アシュムネインでの発見について
ニュースになっていたので、ラムセス2世の石像が発見されたアシュムネインについて少しだけ。
まず、アシュムネインは通常の観光ルートから外れた場所になっています。
ですから、ここには8日間のパッケージツアーを利用してエジプトを訪れた方はいくことはできません。
その場所を簡単にいえば、中部エジプト。
そして、アマルナの近く。
ヘルモポリスと言った方が古代エジプト好きには馴染み深いのかもしれません。
ここは非常に広い遺跡エリアで、それこそ真面目に観光すれば半日は軽く過ごせる場所となります。
ただし、そこにはそれなりの知識が必要となりますが。
見栄えのする遺構も残っているのですが、その大部分はグレコローマン時代のものとなります。
遺跡エリアの端には有名ローマ皇帝ネロに関わるものもあります。
そして、今回巨像が発見されたラムセス2世に関わる遺構は、予想に反してそれほどありません。
それがネロの遺構の近くにあります。
そして、新王国時代以前の遺構と限定した場合に他に見るべきものは中王国時代の遺構とラムセス2世の数代後の王セティ2世の遺構となります。
ちなみに熱狂的アマルナマニアである私がここに通っていた理由は、アマルナ放棄後、ラムセス2世がアマルナに残されたアクエンアテンの建造物を分解し、ここの建築に再利用したからです。
そして、その碑文付き石材ブロックが第二次世界大戦直前にドイツ隊の発掘時に大量に発見され、戦争のどさくさで各地に流れ、多くの博物館のコレクションとなっています。
前述したセティ2世の遺構でも、このアマルナ時代の再利用ブロックが露出している部分があり、アクエンアテンやネフェルティティ、それに王女の称号が確認できます。
さらにいえば、この遺跡の近くの倉庫に今もあるのですが、ツタンカーメンが王の息子であることを証明する唯一の証拠とされる碑文付きブロック。
あまり見栄えのするものではありませんが、エジプト展にこれが来たら、私のようなアマルナマニアが狂喜することでしょう。
というか、おそらくエジプト学者を含めても、アレの現物を見た人はそう多くないはずですから。
つまり、偶然倉庫に入りこみそれを見た人は自慢できると。
写真が許可されていればもっとよかった。
この地の発掘をおこなったG・レイダーの報告書「Amarna-Reliefs aus Hermopolis」はアマルナ好きなら絶対に目を通すべきものとなっています。
たとえドイツ語が分からなくても、多くの写真やイラストがあり、そこから多くのことが読み取れますので。
大きく扱われた話題に水を差すようで申しわけないのですが、個人的には金沢大学が発見したという庶民の墓の方が気になります。
理由は以前書いたように、アマルナで発見された庶民の墓というか骨の状況と比較できるからです。




