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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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アクエンアテンのふたりの娘 Ⅰ

アクエンアテンには六人の娘とひとりの息子がいたことは知られています。

娘はメリトアテン、メケトアテン、後のアンケセナーメンであるアンケセパァテン、ネフェルネフェルウアテンタアシェリト、ネフェルネフェルウラー、セペテンラー。

息子はもちろんツタンカーメンとなるツタンカーテン。

このうち、娘六人はアマルナの岩窟墳墓に名前が残っており、ツタンカーテンも別の場所で発見されたアマルナの建造物を解体してできたブロックに「王の息子」という称号とともに名前が残っています。


今回取り上げるのはこの七人以外にいたアクエンアテンの娘についてです。

メリトアテンタアシェリト。

アンケセパァテンタァシェリト。

それが彼女たちの名前で、日本語訳にすればメリトアテンジュニア、アンケセパァテンジュニアのような意味となります。


この意味だけを考えると母親はそれぞれ長女メリトアテン、三女アンケセパァテンとなります。

そして、この娘には「王の娘」という称号があることから、父親はアクエンアテンとなり、アクエンアテンは娘ふたりを妻としていたことになります。

まあ、これについては現代では考えられませんが古代エジプトではなかった話ではないということを申し添えておき、話を進めましょう。


もちろんこれで終わっても十分に興味深い話なのですが、いつもどおりまだ先があります。

ヘルモポリス、現在のアシュムネインでアマルナの建造物を解体し持ち出された大量のブロックが発見されました。

前述したツタンカーテンの名前入りのブロックもここで発見されたのですが、その娘の名前が入ったブロックも数多く発見されています。


ここで注目しなければならないのは二点。

ひとつ目は、娘の母親はなせ長女と三女だったのか。

もう少し言えば、次女は省かれたのか。

この話を考えるときに思い出さなければならないのはアクエンアテン王墓のレリーフです。

そこには次女の葬儀の様子が描かれているのです。

次女ではなく三女が母親になったのは次女が死亡していたからという可能性も十分に考えられます。

そして。アクエンアテンの治世十二年頃にはまだ次女メケトアテンは生存していたのは間違いありませんので、彼女の死亡はその後。

そして、メリトアテンタアシェリトとアンケセパァテンタァシェリトも生まれたのはその後ということになります。


ですが、これはあくまで娘の母親がメリトアテンとアンケセパァテンであった場合に成り立つ話です。


そう。

実はそうでない可能性があるのです。


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