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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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クフ王のピラミッドに傾斜路が何本あったのか?

ピラミッド建造の際にはその建材となる石材をピラミッドまで運搬手段として傾斜路が使われる。

これはここでも何度やっているわけですが、では、エジプト最大のピラミッドであるクフ王のピラミッドは何本の傾斜路が使われたのか?


シンキの小ピラミッドに残るような各面に傾斜路を設置したのかといえばこれは違うでしょう。

クフ王のピラミッドの主要採石場はカフラーの参道付近、つまりクフ王のピラミッドの南東部と思われているから、おそらくここから南斜面へ傾斜路が延びていたと思われます。

ただし、本当にそれだけなのか?


実をいえば、某サイトで南側にだけ傾斜路があったという説明があり、この意見に疑問を持ったというのがこれを書くきっかけになりました。

当然、その意見には与しないということになるわけですが、では、その意見がどのようなものかといえば……。


傾斜路はもう一本、東側にもあった。


これが私の意見です。


そして、その傾斜路は後にクフの河岸神殿からピラミッドで伸びていた参道となった。


一応根拠を述べておきます。

たしかにピラミッドを構成する石材の大部分は地元産の石材です。

ですが、外装石や花崗岩、さらに葬祭神殿の床面に使用された玄武岩はナイルを使って水路で運ばれてきたものです。

当然陸揚げした石材をピラミッドまで運ぶ傾斜路が必要となります。

それが後に参道として利用された。

またはそのつもりでつくられた。


いや、もっと近くに陸揚げしたはずだ。

たとえば、カフラーの河岸神殿の辺りに。

そうすれば、傾斜路も南側の一本で済む。


おそらくこのような意見はあるでしょう。


ですが、「では、クフは河岸神殿をもっと近くにつくらなかったのか」という疑問が出ます。

もちろん答えはクフの時代の港はクフの河岸神殿の位置にあったから。

そうであれば、そこから陸揚げしたと考えるべきだろうし、そうなればその長い参道も意味がある。


そう考えます。


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