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アマルナへの扉  作者: 田丸 彬禰


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アテン神はいつから崇拝されていたのか?

先日テレビでエジプトを扱う番組がやっていたので、眺めていました。

そのときに気になったことがあったので述べたいと思います。


ザヒ・ハワス氏が大本営発表的な言い方をするのはすでにわかっていることなので、ルクソール西岸で発見された「ゴールデン・シティ」の方が、ピラミッドの内部に空間が発見されたことよりも価値があるという部分は、とりあえず笑って済ませましょう。

まあ、アマルナに行ったことがない大部分の日本人は大きく頷くでしょうが、「ゴールデン・シティ」より遥かに広いアマルナ全域を歩き回った者にとっては何を言っているのだと叫ぶ衝動が押さえきれなかったのも事実ですが。


とりあえず、その話を脇におき、アマルナとアクエンアテンが統治していた時期が好きな者として聞き流せないのは、アテン信仰がアクエンアテンの時代に突然信仰され始めたという部分。

アテン神が熱狂的に信仰されたのはたしかにアクエンアテンの時代であるが、アテンの名は父アメンヘテプ3世の時代から登場していたのは専門家なら知っている事実。

ひとつ例を挙げるなら、ハワスが発見したというその都市近くにつくられた大きな池に浮かべた船の名にもアテンの名が含まれていますした。

ついでに言えば、その数代前からアテン神に言及するものが発見されています。


さらに、あの地の責任者らしきエジプト人は、その都市の壁にアテン神のマークが描かれたことを根拠に、アメンヘテプ3世時代からアテン信仰が始まった、というか、あのマークが使われていたかのようなことを口にし、日本人の大先生もそれに乗っかって世紀の大発見的なことを言っていました。

ですが、その話には大きな穴があります。

そう。

アクエンアテンはアメンヘテプと名乗っていた時代にはまだルクソールに滞在したことです

そして、その住居としていたのは、「ゴールデン・シティ」に隣接していた宮殿。

さらに、アクエンアテンがまだアメンヘテプと名乗っていたルクソール滞在時代の建造物にも例のマークは描かれていたのですから、あのマークひとつで歴史が書き換えられるとは断定できないと言わざるを得ません。


まあ、おもしろい映像でしたので番組そのものを否定する気はありませんが、専門家なら専門家らしく正しいことを伝えるべきでしょう。



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