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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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アマルナの墓地群が東側にある理由について

現在の日本のエジプト学者で一番有名な方が流している動画で、アマルナの墓地群が東側にあることがアクエンアテンが変人である根拠のひとつであるとしていたと教えていただき、確認したところたしかにそのようなことを語っていました。

以前、「ナイル河の東岸と西岸」について書いたところで説明しましたが、私はこの主張を反対の立場です。

理由は色々ありますが、明確なものとして、アマルナから北に続くナイル河がよく見える岸壁群には古王国時代からグレコローマン時代までの岩窟墳墓が並んでいます。

有名なのはベニハサンやアコリスです。

先ほどの説に則れば、ナイル河東岸に自らの墓をつくった者たちはすべてアクエンアテンと同じ変人ということになります。

ついでにいえば、アマルナ観光の拠点になることが多いミニヤからベニハサンに行く道沿いにはクフの父スネフルの時代にまで遡る小さなピラミッドがあります。

もちろん東岸に。

このピラミッドは墳墓ではないので、カウントするかは微妙ではありますが、極言してしまえば、アクエンアテンと同じくスネフルも変人ということになります。

アクエンアテンの父アメンヘテプ3世は自らの王宮は東岸ではなく西岸につくりました。

この点についてはアクエンアテンは常人になります。

まあ、父は西岸の王家に谷に埋葬されたのでこの部分は常人ですが。


そもそも、その方が専門としているギザ西岸には、「西岸は死者の町」という話から完全に逸脱しているピラミッドタウンがあり、その方はそれを確かピラミッドシティというべきもの大声で主張していたはずです。

というか、この時代の王都といえるような場所でナイル河東岸にあったといえるのはあったのでしょうか?


まあ、一般向けで喋っていたので、わかりやすさを優先したのでしょうが、なかには病的マニアも眺めているのです。

素人ならともかく専門家であるのなら主張するものは、矛盾が出るようことがないようにすべきでしょう。

それとも、このような話を持ち込まれるためにエサとして喋っているとか。



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