王墓から見る第19王朝末期の混乱 ①
最初に言っておけば、今回の話は少しだけ予備知識がないと楽しめないかもしれません。
第19王朝。
その始祖を誰にするかということについてはいくつかの意見があるわけですが、今回はラムセス1世とします。
2年後、息子セティ1世が王位に就き、15年ほどの治世が続きます。
続いて登場するのが、有名なラムセス2世。
彼の長い治世期間のおかげで、本来の後継者になるべき息子たちは次々になくなり、13人目の息子であるメルエンプタハも王位に就いたときには相当の歳になっていたとされています。
当然その治世年数も長くはなく10年ほどだったとされています。
ですが、ここまではそれなりに正しく王位が継承されました。
そう。
問題はここからで、今回のお題もここからのものとなります。
第19王朝第五代目の王から終焉までをまず語っておけば、アメンメス、セティ2世、シプタハ、タウセルト女王となります。
そして、王墓は、王家の谷、第10号墓、第13号墓、第47号墓、第14号墓となります。
ついでに言っておけば、王家の谷の墓番号はその治世時期とは関係ないものです。
発見順に番号が振られたと書かれている資料もありますが、正確にいえば、これは誤りです。
発見順になったのは65基の後半部分についてのみであり、前半については、入口から順に番号が振られています。
どこまでがそうなのか、興味のある方は王家の谷の平面図などで確認されることをお勧めします。
さて、本題となるわけですが、結構長くなりそうなので、とりあえず今回はここで終わりにして、次回は予備的な説明なしでひたすら本題に行きたいとおもいます。




