊笹の生い茂る中を
苦労して川まで降りて行き、竹の水入れに川の水を
汲み疲れてぐったりしている父親に持って行った。
「父上、どうぞお水をお飲みください」
水入れを、貰った父親はそれを捧げ持つような仕
草をして娘に言った。
「済まぬの、じゃがこれは口を湿らすくらいにして
おこう」
「どうしてで、ございますか?」
娘は、少し不満そうに言った。
「ふむ、此れはその川で汲んできた水じゃろう古来
生水という物は胃の腑によくないと言われておる。
必ず煮沸させてから、飲まぬと腹を下したり体に障
りがあると言われておる」
父親は、医術の心得があるのか娘にそう諭した。
「解りました、そうとは知らず浅はかな事を申して
しまいました。済みませぬ」
娘は父親に、素直に謝まったが少し顔を赤らめて
いるのを見るとしっかりとしているように見えてま
だ幼い心根があるのかも知れない。暫く木陰で、休
んだ後に娘は父親に問うた。
「父上、やがて日も暮れて来ましょう。この先どう
致されますか?」
娘は不安を、隠しきれぬ顔で父親にそう問うた。
「そうじゃな、どう致すかのう」
暫く腕を組み、思案していたが坐っていた石から
立ち上がると娘に告げた。
「ここに、来る途中の里で聞いた話ではこの先の山
間に小さな村があるそうな。此処は、九州肥後国の
山奥じゃ流石に、此処までは奴らも追って来る事は
有るまい。その村で住むことが、出来れば良いのだ
が兎に角行ってみるかの」
山の日が、陰るのは意外と早く二人がその山間の
集落に着いた時には、すっかり暗くなってしまって
いた。折悪く、雨も降ってきてしまい父娘は仕方な
く村はずれに有った小さな御堂に今夜一晩の宿を取
る事にした。御堂は狭く二人が、何とか寝れる広さ
だった。埃が舞い上がっていたが、外で雨に打たれ
ることを思えばこんな所でも贅沢は言えなかった。
「父上、狭うございますな。それにひもじいです」
無理も無かった。二人の路銀は、とうに無くなっ
ていたし手持ちの品物と食べ物を交換してここまで
何とか食いつないで来たが、それも底を尽き昨日の
朝から何も食べていなかった。
「済まぬ明日、村人に頼んで食べ物を分けて貰うか
らの、それまでの辛抱じゃ今夜はもう寝なさい」
娘は頷いたが、お腹が空いていることも有り中々
寝付けなかった。それでも、夜明け近くには疲れの
所為か二人供ぐっすり眠ってしまっていた。雨は、
夜半には小降りになり、二人が眠りについた夜明け
前頃には止んでいた。
「ギーィ」
御堂の扉を、僅かに開け中の様子を窺う影があっ
た。その影が手を上げて、合図を送ると三人の男達
がそれぞれに鎌を手にし中には、荒縄を持って御堂
を気配を消しながら取り囲むように近づいて来た。
そして、先頭の男が御堂に飛び込むと一斉に他の者
たちも入って行った。早暁の御堂から、女の叫び声
と男たちの怒号が飛び交いやがてその声も、収まり
扉が開いた誰も居なくなった御堂の屋根から雫とな
った昨夜の雨がポタっと落ちた。周辺は、何事も無
かった様に静けさが何時もの様に戻っていた。