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ネフェルネフェルウアテンとスメンクカラー③

謎が多いアマルナ時代でも屈指の謎であるネフェルネフェルウアテンとスメンクカラーの続きです。


ネフェルネフェルウアテンとスメンクカラーの即位前の痕跡はないのかという疑問は当然起こります。

そして、こちらも当然ですが、そのようなものがあれば、これだけ議論が起こるはずもなく、答えは「ない」となるわけです。


ですが、古代エジプトにおいて研究者が必死に資料をかき集めなくても王の子供たちについてわかる例というのは非常に少なく、第19王朝のラムセス2世のように自らの記念建造物に子供たちを描いているのは稀だといえます。

ですから、岩窟墳墓のレリーフに6人の娘が頻繁に登場するアクエンアテンも子供たちについては多くのことが知られている方だといえます。


ということで、結局ネフェルネフェルウアテンとスメンクカラーの幼年期についてはわからないのですが、ではアクエンアテンの後継者となるツタンカーメンはどうでしょうか。

彼の即位前についてわかることは、「王の息子」だったことだけです。

これは、アマルナの北西にある遺跡ヘルモポリスで発見された再利用ブロックに記された碑文に彼の名前と称号があったことから判明しているのですが、わかるのはそこまでです。

そこで、父親はアクエンアテンなのか前王アメンヘテプ3世なのかという議論が起きます。

ですが、アメンヘテプ3世が父親とする勢力にとっては、その子であるアクエンアテンの17年間という治世年数が邪魔になります。

なぜなら、それはそっくりツタンカーメンの年齢を取り込んでしまうほどの長さなのですから。

ちなみにツタンカーメンの治世年数は約10年なので、残すのはわずか7年。

通常の継承では、アメンヘテプ3世の死後に横たわる17年間がクリアできない。

そこから、アクエンアテンと父王との長期間の共同統治が必要だったわけです。


DNA検査結果もあり、現在はツタンカーメンの父親はアクエンアテンであるという常識的な線に落ち着きました。


しかし、幼いとはいえ、アクエンアテンの息子であるツタンカーメン、即位時はツタンカーテンですが、そのツタンカーメンを差し置いて王位に就いたネフェルネフェルウアテンやスメンクカラーは、どのような条件が整えばそれが叶うのでしょうか。


簒奪はなかったでしょうから、メリトアテンとの結婚によって王位に就いたというのが一番わかりやすいのですが、それがツタンカーメンよりも先に王位に就く上位の条件となるのかどうかは疑問です。

しかも、混乱期とはいえ誰でも良いというわけでもなく、やはり王族かそれに近い者になるのでしょうが、アマルナで発見されている称号にそれらしいものは発見されていません。


ただし、その地位に就けるだけの権力をすでに有している人物はいました。

それがアクエンアテンの妃ネフェルティティなのです。

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