ハトシェプスト女王の知られざるオベリスク
カルナック神殿観光の目玉のひとつがハトシェプスト女王のオベリスクとなります。
第4塔門を過ぎた、いわゆる「旧列柱室」にハトシェプスト女王は2本のオベリスクを建てました。
そのうち1本は現在も聳え立ち、その傍でガイドはこう説明するのです。
「彼女に日陰に追いやられていたトトメス3世が、報復として彼女のオベリスクを壁で覆い、下から見えなくした。そのため、このオベリスクは上下で色が変わる」
まあ、専門家でさえこの説を概ね肯定的に捉えているようですが、私はこの説明にまったく賛成しません。
これについては以前やったような気もしますが、いずれ別の機会にもう一度やることにして、話を進めます。
トトメス3世との逸話が語られるそのオベリスクの対となるものは、途中で折れ、現在その先端部分は聖池近くに立てられています。
これについてもよく見るとなかなか面白く、刻まれている王名からこのオベリスクが辿った歴史を考えると楽しいものはあります。
ですが、今回語るのはこれとは別のもの。
カルナック神殿の最深部。
トトメス3世の「フェスティバル・ホール」のさらに奥。
そこにハトシェプスト女王のオベリスクが立てられていました。
今は崩れ落ち、その位置さえ判別するのは難しい状態になっています。
ですが、すぐ近くのブロック置き場を注意深く探すと、オベリスクの破片が多数あることが確認できます。
そして……。
その最もその形を残しているもの。
それはカイロにあります。
以前はエジプト観光にいけば、絶対に行った場所であったものの、最近は完全に忘れ去られた観光スポット「エジプト考古学博物館」、つまりカイロ博物館。
敷地に入り、本館入り口近く。
左側にオブジェのような四角錘。
これがそのオベリスクの一部です。
まあ、ガイドブックにも載りませんし、近くで見てもハトシェプスト女王の名もありませんが、よく見ると、アメン神の名前と図像が削り落とされているのがわかります。
知っているとチョイ自慢できるものなのですが、あの博物館に行く人が激減した現在はそのようなチャンスもないのは残念です。
ついでに言っておけば、ハトシェプスト女王や側近のセンムトが言及しているオベリスクはおそらくこのオブジェ以外には見るべきものがないこちらの者だと思われます。




